「見えないナニカ」をそんな力ずくで否定しなくてもいいかな的な、あるいはThe Universe祭り
おにぎりを最近リアルに朝食にいただいている占い師・アーティストのミナコです🌞
ここのところ、色んな人と楽しくお話しさせていただく機会があり、ホクホクしています🍠占いを通じて知り合った方々でも、考え方や占いとの付き合いは本当にそれぞれ。
わたしはというと謎のThe Universe出まくり案件(他の方のところでThe Worldも出まくってた)がありましたが、こちらは文末にまとめるとして。(すごい量で自分でびびった)こういう「同じカードが何故かずっと出る」みたいなことも含め「見えないナニカの力が働いているのでは…」と思うことはたびたびあります。それは、わたしがもともと物を作ったり、人の作った物に触れることが好きだから、ということが大きな影響だと思います。今回はそのあたりのおはなし🦑
わたしはトートタロットをメインにして占いをしていますが、初期から「今わたしのこと見てた?!」と言ってもらったりw、すんなり占いと仲良くできたところがあるような気がします。
78枚のカードから、わたしがカードをめくる。そこには何があるかわからないし、わたしは狙って特定のカードを引くことはできません。ここで「太陽」が出たら占いがいい結果になるな〜と思うことはあるけれど、引いたカードたちが一見ネガティブに思えても、そこからどうやってこの先に繋げるかは使い手のわたしのやることだと思っています。「いいカード出なかったからだめー!」ってことはありません。むしろ、その後、カードに関わったわたしや、みさせてもらった方がより良く過ごせることの方がよっぽど大事🌞占いだけいい結果になったって仕方ない。いい結果はそれとして、実現させたいけど。
そういう意味では「この場で最悪なカード」が出たとしても、それはそれとしてこの場に合わせて読もう!と決めているのが、わたしの占いに対する向き合い方で大事なことなのかもしれません。ホロスコープを眺めていても同じです。変えられないところはどうしてもあります。ただそれを嘆くより、活かせる使い道を見つけたい。
これは、わたしが物を作っている時と、とてもよく似ています。
例えば絵を描いている時、ちょっと手がぶれてしまって、そこに描く予定がなかった線が生まれたとします。それは「計画ではなかった」という意味では「失敗」です。
それを当初の「計画」と照らし合わせて考えてみます。ここに線があってはいけないのなら、修正する必要があるでしょう。でも、ここに線があることでもしかしてより素敵になるのでは?これに従ってみてもいいのかも?と思ったら、取り入れます。
問いを浮かべながらタロットを引くときはカードに役割を与えて読みます。「このカードは過去」「このカードはアドバイス」みたいに。
「問い」を先ほどの絵の例えで「計画」として、例えば今日1日の運勢を読もうとした時、自分の日常には当てはめづらいイメージのカードが出ることもあります。それをすこし飛躍した読み方をしてもいいのかもしれない。そのカードを見るまで思い浮かべなかったことがいいヒントになるかもしれません。
自分の力が、タロットなり筆なり、何かによって少し役割が広げられた時、可能性はそれだけ増えているはず。自転車に乗れば自分の走る以上のスピードが出るのと似ています。ただ、自分の力以上のスピードだから、気をつけないと転んでしまう。タロットを使う時も、絵を描く時も、似ているなと思うのです。
わたしはいい天気の日に「ここに行ったら綺麗な空が見えるかな?」と予想することはできますが、なんでもないときに「今晴れろー!!」といっても、天気を変えることはできません。でも、何気なく綺麗な空に心動かされてしまうときもあるし、大切な人とテレパシーを交わしたかのようなやりとりができて笑みがこぼれるときもある。なんだかわからないけどすごいな!という小さな感動の積み重ねで、また小さくて美しい何かに気づく。それを絵にしたり、言葉にしたりして、また違う楽しみを得る。
だから「自分1人の力だけで全部をやってる!」なんてわたしは思えないのです。誰かの優しい心遣いも含めて、それは見えないナニカの力みたいに働く時がある。そういうものたちにできれば細かく心を動かして、でも目の前の段差に躓かないようにしたいなぁ、みたいに思っています🌞🍙
占いやっとるけん
The Universe祭り
わかりはじめたMy Revolution
鑑定ではちゃんと細かく出るので大丈夫です笑笑