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ネパールツアー2023報告④

ジュプラコラ村


スルケットのホテルからタクシーで25分ほど移動して、ジュプラコラ村へ。
スルケット空港から割と近い村で、ハンナやシータ達、最初のバディ族のこどもたち38名が救出された故郷の村。空港から近いからか、今もライトハウス他、様々な支援団体が入っている。教会もあった。
砂利を集める仕事をするため、バディ族100以上の家が集まった川沿いの賑やかな集落。飼われているヤギがあちらこちらにいっぱいいた。

教会があったせいか、この日集められた村人たちはクリスチャンが多かった。
愛で、新しい時代を引っ張って行ってくれますように

次世代が仕事を得るには

シータの実家に大勢のバディ族の女性たちが集まり、全戸調査をしつつ、こんな仕事があったらいいなど考えを述べてもらったりした。(養鶏は、暑すぎて、鶏が死んでしまうらしい!やっぱりヤギ?これから要相談だ)
縫製もいいが、パーラー(美容サロン?)がやりたいと言う若い人の声も。
世代毎に、ニーズや夢が違っているのは、どの国も一緒だねと思いつつ、
仕事と言えば、素手で砂利を集めて政府に売ることでわずかな収入を得ているお母さんたちの手は、すっかり大きくなってしまったので、縫製のような細かな作業はがこの指でできないよ、と言っていたのが胸が痛んだ。
そんなおばあちゃん世代で、読み書きできる人はジュプラコラ村でもほぼいなかった。娘たち世代(30代より下)は割とみんな学校に行った経験がある事がわかった。働ける人はだいたいみんなインドへ出稼ぎ。教育が必要ではないと思う人はもういなかったけれども、でもまだやはり「女は15歳になったら結婚」と思ってる人は多そうだった。

美容の意識が高い若いバディの人々。繁華街に行くほど様々なパーラーがあった。
きっとあこがれの職業なのかもしれない


シータの故郷。あつまった村の人々。砂利を集めた手、の写真は撮れなかった
詳しく村人たちの生活状況を聞く。シータたちがいるおかげで信頼してお話しくださった

村人がぎゅうぎゅうの部屋の中で、疲れがたまったのか、私も熱中症?のようになり、急激に頭痛がしてきた。と伝えたら、沢山のお母さんが扇風機の付いた部屋に寝るように言われ、寝かしてもらう。なんにも言葉が通じなくても伝わる、お母さんたちの優しいまなざし。視線だけで「寝てなさい」と言ってくる。きっと実年齢より私は若く思われてるだろうな~でもなんかありがたくって、すっかり甘えてしまう。
 
それにしても、気候変動の中にある近年の夏(まだ6月末だったが)を考えると、村でエアコンなしで過ごすのはますます厳しくなるだろうと感じた。
日本から持ってきた、梅系、レモン系、塩アメ系、こんぶ系のおかしや、カロリーメイトなど、総動員の2日間だった。水も炭酸飲料(マウンテンデューをやたら飲んだ)も毎日2リットル以上は取ったと思うが、汗をかきすぎているのか、昼間は一回くらいしかトイレに行かなかった笑
マンゴーをはじめ、現地の果物はとびきり美味しかったけど。
(こんなん食べたことないくらいに甘かった✨)

Today’s Prayer


あたたかいおかあさんたちの手を感謝します。
その手で、いろんな仕事をしてきました。
膨らんでしまった指が慰められますように。
夢は子ども達です。村の子供達の未来が明るいように。
カースト差別、教育格差がなくなり、人生の選択が与えられますように。

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