可逆性不可逆ストリート
ある日、リビングの掛け時計が逆回転を始めた。
掛け時計だけではなく、目覚ましのデジタル時計もスマホの時計も1秒ずつ遡り始めた。
テレビやラジオも逆再生になり、外を見てみれば人々は前を向いたまま逆方向に背後歩きをしている。
どうやら時が遡り始めたようだった。
何故私が冷静だったのかと言えば、まずは幻覚を見たからだと確信した。次に夢だと思った。そしてついにはいつまで眺めていても変わらないこの景色に圧倒され、発狂しても仕方がないと開き直ったからだった。
遠くのビルが完成系から急にクレーン車が屋上に現れる。
亡くなっていた人々が息を吹き返し、生きていたはずの人間は産まれる前に戻る。
経済活動も、文化も、生物の進化も、全てが逆行する中、私だけが時の歩みを進めていた。
いや、或いは気付いていないだけで私もこの中に巻き込まれているのかもしれなかった。
それでは何故自分のみが時の可逆を感知出来ているのか。深く考えるのは止めよう。きっと崩壊してしまうだろうから。
10年、20年と経つ内にどんどんと景色は懐かしくなっていく。
反対に私は順調に10年、20年と歳を重ねていった。
良いなぁ。皆は若返っていくのに、私は歳をとるばかりだ。
しかし観測していると人が0歳以前に戻った瞬間にこの世から消え去る。それは普通に歳を取って、何らかの原因でこの世を去るのと大差がないと思われた。
ある意味ではタイムスリップとも言えるこの現象で、歴史に名を残していなかった様々な偉人がいることを知った。
こうやって世界は紡がれてきたんだなぁ。
でも全ては可逆してしまった。不可逆と思われた時の流れはある日を境に逆転してしまった。
そう思うと、何故だか泣けてきた。
私だけではない。人類は頑張ってきたのに、どうして......。
もしかしたらあのタイミングこそが世界の終着点だったのかもしれない。新しく0からスタートするのではなく、逆行するという形で世界はバランスを取り始めたのかも知れなかった。
病に臥した。取り立てて大病でもなかったが、体力的にかなり厳しいと思われた。
時は大正にまで遡っていた。平成生まれからすると令和までいって大正まで頑張ったのだから大往生だ。
このまま時は逆行し続けるのだろう。この先を見ていたかったという想いと未来を紡げなかった後悔が残る。
来世は明治か、令和か。楽しみだなぁ。
ゆっくりと目を閉じた。