何の取り柄もない私は、どうすればいいの? #人生に効く昔話の処方箋
世の中には優れた才能を持つ人が沢山いる。
特に取り柄のない自分なんて、お呼びじゃないと思うことなんて、よくあるよね。
「眠り姫」として有名なグリム童話「いばら姫」
いばらの森の中で100年の眠りについたので「いばら姫」と呼ばれたの。
森の中で眠る美しい姫の噂を聞いてやって来た近隣の国の王子たちは、いばらに行き先を阻まれて次々に死んだ。
眠り姫は、王子のキスで起きたと思ってる人も多いけど、アレ
たまたま、100年経ったタイミングで森を訪れた王子が100年の呪いが解ける瞬間にキスしただけだからね。
「時間の一致に奇跡があって
それがメルヒェン(昔話)を作っている」
とは、昔話研究者リュティ先生の言葉。
昔話も人生も一致の奇跡で出来ている。
どんなに武勇に優れた王子でも
イケメン王子でも
タイミングが合わなきゃ、いばらに刺さって死ぬし、
何の取り柄もない王子だったとしても
100年のタイミングに合えば、美しい姫とめでたしだ。
時代によって評価される能力は移り変わるし、
実は最終的に、結末を決めるのは能力ではなく、タイミングなのかもしれない。
いばらを突破しようとして死んだ王子たちの時と異なり、100年の時が経とうとした時に城を訪れた王子の時には、いばらが自然に道を開いた。
これと言った取り柄のない私たちは
いばらが自然に道を開く瞬間に居合わせる幸運を祈りつつ、
その瞬間を見逃さないでいる、ってことが大切なのかもね。
今、成功者として名を馳せている人たちは
開拓者のような顔をしているけれど
行手を阻むいばらに無理に突進せずに
いばらが道を開けんとする瞬間を待ち、見逃さずに道を選んだ人なんじゃないかな。
昔話も人生も「一致」の奇跡でできている。
能力がーー、容姿がーー、と自分の方ばかり見つめてないで
「一致」の瞬間を見逃さぬように
窓の外をじっと見つめようよ、
ね?ご一緒に。