積み上げてきたものは、ぶっ壊せないわな
音楽に救われてきた。転び方も立ち上がり方も教わった。自分で光を見出せるようになってからも、音楽はずっとその位置にいた。
なのにわたしは、10年前からずっと小説を書いている。
小説がわたしを救ってくれた記憶はないのに、ただ自分の脳味噌にある世界をだらだらと書くことを続けている。
数週間前から、小説が書けなくなった。
スランプ、ということばは半人前の自分が使ってもいいようなことばじゃない気がするから使えないけど、まあそんな感じなんだと、思う。
大学に入ってからたびたび書けない期間が生まれていた。たのしくて書いているというフェーズから読ませるために書いているフェーズに移ったからだろう、と勝手に分析している。
尊敬する人におもしろいと思ってもらうため、卒業制作で賞をとるため。純粋な不純が混ざり合って、わたしはたまに小説が書けなくなる。
今回は、主人公になりきれなくなった。
自分で生み出した自分の半身が、わからなくなった。このひとがどういう思いで世界を見つめているのか、どういう気持ちを抱えているのか、まったくわからないのだ。わたしがわからないと世界の誰もわからないそれは超難題で、だれに相談しても解決するはずがなかった。
小説が書けなくなったとき、わたしはずっと抱えていた「小説書きのコンプレックス」を目の前に並べて小説書きをやめようとする。
活字が読めないひとが一定数いるなかで小説を書く意味はなんだろう。
書いてもすべてのひとに届くわけじゃないんだから、より多くのひとに届けたいわたしに向いているアウトプットの方法はこれじゃないのではないか。
そういうとき、決まって音楽を思い出す。
音楽は、世の中のほぼ全員に届く作品だ。活字が読めないひとも、時間がないひとも、再生ボタンを押して耳を傾ければそのことばを受け取ることができる。
尊敬して、嫉妬してきた有名人も全員音楽家だ。わたしもいますぐ小説をやめて音楽を学ぼうか。歌詞にすべてを込めて、世界に発信しようか。
何度もそう思い、何度も歌詞を書いた。
そうして何度も、思い知らされた。
わたしには小説が根付きすぎていた。
どうやっても小説的になってしまう。どうやっても、小説を追いかけてしまう。
10年積み上げてきたそれは、やろうとおもえばいつでも壊せる脆いものだ。
塔にもなっていないくらい低いものだろうから、足で蹴って壊せるかも。
だけどわたしは壊せない。
どれだけ小説をきらいになろうと、どれだけ苦痛を覚えようと、わたしは小説を書くことが好きだったのだ。
小説で、褒められたかった。
小説で、見返したかった。
小説で、戦いたかった。
なにも成し遂げていないくせに、涙だけ一丁前に出る。
くやしい、くやしい、くやしい。
小説は、わたしを慰めてくれない。わたしを救ってくれない。遠い。遠すぎる。10年書いているのに、わたしはまだ小説を振り向かせることができていない。
勝たなきゃ、と思う。
なににかはわからない。小説に、なのか、何もやってないのに泣き喚く自分に、なのか。
わたしは、この10年の低い塔を壊せないかぎり積み上げ続けなければならない。
くそ、くそ、くそ、と悪態をつきながら、はやくなったタイピングで文字を打ち続けなければならない。
なにが主人公がわからないだ、なにがなりきれないだ、甘えるな。
おまえが始めた物語なんだから、どうとでもできるはずだろう。
絶対にもう一度書けるようになって、賞、とってやる。