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 「何故人を殺してはいけないの?」への私考

「人を殺してみたかった」

この言葉には悲しみしかない。
なのに、また目にしてしまった……。
長崎大学の学生が見ず知らずの初老の婦人を殺害して取り調べで言った言葉らしい……。

以前に、教師をしている友人が
「生徒が “どうして人を殺してはいけないんですか?” と質問してきたらどうしたらいいのか……」と嘆いたことがある。
「簡単だよ。いきなりその子どもの首を絞めて、“こうされたら、あなたはどう感じる? それが答えです! ” と、私なら答えるな。」と言ったら、
「それは無理……」と苦笑していた。
確かに荒療治ではあるだろうな。
ちょうどその頃、連れ合いのお父さんを連れ合いの実の兄に殺されて2年くらいしかたっていなかった頃なので、確かに過激気味ではあったと思うけど。
……でも、今なら、言葉で伝えられそうな気がしている。

「どうして人を殺してはいけないの?」と尋ねられたら
私はこう言いたい。

「あなたは人を殺してはいけない理由がないのなら、
 殺してもいいと思っているんだね。
 確かに、思うのまでは自由だね。
 でも、そう思うのなら、
 他の人が “ならば、私はあなたを殺したい! ” と言ってあなたを殺そうとした
 時に、あなたは抵抗なく殺される覚悟が必要だよ。
 だって、あなたも相手からすれば “殺していい人“ なんだから。
 “人を殺してもいい“ ということは、
 あなたという “人“ を殺してもイイということでもあるんだよ。
 自分が殺されたくないのなら、あなたは人を殺してはいけない。
 相手も大切な生命を持つ自分と同じ人間なんだということを
 忘れてはいけない。
 それがこの世界で生きていく為に一番基本となるべきルールの一つだと思う。
 だから、私は今……いや歴史的にもずっと
 戦争が起き続けていることが悲しくて仕方がない。
 どんな名目や正義的な理由があるとしても、
 人を殺すことが正当化されている部分が世界の何処かに存在するのなら、
 あなたの言い分は理屈に合っているように感じられてしまうから。
 “殺す“ ということは、殺されたものの世界を全て壊してしまうということだ。

 人は一人で生まれることはないよね。お父さんやお母さんがいるよね。
 兄弟姉妹だっているかもしれない。友達だっているかもしれない。
 そんな関わっている人たちの世界もあなたは壊してしまうことになる。
 殺そうとしている人が産み出すはずだった子供の世界も壊すことになるかも
 しれない。
 ……そう、“ 殺したい” だけで、たくさんの世界を破壊してもイイという理由
 は何一つないと思う。
 私は、どんな理由があったとしても、殺さずに済む道を模索し続けて生きて
 いきたいと思っている。
 “人を殺す“ ということは、それだけの大きなことなんだと思うよ。」

これで……伝わるといいけれど、どうなんだろう?

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