【はじまり③】大卒24歳女子、人生一回リセットする。やりたいことをやろう
前回の話
退職時に浮かんだのは、お世話になった人の顔。
辞めたいとは何度も思ったが、
そのたびに浮かぶ顔が私を思いとどまらせていたと思う。
両親の顔。
インターンを紹介してくれた、先輩の顔。
一方、救われた言葉もある。
「辞め方を覚えておくと、これから楽だよ」
その発想は無かった。
やめるのが怖かったのだ。
やめる=スーパーネガティブ。
やめたら、人からバカにもされる。
でも「辞め方を知る」という発想があれば、新しいチャレンジも怖くない。
これから何をやろう?
考えた。もう一度頭をリセットしよう。
キャリアなど考えずに、
まずは、できそうなことから。
山口に帰る?
でも、帰ったらきっと二度と外の世界に出られない気がした。
もし帰ったら、両親がOKを出すような仕事を選んでしまうような気もする。(てかそもそも、引っ越し代がない)
姉との会話
辞めることが実際にきまり、
会社にも伝えると、だんだん気持ちが軽くなってきた。
そんな時、6歳上の姉との電話。
「みなみ~」
「本当に本当に、辞めれてよかったね!」
姉は一度夏に、私の家に遊びに来ていたが、真っ黒に焼けた、エネルギーの抜けた私を見ていて、心の底から安心したらしい。
おお、やめて喜んでくれている人がいる。その反応で、私はちょっと救われた。
そして、姉のこの一言が大きく私の人生を変えることになる。
「みなみさ、家庭教師とかいいじゃん。」
「わたしにも昔、英語教えてくれたじゃん」
人生ピンチの時、姉はいつも私の人生に登場してくれる
中学校の時、不登校になりかけていた私は、当時大学生の姉の家に数日遊びに行き、なんとか持ち直して中学に通ったらしい。(消したい過去なのか、当時の記憶があいまいだ)
また、大学入学前の灰色の浪人時代。私は当時同居禁止だった兵庫の西宮の1ルームしかない姉の家に転がり込んで、三宮まで予備校に通っていた。
同居していた当時、姉もTOEICの勉強をしていたので、ときどき文法問題などを教えていたのだ。
それまで、家庭教師のバイトもしたことすらない私は、絶対に教師の仕事などごめんだと思っていた。なぜか絶対なりなくない職業だった。
ただその時、何かが私に降臨したのか、
「ふむ。それも、いいかもしれない」
早速、長野県の家庭教師事務所に登録してみた。
カレンダーの裏紙にマジックで、書き始めた。
今、人生のすべてが白紙になる。
リセットする。
これから何をするか?
カレンダーの裏紙に書き始めた。
・家庭教師をする
・ホテルで働く
・畑仕事を手伝う
・カフェで働く
家庭教師事務局からは忘れたころにメールがきた。
事務所の方は、物腰の柔らかい、いつもニコニコしている方。長野市からはるばる50㎞の道のりを会いに来てくれ、生徒をもてることになった。
ホテルの仕事は、学生の頃からの仕事。
なんとなく慣れた環境だった。私が当時住んでいた御代田町(みよたまち)の隣は「軽井沢」。ホテルは、くさるほどあった。
畑仕事。
もう、農業の「の」の字も聞きたくないくらいだったが、ただ草を抜いたり、水をくれたり、アルバイトレベルの作業は好きだった。知り合いの畑で、手伝いを始めた。
カフェで仕事。
ここまできて、カフェにこだわるなんて、本当に病気だと思うが、私は会社を辞めて2年目から憧れのスターバックスで働くことになる。
ここから、私の
マイペースのダブルワーク(ときどきトリプル)が始まる。
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