限界ファッション
気分は常に変容する。何を着ようか考えている時もだ。高低があり、速さがあり、常に波打っている。ファッションってその人の、服を選んだ時の、気分だ。そんなの当たり前だと言われるようなことなんだろうし、私もそう思ってた、はずだった。でも違った。自分はそう思っているという気だけで生きていただけだった。当たり前だと吐き捨てて終わらせてしまうことほど、私はきっと何も知らない。今回はファッションだった。
自分が持っている服の中でできることなんて、どんなにたくさんもってたって数には、クローゼットには、記憶には、限りがある、その限り、組み合わせってある程度決まっていて、なんだか窮屈だなと冷めた気持ちで思っていた。持てば持つほど、窮屈になっていくと思っていた。でもそれは違った。私が思ったよりももっと自由だったんだ。
センスもお洒落もその定義は曖昧で、ほとんどの人が誰かの意見や価値観や考え方や見方に頼っている。1から自分の判断基準を作り上げたり、確固とした基準を持っている人なんて少ないだろう。センスやお洒落という言葉が例外なく決定づける価値や基準は存在しないのだ。ならば。持っている服の数で単純にパターン数は決まってしまうけど、そんなのはどうでもいいことで、その限られた中であっても、限られているからこそ、無限の可能性を私たちは感じるべきなんじゃないのか、いや、きっとお洒落な人はもうとっくにそれに気づいているんだろう。無限とは本来、限界が存在しないことではなくて、限界の中に存在しているものなのかもしれない。決められた数という極限を無限にする芸術。だから輝いて見える。ファッションに限らず、人が何かを選び、日常や人生に取り込んでいる姿を見たときに、私が感じるセンスの良さや、お洒落の判断基準はきっとそこにある。私の限界を超えた、その人の限界の中にある。
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