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実は20分くらいかかっちゃってるnote

今日も15分、このnoteに向かう。

家にいるときはほぼ100%テレビをつけている。今はMステ3時間スペシャル、「嵐」キーワードにて自動で録画されていたのを嵐部分だけ追いかけ終わって、ちょうどいま、三浦春馬のMVが終わったところ。さすがに生前最後の作品、とか言われると、ますます泣いちゃえるなあ。

(まだ三浦春馬のこと書いちゃう。実は今日からブラッディマンディもはじめてる。ラストシンデレラは2周目、春馬シーンだけ凝視してる。)


命はいつか終わってしまうから、雲の上だけど大好きな人も、身近にいる大切な人たちも、いつかはいなくなってしまうし、それが今日のことかも、明日のことかもわからないよね。私自身の命もそう。今の暮らしが、この一生がいつ終わってしまうかわからないという前提で、日々生きていかないと、急に訪れるそのときに、苦しい気持ちになっちゃうんだろうな。

今を大事に、精一杯生きていくぞ…。


「いざ自分の今の暮らしが終わってしまうときに苦しまないように」の保険、について、結構前からいろいろ考えていて。人口や人口物の多い都市よりも、人口は少なくて自然のものが多い僻地のほうが、何かと安心して暮らしていけると思ってるんです。要するに、「何かあったときに死なない」暮らし。

電気やガスや水道や、カッコイイマンションとかビルとか、朝早くから夜遅くまで走ってくれてる電車とかバスとかタクシーとか、楽しいショッピングモールとかデパートとかカフェとかレストランとか、徒歩5分で行ける24時間開いてるコンビニとか、


すべてはとにかく便利で楽しい暮らしを支えてくれているけど、こうじゃないと生きていけない状態になることがとても怖いなあと思ってて。それは実際に生きていけない状態になることもそうだし、「生きていけない!」と信じてしまうこともそう。


自分ではない誰かすごい人たちがつくりだした社会や世界、仕組みはまだまだ脆弱で、わたしの一生を任せるにはどうにも信用ならなくて(まだまだどころか、無理だろって思っちゃってる、ある意味諦めちゃってる)、もっと自分とか自分の知っている人や環境の中で「生活」できる状態っていうのを確保しておきたいなあと思って、たまたまわたしが生まれ育った町がその環境をそろえているもんだから、30歳になる年に戻ってきた。


電気もガスもネットとか、かわいい服とか美味しいものとか、「便利なモノは何ひとついらない!」とは決して言うつもりはないのだけど、そうじゃない世界になったときに絶望しないで生きていける条件を、コツコツ揃えていきたいなあって思っています。


今日の15分で頭をよぎり、書ききれたこと、以上。

目に見えているもの、自分でなんとかできるもの、今、大事にしていくぞ!


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