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青い鳥を定義する コルクラボ編集専科 #6 最終回

独身時代の「あー結婚したい」とか、激務の最中にふとつぶやく「ハワイ行きたーーい」くらい、現実味がない憧れのひとつに「編集の仕事がしたい」というのが、わたしの中にあった。

自分の抱えていた課題の解決と、クリエイティブな仕事への憧れがクロスオーバーしたところに当てはまるのが、たまたま「編集」という仕事だったのだ。

漫画の後書きにある編集者さんとのうちわ話みたいなやつ、地味に好きだったのもあり、わたしの中で「編集」はテラハの流佳のいう“スパイダーマン”になってたのだ。

「自分発信」に飽きた

課題なんて言うと大げさだけど、平たくいうと、それまでの自分のやり方に飽きたんだ。いつも「自分発信」で「自分でやり切る」ばっかり。それだと広がりがないし疲れるし、達成感はあるけど、あんまり楽しくない。

だから、共同経営のベンチャーをやってる人をすごく羨ましく思ったりする。そんな仲間に出会いたいし、誰かとの相乗効果で価値を高めるようなことをしてみたい。
だけど、わたしは人と深く関係を築いて、発展させるのが苦手だ。

身近な編集者の人たちは、そういうことが上手な人が多い。わたしと同じような仕事をしているはずでも、ある種の豊かさがある。

これは克服して近づきたい。今回の編集専科の成果のひとつは、編集者の方々のお話を聞けたり、お話しできたことで、彼ら彼女らのコミュニケーションの仕方を肌で感じることができたこと。人と接するときに、脳内に編集者の小沢一郎さんを召喚して話してみたりしている。イタコか。

プロとしての素人目線を持つ

「コンテンツを強くする」「コンテクストを作る」これが編集の役割として大きいけれど、もうひとつ大事なのは「プロとしての素人目線を持つ」ということ。

実際に、言葉をどう捉えているか語り合って捉え方の違いを認識するワークショップや、漫画を読んで感想を言うワークショップをやってみて、難しさを感じた。

どうしても、正解を探してしまうのだ。カッコつけて、いいことを言おうとしてしまうのだ。「正解はないからね」とらいくら佐渡島さんが強調してくれていても、これを変えるのはすぐには難しかった。

だけど、この難しさを体感できたのがとても良かった。自分に嘘をつかず、なるべくシンプルに生きたいと思ってるけど、まずは「感想を言う」を練習しよう。

挑戦に立ち会うという贅沢

この編集専科を通じて、コルクラボにも入った。「なにが楽しいの」と言われると、よく分からない。ただ、よく分からないからいいのかもしれない。

分かるということは、完成されてるということだけど、分からないというのは、まだ途中だということ。これから誰かが形にして、名前をつけて、みんなに知られて…そのタネがゴロゴロと散らばってて、よくみると育ってるんだ。そういう場に立ち会えることに、わたしは価値を感じてる。

「感覚的と思われがちな編集の仕事をメソッド化する」という壮大な目的のある編集専科も、まだまだチャレンジの途中なんだと思う。その初回に立ち会えて、本当によかった。

編集専科を立ち上げてくれた佐渡島さんに感謝してるし、同じ時代、同じ渋谷(わたしの勤め先もなのだ)でこういうことが行われてること自体、テンション上がる。

それに、佐渡島さんの編集力の一端をみたけど、それは電子レンジみたいだった。電子レンジが食物中の水分を沸騰させるように、多くの人の中にある「作家魂的なもの」を震わせて熱くさせるようだった。

この熱を、ちゃんと育てよう。

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minamauxみなもー/ヨガするデジタルマーケター
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