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不完全であることの優しさ、豊かさ

歴史の中で声もなく埋もれた人たちの声が無数にある 
その声が耳の底に鳴ってくる

   歴史小説家の杉本苑子さんの言葉です。

歴史の中で埋もれそうになっている無数の作品がある。
私はその声を求めてピアノに向かい続けている気がします。

、、

アメリカ留学時代、ユージン・プリドノフ先生にシューマンのピアノソナタ第1番をレッスンで聴いていただいた折、

先生が「この曲初めて聴いたよ! 僕はなぜ今まで、こんな素晴らしい作品に興味がなかったんだ?これはもっとコンサートで取り上げられるべき傑作だよ」とおっしゃいました。

作曲家は確かに、その傑作をとおして世に知れ渡り
歴史に名を残すのかもしれません。

でも、芸術作品の“傑作”ってなんでしょう?
何によって、誰によって、決められるのでしょう?

たとえば、有名=傑作 でしょうか?

有名な作品というのには
出版社が大衆ウケを見越して作者の生前から出版したり
時にはタイトルのみならず、“伝説”まで創作して
誰かが故意に世に出したものが少なくありません。

  一方で

手記や、親しい人への手紙のように
作曲家が心の声を音に綴ったような

“これこそ、言葉を介さず心に届くメッセージだ”と
あたたかな気持ちを呼びおこしてくれる
素敵な小さな作品も、それ以上にたくさんあります。

その多くがほぼ“埋もれている”状態にある背景には

  知名度(一般的な人気)がないとか
  地味で弾きばえしないとか
  演奏者のポテンシャルを誇示するには役不足とか

といった理由が潜んでいることも。

実はそんな曲こそ、演奏家の本領が試されるのに…。

、、、

わたしたちが、誰かに心惹かれるのは
そのひとが聖人君子だからではありません。

相手も自分と同じように悩み、苦しむ
ひとりの人間なのだと感じたときこそ
その人への愛しさが溢れるのではないでしょうか。

  不完全であることの優しさ、豊かさ

誰もが認める傑作も、もちろんいいのだけれど
バガテルのようなさりげない作品には
等身大の“ひと”の、命のぬくもりがあります。

小さな作品に息づいているその命の輝きを
心をこめて伝えることも
演奏家の大切な役わりだと感じています。

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