全員全世界平和を諦めないで願いつづけるぞ、と!
本日のドライブ道中、ふと「平和」についての話になった。
戦いはないほうがいい、あってはいけない
けれど、
戦う準備をしていなくてはいまの平和を守ることはできないと信じているひとを否定することはできないよね、
と。
もし、大切な誰かを守るために見知らぬ誰かを犠牲にしなくてはならないとしたら、そのときどんな決断をするだろう。
と。
どんな大義名分があったとして、他の誰かを傷つけたり命を奪ってしまったら、決して平和は訪れないし、
たとえチカラがない弱い立場だからと攻撃されることがあるかもしれないからと、武力を蓄え続けていたら、誰も武力を捨てることはできないし、
じゃあそれは仕方のないことで、人類から戦いや争いを切り離すことはできないのか?とか。
そんなことないから諦めないで平和の道を目指したいし、もしも本当に、わたしの命や大切なひとの命を守るなら誰か見知らぬ人を犠牲にしなくてはならないときがきたとしても、自分たちがそのとき安らかに穏やかに自分たちの命の終わりを決断できる強い精神力がほしいなあとか思ったりしている。
それから、人それぞれ違うけれど全員で、みんなで生きていくんだとしたら、そのなかに、ひどく誰かを傷つけたくてたまらない衝動をもっているひともいたとしたら、そのひとも認めなくちゃ「全員」にはならないんだよなあ、とか。そいつがいたらひどく危険だけど、じゃあそいつの存在は認めないのか、どうやって追放するのか、命を奪うのか、そしたらダメじゃんとか。
ラピュタの7日間、
エヴァンゲリオンの人類補完計画、
進撃の巨人の地ならし、
どれも発想したくなる気持ちもわかるよ。。。
しかしイカンだろ、イカンってわかるだろ…いや「イカンくない!」「わかる!」とか言うやつもいるんだろう、全員肯定とするとさそういうやつを否定することはできない…ぐるぐるぐるぐる、となる…
それまた答えはでないけど、仕方のないこと、と諦めてしまっては、人類の成長と平和はこないので、なんとか悩み迷い考え答えを探し続けることを諦めてはいけないよなあ、と思ったりとか。
優しくて誰も傷つけられないひとこそ、自分の命の終わりを決めてしまったりするのかもしれない、などと、最近の有名俳優さんたちの死を知って考えてしまったりする。
全世界の平和を諦めることなく、悩みすぎることなく、いまの日常の小さな幸せを大切にしていくのだ。
そんなもんは理想で現実は難しいとか言われても知らん!!
願い、祈り続けるし、それとなく我儘しすぎることなくいつもどおりの日々を過ごし続けるぞ。
こい!!
全員平和!!
などと思いふけったのでここに記録しておきます。