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まちづくりをする不動産屋さんになるまで④

会社と家庭への報告

自治会長に就任したものの、「会社」と「家庭」からしたら一切関係ありません。

会社からは、「別にいいけどちゃんと毎月のノルマはこなしてね。」

歩合制の営業という立場だったので、ある程度自由にはせてはもらっていましたが、自由には責任を伴います。

「は、はい…。分かりました。ご迷惑はかけないようがんばります。」

家庭からは、「別にいいけど、家庭も大事にしてね。家事育児も今まで通りよろしくね。」

「は、はい…。分かりました。ご迷惑はかけないようがんばります。」

と、前途多難な道が待っていることが容易に想定できる中、小さな小さな石井丸は新たな世界へ出航しました。

自治会長の仕事

まず最初に驚いたのは自治会長になると毎週のように市役所からお手紙が届くことです。しかもいろいろな部署からきます。

「○○会議のご案内」

「○○審議会の委員選出のお願い」

「○○協議会への出席のお願い」

などなど。

さらに、その時は知りませんでしたが、吉川市には5つの「地区連合会」というものと95の自治会で組織される「吉川市自治連合会」というものもあると言うではありませんか(; ゚ ロ゚)そして、自治会長になるとほぼ自動的にその組織の一員になっているという仕組み…。

さらにさらに幼稚園、小学校、中学校の入学式、卒業式、運動会、文化祭、夏祭りのご案内などなど…

なっ、なんてこった!((( ;゚Д゚)))

どこまで仕事が増えるのであろうか…不安からしばしば現実逃避することすらありました。

とにかく職責を全うする

自分の加入している自治会以外の仕事もこんなにあるのかと驚きました。任意とは言うものの、無下に断ることもできず、会の代表という責任感から、私が欠席をすると会員さん皆に迷惑がかかると思っていたので、会議や審議会や協議会、幼小中学校の行事、自治連合会の事業全て出席をしました。委員や審議員、協議会会員にもなりました。

月に少なくとも10回くらいはなにかしら自治会関係のことをやっていたと思います。もっとかもしれません。会議の前には資料の事前準備、流れの確認、次回の用意も徹底しました。

当然、こんなペースだと仕事と家庭にしわ寄せがこないはずがありません。

仕事では売上が落ち、家庭では夫婦関係の悪化。

なんのためにこうまでしてやっているのだろうと心底思った時もありました。それでも必死にがんばりました。

美南で一番のイベントである「美南祭」が雨に降られ中止になったときも、わざわざ子どもたちが自宅まで来て「楽しみにしてたのになんで中止にするの?」と悲しい顔で言われました。

泣き言、言い訳をしたいところグッと堪え、「楽しみにしててくれたのにごめんな。来年楽しみにしててな」と。

会の代表とはそれ相当の覚悟、そしてメンタルの強さが必要なんだと感じました。

それでも引き受けた以上は任期を全うしようと言い聞かせ綱渡りのような生活が続きます。

そしていよいよ一年が経とうという時期に入ってきました。

悪夢再び…

「次回の会議は今期最後です。新役員さん、新班長さん合同で開催しますので皆様お声がけ宜しくお願いします。」

あともう一歩というところにきて胸を撫で下ろしました。

そして私は隣に住んでいる元気なおじいちゃんに

「順番ですので…」

と次回の会議に出席してもらう旨を告げにいきました。快く承諾してくれました。

これでようやく平和な日々が送れるぞ!と、

次回の会議が楽しみに感じるほどでした。

しかし、2、3日経過したころ、お隣さんからまさかの連絡がきました。

「体調壊してしまいました。他に頼む人もいません。石井さんもう一年だけ私の変わりにやってくれませんか?」

「えっ…」

つづく…

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石井亮英
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