まちづくりをする不動産屋さんになるまで
まちづくりをする不動産屋さんとは?
社会貢献につながる地域活動と不動産業を両輪でやることと定義しています。
まちの魅力をあげ続けることが、永住を決断してくれたお客様にとっての最大のアフターフォローだと考えています。
まちの魅力をあげることは「住んでよかった」と思えること。
この地に住まい、この地で会社を立ち上げ、地域密着営業をしている私としては、売って終わりというスタンスではなく、「お客様」からこのまちに住む「ご近所さん」としての関係が続きます。
そして、まちはそこに住まう人たちによってつくられます。まちづくりは人づくりでもあると言えます。
「住んでよかった」から、「未来ある子どもたちのためによきふるさとをつくってあげたい」
そんな風に考えてくれる人たちが増えてくれることを願い活動しています。
不動産屋さんができること
不動産屋さんの仕事は「ただ家を売る」だけではないと思っています。このまちに実際に住むことによって、どんな地域なのか、どんな人が住んでいるのか、この先このまちはどのように発展していくのかが分かります。
それと同時に地域が抱える課題も見えてきます。空家のこと、高齢者のこと、外国人との共生のことなど。
それをしっかりお客様に説明し納得して購入してもらう。そして住んでからは一緒にまちづくりをしていく仲間になってもらう。
不動産屋さんは地域のことを良く知ることが仕事に直結する業種でもあります。購入を考えている地域のことに詳しい人とそうでない人がいた場合、当然、前者の方が良いでしょう。
地域に詳しくなるためには、地域の活動をすることが一番早いです。とくにみんながやりたがらないことをボランティアでやることの方がいろいろと見えてきますし、みんなに喜んでもらえます。自治会やPTAなどの活動がそうではないかと思っています。
地域の課題を地域で解決していくことができればまちの魅力をあげることにつながります。そして、そんな考えをもった不動産屋さんが各地域に増えれば、日本全体が良くなるのではないか?と思っています。
と、今でこそそのような思考になりましたが、昔からそう思っていたわけではありません…
少し長くなりますが、遡ってお話をさせていただきます。
地域の活動をはじめたきっかけ
自称「日本一若い自治会の連合会長」ではないかと思っています。(ちなみに35歳からやっています。)
単会の「自治会長」は28歳、29歳のときからやっています。見回すと父より年上の方がほとんどであり、他自治体に勉強に行ったり、調べたりしても近い世代とあったことがありません。
そんな立場ではありますが、実は吉川市にきてまだ10年。生まれは福岡、育ちは三郷市です。福岡は北九州市。三郷は早稲田小学校、三郷北中学校、三郷北高等学校を卒業しています。
高校卒業後、千葉工業大学に入学したものの一年で中退。すぐ働かなければいけない状況でしたので、そのとき見た新聞の折り込み広告に載っている中で一番高い給料の会社に電話しました。
当時は19歳。20歳以下は雇ったことがないからと渋られたもののせめて面接だけでもということで交渉し、その結果なんとか働かせてもらえることになりました。
不動産業界に決めた理由は当時は高い志など全くなく「給料が良さそう」というだけの動機でした。
それでも正社員としてのはじめての会社、初めての名刺、初めての自分のデスク。
とても新鮮でなんだか社会人になったんだなぁと嬉しくなったものです。
入社してからというもの、とにかくがむしゃらに働きました。趣味もとくになかったのでひたすら不動産の世界に没頭しました。お客様に不動産の購入を薦めるのに自分自身が不動産を買った経験がないというのも説得力に欠けるとも思い、21歳でマンションを購入。ちゃんと住宅ローンも組み、一連の流れを把握し、実体験も話せるようになりました。
その後、宅建の資格も取得し、26歳で結婚し、ここ美南に土地を買い、家を建てました。美南に決めた理由は当時私が住んでいた越谷市と、妻の住む三郷市の「ちょうど真ん中」だからという理由とまちの将来性でした。
ここで、住んでから間もなく、今となってはターニングポイントとなった自治会へのお誘いがありました。
「来年、班長お願いします。」
このときにはまだ、「地域活動」というものにこんなに深く関わることになるとは知る由もありませんでした…。
つづく
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