「転生聖女は現世で何を診るか」第二話

第二話 転生聖女は救急外来で何を診るか(前編)

日記を書くことにした。
私は今借り物の身体に収まっている身だ。
いつか本来の持ち主に返すことがあるかもしれない。
その時に少しでも早く元の持ち主が日常に戻れるように日記を書くことにした。
氷見さんへ。あなたの意志に反する行動があったらごめんなさい。
私はカタリナ・アレクサンドリア。元の世界では治癒師として人々の治療を行っていました。
私が元いた世界には魔法があり、怪我をした人は治癒魔法で治療するのが一般的でした。

ですがこの世界には魔法はありませんでした。
魔法が使える私はとても珍しい存在とのことで、それを隠すようにと同じ研修医の3人から言われています。
困った私は3人にお願いしてこの世界の医学を学ぶことにしました。
すごく大変と言われましたが私には人を治していないのに生きていることが苦痛です。
1週間頭を打ったことを名目にして、この世界の常識を学びました。

「氷見! 早くしなさい!」
「すみません。この化粧というのが中々大変で……。」
「とりあえず目元だけなんとかしなさい! どうせ口はマスクで隠れるから!」
「は、はい!!」

大急ぎで化粧とやらを済ませる。
何故毎朝こんな大変な作業を繰り返せるのか。
この世界で生きる女性は大変だ。

「お待たせしました!!」
「よし。及第点。いい、何度も繰り返すけど……。」
「何かあったらまずPHSで連絡ですね。」
「そう。絶対に一人で勝手に動かないように。ましてや回復魔法なんてもってのほか!いいわね!」
「は、はい……。」
「よし。行くわよ。」

今日から私は治療に戻ります。
やっとです。やっと誰かを助けることができます。

「私達は1年目の研修医としてこの□□市立病院で働いているわ。大学を卒業して1年目ってこと。今は大体半年ぐらい経ってだいぶ仕事にも慣れてきたところね。」
「はい。そして私は脳震盪を起こして逆行性健忘……つまり記憶喪失を来しているという設定ですね。」
「そう。だから人格が変わっていたり、医学的知識が欠落していてもある程度言い訳はつくわ。でも、あまりミスを連発。それこそ患者の命に関わる間違いをしでかしたら二度と医療現場には戻れないと思っておきなさい。」
「はい。」

返事をした後、PHSを握りしめ、そして耳に装着したワイヤレスイヤホンを確かめる。
この2つが私の生命線だ。
患者さんの治療をする時にこれで3人の誰かに連絡を取り、指示を仰ぐ。
私がある程度の経験を積むまでの間は3人に負担をかけてしまうのが心苦しい。

「でもって、今日からあなたが研修するのは救急科よ。高度な救急対応はまだしも初期対応だけなら1年目の研修医でも務まるわ。」

救急室のドアを開ける。
甲高い音が規則的になり、からのベッドが何列も並べられている。
そこにぐったりした様子の男性研修医がいた。

「や、おはよう。昨日は眠れたかい? だいぶアパートの前を救急車が通ったと思うけど。」

この人は安藤。私の記憶が確かなら昨日の救急外来の当直当番だったはずだ。
寝不足のせいで目元にくまができている。

「えっと。あんまり気にならなかったです。」
「さすが戦地帰りは違うね。救急車の音ぐらいじゃ動じないか。」
「昨日は忙しかったんですか?」
「重症心不全が1件。SAHが1件。あとは過量飲酒だとか、軽い交通事故だとか。医者なんかなるもんじゃないね全く。」
「心にも無いことを。」
「本音だよ。薬中の患者に怒鳴りつけられたときは職業選択を間違えたと思ったね。口にしては行けない言葉が漏れるところだったよ。」
「それは災難だったわね。」

どうやら相当忙しかったようだが、私にはその内容が分からない。

「あの、「ざー」ってなんですか?」
「あー、そのうち教えるよ。とりあえず基本的なことを教えよう。橘は自分の仕事に戻ってくれ。」
「分かったわ。頑張って氷見。あとコイツになにかされたら私に相談するのよ。」
「相談できるかなぁ?」
「殴られたいわけ?」
「冗談だって。午前中の間に基本的な救急対応を教えて、午後は上がらせてもらうよ。」
「まぁいいわ。任せたわよ。」
「はいはい。いってらっしゃーい。」
「ありがとうございます。」

この一週間でこの世界の一般常識を教えてくれたのは主に彼女だ。
すごく面倒見がよく、まるで姉ができたかのような錯覚を覚えたものだ。

「どう思うあれ? あれだけ言っておいて僕に君を預けていくかね?」
「えっと。信用されているということでは……。」
「信用されてるんだろうねー。あー、めんどい。」

そう言って安藤はダルそうにあくびをした。
犬と猫のような存在だともう一人の研修医である栗栖は言っていた。
なるほど確かに。

「ふふ……。」

思わず笑いが漏れてしまう。
それを聞き逃さなかった安藤が反応を返してきた。

「何さ?」
「いや、仲がいいなと思いまして。」
「……。」

露骨に嫌な顔をする安藤。
とはいえ憎からず思っているのは明白だ。
その証拠に安藤が腹の底の読めない微笑を崩すのは大抵橘絡みだ。

「さて、落ち着いているうちに救急の仕事を教えておこうか。付いてきて。」
「はい!!」

「さて、これがバイタルモニター。上から心拍数、心電図、酸素化、呼吸回数などが表示される。僕らの救急外来での仕事はこのバイタルをなるべく正常に保ちながら、病気の原因を特定することだ。例えばこの人は心不全で運ばれてきた80歳のおばあちゃん。クリニカルシナリオ1の心不全で硝酸薬と利尿剤、NPPVマスクを装着している。斉藤さん調子はどうですかー? 楽になりましたかー?」
「ん? ああ? ええよー?」
「はい。じゃあもうちょっと待っててくださいねー。」
「救急外来に来たときは呼吸苦で全く喋れない状態だったけど、肺に溜まっていた水が抜けてだいぶ反応が良くなった。耳が遠くて少し認知機能が悪いのは心不全以前の問題だろうね。」
「80歳……すごく長生きですね。」
「君のところの平均寿命は一体いくつだったんだい?」
「どうでしょう? 40歳くらいかな? 50歳の人なんて長老さんとかぐらいでした。」
「結構すごい数字だね。日本じゃ考えられないや。」
「そうですね。」
「ついさっき循環器内科の先生に連絡を取ってあとは入院を待つだけだ。次は点滴のやり方を教えようか。」

「よし。今日はこれくらいにしておこう。僕は仮眠を取るから患者さんが来たら呼んでくれ。」
「えっ、帰らなくても大丈夫ですか?」
「まぁ流石に一人で診させるのは不安だしね。今日は1日ついててあげるから安心して。」
「ありがとうございます。」
「鈴木さん。悪いけどこの子のことサポートしてあげてほしい。」
「えーしょうがないですねー。」

そう言い残して安藤は仮眠室へと向かっていった。
あとには私と鈴木と呼ばれた看護師が残される。

「確か、最初にかばってくださった方ですよね?」
「よく覚えてますね。大体の事情は他の先生から聞きました。大丈夫秘密は守りますよ。」
「ありがとうございます。色々お聞きすることもあると思いますがよろしくお願いします。」
「え、嫌です。」
「へ?」

耳を疑った。
私の秘密を守ってくれるのに、協力はしてくれないということだろうか。
私の困惑を見て取ったのか鈴木さんが続ける。

「あのですね。他の先生達はあなたに大学のノリの延長で手伝っていると思いますけど。私達は給料を頂いて患者さんの治療を行っている身です。研修医とはいえ責任が伴う立場であるからこそ給料も多く設定されているのに、その実態が常識すら知らないお子様とかやってられないです。自分の事は自分でなんとかしてください。私は自分の仕事をします。」
「……すみません。」

そう言い放つと鈴木と呼ばれた看護師は電子カルテに向かって黙々と作業をし始めた。
恥ずかしかった。ぐうの音もでないほどの正論だ。
今まで私の周りには私を聖女と呼んで優遇してくれる人が多かった。
きっと嫌っていた人もいるだろうが少なくともそれを表面に出されることは無かった。
それだけに彼女の発言は堪えた。
どうすれば彼女は私を許してくれるだろうか。

せめてと思いながら救急対応のマニュアルを読み始めていたところ。
救急外来に電話がかかってきた。午前中に教えられた内容では、これは救急隊員からの受け入れ要請だ。
この市民病院は二次医療機関。救急車の受け入れを断ることはできない。
震える手で受話器を取ろうとする。
電話の取り方はこれであっていたはず。

「何してるんですか。早く出てください。」
「は、はい!!」

受話器を取り、電話に答える。

「はい! ◇◇市民病院救急外来です!」
「こちら◇◇市北区救急隊です! 40代男性!! 胸痛発作!! そちらの受診歴は特にありません!! 受け入れ可能でしょうか!?」
「だ、大丈夫です! どうぞ!」
「先生のお名前をお願いします!」
「氷見です! 研修医の氷見 梨奈です!」

震えが止まらない。
知識もなく、味方もいない。
一人ぼっちの救急外来が始まる。


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