横森美奈子の「新・ROCKの化石」1★子供の頃から洋楽志向で(1960~)
東京は昭和の牛込(今の新宿区)の、やや山の手風情の普通のサラリーマン家庭で育ったけれど、両親が根っからの洋画・洋楽好き(その趣味が合って結婚に至る)だったので、子供の頃からスタンダード・ジャズなどの洋楽が耳に入っていた環境ではありました。
自分で興味をもって音楽を聴くようになった記憶は、小学生3~4年の頃か夜のラジオ放送で、小島正雄さんというDJへ電話でリクエストする番組があって、そのリクエスト曲がかかると「新宿区の横森さんからです」と、時どきラッキーにも名前を呼んでくれるのがすごく楽しみだった♪
当時はロック出現以前、洋楽のヒット曲をポピュラー・ミュージックと言っていてオーケストラものが多く「真珠採りのタンゴ」(1957 リカルド・サントス・オーケストラ)なんかをリクエストしていた。
その後の「夏の日の恋」(1959 パーシー・フェイス・オーケストラ)や「白い渚のブルース」(1962 アッカー・ビルクとその楽団)のように、それは海外旅行などまったく一般的で無かった時代に、まだ見ぬ憧れの外国の景色を一瞬で夢見させてくれるような、豊かで叙情的な感じが音楽として新鮮だったのだと思う♪
―――調べたらそれは、『9500万人のポピュラー・リクエスト』(文化放送)という番組で、小島正雄さんの上品で優しい声や口調もよく覚えている。元がジャズマンとかでTVにもよく出ていて、柔らかな物ごしや洒落た会話など素敵なオジサマという感じだった。その人が、今や藤井風などで有名な超売れっ子プロデューサー・Yaffle(小島裕規)の大叔父ということを最近知ってさすが血筋なのかと、長く生きていると面白い発見があって楽しい♪
当時はテレビで、結構外国の音楽番組も放送されていて、それを娯楽として一家団欒していた記憶もある。
NHK『ミッチと歌おう』(1963~1965 ミッチ・ミラー率いる男性合唱団)は正しい家族団欒もので、日曜日の午後にふさわしい番組だった。
でもイギリスのワイルド・セクシー歌手『トム・ジョーンズ・ショー(タイトル名不詳)』もあったり、黒縁メガネがトレードマークのギリシャ歌手『ナナ・ムスクーリ・ショー(タイトル不詳)』など、今思うとなんだか直輸入すぎて不思議な(?)番組がオンエアされていたような。。
とにかく外国の情報が少なかった時代だし、観るほうも外国のものなら何でもいい、みたいなことだったのかもしれない。とにかく家族で観ていた。
また日本でもショー番組がぼつぼつ出てきて、今でも美しく素敵な草笛光子さんの『光子の窓』(1958~1960)や、国民的人気だったおしゃれな双子姉妹ザ・ピーナッツが看板の『ザ・ヒットパレード』や『シャボン玉ホリデー』、中島ひろ子さんという上品なデザイナーがMCのNHK名番組『夢で逢いましょう』(1961~1965)などは、永六輔・中村八大の素敵な曲や洋楽っぽいノリもあって、どの番組もとても楽しみだった。
そういえばこういう番組につきもののビッグ・バンドのリーダーとして“踊る指揮者”スマイリー・小原(とスカイライナーズ)の、濃ゆい超クセありのルックスと動きは、子ども心にも強烈な印象で、そういえば80年代のアメリカのコメディー・アイドル、大好きだったピーウィー・ハーマンと被るような感じで、時が時なら“キモかわいい”キャラとしてすごくウケたのでは、と思ったり♪ 早すぎたかもです。
ーーー小学生の時に初めて買ってもらったシングル・レコードは、イギリスはシャドウズの「アパッチ」。新宿のコタニという大きなレコード店で、弟はその頃TVでアメリカ西部劇も人気だったので、その中の「ブロンコ」のテーマ曲を、だった。
シャドウズは4人のインストバンドでエレキ・ギターの音がカッコよく、黒縁メガネのハンク・マービンが印象的で、でも当時メガネはファッションでは全然無く彼のスタイル(たぶんバディ・ホリーの影響かと)。
ググってみたら細身のダーク・スーツを着こなした4人の姿は今見てもじゅうぶんカッコいい。
―――ここで発見、ビートルズの、デビュー時(1962)のシックなテーラード・スーツ・スタイルは、それまで革ジャンスタイルの小汚いルックスだった彼らを、お金持ちのボンであるマネージャーのブライアン・エプスタインが着せたのだと思っていたのだけれど、そのスタイルはシャドウズがとっくにやっていたことと今頃知った。
なのでビートルズを始めとするその後の英国バンド・ムーブメントのルックスにも大いに影響していたということになるから、その点も今頃シャドウズすごい~!とか思ったりして。好きなバンドが時を経て自分の中で何らかつながるのも”掘る”楽しさ♪
当時、芸能人といえば派手なテカテカピカピカした衣裳が多かったのを、シブいシックなスーツというのは画期的だと。
ちなみに、それまで日本では“スーツ”でなく“背広”と言っていて、それはただ「大人の男性が着る服」という、いわば制服チックなイメージでしかなかったのが、ビートルズのスーツ着用でそういう服のカッコよさを知った私。
そのン十年後に、メンズBIGI社の“HALF MOON”を手掛けることになった時、女性用テーラード・パンツスーツを世に先駆けて提案した。このくらいから憧れをもって自然とテーラード・スーツへのお勉強を始めていたのかもしれない。
シャドウズは、英国製プレスリーというふれこみのクリフ・リチャードのバックバンドだったり、でもビートルズ以前のシャドウズも結構大ヒットしていて、しかしそんなバンドを好きになるなんてなかなかセンスいい小学生だったな私(笑)
たまに遊びに来る母のいちばん下の弟の若い叔父からは、黒人ジャズ・ピアニストのセロニアス・モンクのシングル盤“ブルーロンド・ア・ラ・ターク”などもらったり、カッコつけたい人たちはモダンジャズを聴いている時代でもあった。
かといってハリー・ベラフォンテのラテンぽいレコードもあった、そういう洋楽一緒くたの環境だったというか。
そしてこの頃の大スター、エルヴィス・プレスリーは私より年上の従姉妹などに人気で、小学生の私ではセクシーの意味もわからず歌もピンと来ず。
中学になって母親にエルヴィスの映画に連れて行かれた時は(@新宿ミラノ座)、『ブルーハワイ』や『VIVA!ラスベガス』など、彼はもう歌手というより映画スターという感じだった。私は後者の映画でエルヴィスよりもおきゃんな感じのアン・マーグレットにすごく惹かれ憧れ、真っ赤なジャージーのシャツワンピースを買ってもらった憶えが。
―――そして最近2024年のこと。話題になったバズ・ラーマン監督の映画「エルヴィス」(2022 アメリカ映画)を観に行った理由は、彼の歴史もまあ知っているし曲はいくらでも聴いたことはあるけれど、見たいのは歌手としてブレークする瞬間の熱気やプロセスだった。基本ブルース・ロックが好きなので、やはり黒人音楽を取り入れた先駆者としての偉大さと苦難に、いたく感動して2回観に行ってしまった♪