油麩丼
まだnoteの使い方に慣れていない。それなら、慣れるまで使えばいいことだ、というのが私の考え方の中心にある。ちょっとしたことだけれど、なんだかとても大事なとのように感じる、とここまで書いていたら「類似性」という変換が勝手に出てきた。どちらでもいいけれど、類似性というのはキーワードのような気がする。
それで、読書日記にしようと思っていたnoteを、日々の日記(読書日記を含む)にすることにして、まだ午後の4時だけれど書いてみる。
最近にしては、早めに動き始めた朝は、日々のカードをひいてのMessageをインスタグラムにシェアして、なにせ私の現在の肩書きはスピリチュアリストだから、それらしいことをしている。ただ、それらしいことだけ、というよりは好きなのだと思う。今はお花のカードを使い、今日はライラックが出たので、ライラックの言葉をMessageとして掲載。
その後に、新聞を読み(今も紙の新聞を購読している)またも新型コロナウイルスの感染拡大を知る。新聞というのは、情報のひとつなのだろうけれど、私にとっては子供の頃から馴染みのあるもので、兄姉とともに小学生の頃から読んでいた。そしてそれが当たり前だと思っていた。デジタル版も便利で、都内まで通勤していた頃などはデジタル会員として通勤電車の中で、さっと目を通すようにしていた。なぜだろう。新聞があることがいい。ざっとでも読まないと気持ちが悪い。子供の頃からの習慣というのは、そのようなものなのだろう。
気がつけばお昼ご飯の支度の時間になり、作り始める。外出自粛でもあるから、パートナーの仕事への影響も考えて、ここ数日はできるだけお昼も作るようにしている。私も外出できない、ということが第一理由だけれど。
昨日久しぶりに買い物に出て、仙台麩が気になり、今日のお昼は油麩丼とニラと豆腐のお味噌汁を作り、NHKの番組風にパートナーにはLINEで「サラメシ風、まかないできてます」と連絡。仕事をしていて会社にいるようなものだから、LINEで連絡するのも通常通りのことだ。初めて作った油麩丼は、ちょっと味が濃かったかもしれない。それでも、簡単でも良いから正午を目標にお昼ご飯を作るというのは、今が何時であるかという目安にもなるなと思う。
それからは、ブログのメンテナンスをしたり、PCに向かっているうちに夕方という時間になり、今こうやって日記を書いている。
何でも良いのだと思う。日記だから。noteだとテーマ欄があるので、文章の先でも後でもテーマをつけるという楽しみもあると気がついた。
そんなわけで、油麩丼の写真はないので先日焼いたクッキー(どことなく仙台麩に似ている)の写真を代わりに載せているけれども、2020年4月1日の日記である。
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