わかってもらえなくて辛い時には #人生に効く昔話の処方箋
ちょっと接点のあった人、仕事関係の人、友人知人、いろんな場面で
何でわかってくれないのだろう…と思った時に
取り出すのは日本の昔話「サトリ」。
お爺さんが、山奥の小屋で竹を使ってかんじきを作っているところに、ひひのような顔をした「サトリ」が来てお爺さんが心に思ったことを片っ端から口にする。
「こいつ俺を食おうとしてるな」とお爺さんが心の中で思えば、横でサトリがすぐに「こいつ俺を食おうとしてるな」と口にするのだから、恐ろしい。何を考えてもお見通しなので、作業に没頭していると丸めた竹が弾けてサトリの顔に当たり「人間はおっかない、サトれないことがある」と逃げていった、というお話。
私たちは、わかってもらえないことに
苛立ち、怒り、悲しみ、辛いと思うことはあれど
サトられないことのもたらす
幸運、安心感、素晴らしさをすっかり忘れている。
キリスト教の祈りに
「思い、言葉、行いによって度々罪を犯しました」と懺悔するくだりがあるし、
人間は一日に5、6万回思考するとも言われる。
わかってもらっちゃ困ることも沢山頭や心に浮かぶのが人間だ。
頭や心に浮かんだくだらないアレやコレ
つまらないアレやコレ、邪悪なアレやコレ、
エロいアレやコレ、黒歴史なアレやコレ、
わかってもらえなくって、良かったね。
わかってもらえない、悟られないということは
わかってもらいたいことだけを選べるということ。
手段を変えて、繰り返して伝えるという選択肢があるということ。工夫の余地もある。
丸めた竹が弾ける偶然に頼らず
自分でアクション起こす余地があるということ。
わかってもらえないままでいいや、ということは放置する選択肢もあるし
わかってほしいことは、繰り返し伝えるという選択肢もあるのだ。
よかったね、
サトラレず、簡単にわかってもらえない世界で。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?