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移住して2ヶ月でわかったこと。

湘南エリアのはずれ、逗子に引っ越してもうすぐ2ヶ月。
思えば、転勤や家庭の事情などのわかりやすい理由がない引っ越しは生まれてはじめて。

タワマンの街で長男がぽつりと「庭が欲しい」と言った2019年のクリスマス。なんだかハッとしてしまった私たち夫婦は郊外の土地を探し始め、年度が変わるタイミングで本当に引っ越してしまった。

庭を作ることこそ叶わなかったけど、2階にテラスを作り、すぐそばにプールのある大きな公園(私的にはもはや庭)、その先には広い森、海までは自転車で20分足らずという場所に新居はある。

幸運にも(?)この場所に決めたのはコロナの長期化で移住ニーズが高まる前。今や都心から1時間のこの町には「もう売る物件がない」と言われているほどで、コロナ以降は人気に拍車がかかったようだ。それもそのはず、東京とのほど良い距離感とアクセスの良さにも関わらず、土地の平均坪単価は前の街の1/3ほど。図らずも良い買い物をしたらしい。

・・・
なんて書くと、最高の移住をしたように思われるだろか?
たしかに上記は全部事実だし、
引っ越した直後からここでの暮らしは快適だ。

でもさ、今までは(独身時代ほどではないにせよ)“丁寧な暮らし”という言葉を聞くと後ろめたくてじんましんが出るような、テキトーで便利な消費生活をしてきたんだよね。時間に追われて慌ただしく生きるのがノーマルモード。
そんな私がゆったりした田舎に移ったところで、急に「&Premium」や「KINFOLK」に出てくるような豊かな人間にはなれないんですよ。

それに移住と言っても県内移動だし電車でたった40分の距離。
そんな移動で人生変わるはずがない。
移住を万能視してはいけない。
都会で暮らしてた人がチャラついた気持ちで「移住サイコー!」とか言ってたら地元の人もウザいだろうし、ここは慎ましい気持ちで臨もう。(そもそも引っ越しと言わず“移住”と呼ぶのもなんか自分で鼻につく。移住というほどの覚悟もないのにね。ブツブツ。)

なんてことをごちゃごちゃ考えて、
移住生活にどっぷり心酔している夫を横目に、得意の予防線を心の中でぴっちり張り「期待しすぎない」「後悔もしない」謙虚な僧のような気持ちで暮らしはじめた。

前置き長くてすんません。
そんな私の(わりと)バイアスのない心で感じた、逗子歴2ヶ月の所感をどうぞ。


◾️ 鳥がすごい。

鳥のさえずりで目が覚める、なんてキャンプくらいでしか味わえないと思ってたけど、これが日常でびっくり。
とにかくいろんな種類がいて、私がわかるだけでもウグイス、トンビ、シジュウカラ、スズメ、カラス、カモなどなど・・・。
ピーチクキュルキュル聴こえる中で過ごすのは、とても癒される。
落とし物も多いけど、窓に落とされたら雨が洗ってくれるのを待つ、という怠惰なサイクルに入ります。

あ、あと近くの川に亀と錦鯉がたくさん。
日向ぼっこしてる亀の数を数えるのが日課です。

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◾️自転車は車両である。

いや私だって自転車が車両扱いだってことぐらいは知ってるんだけど、なんだかんだ自転車に乗るときも歩行者寄りの意識があったのよね。
でもこの町の自転車はほとんど車道を走ってる。
なぜなら道が狭いから。
そしてそのぶん車はとってもゆっくり安全運転。
驚くほど譲ってくれるし、道路を渡ろうとすると2台目くらいで停まってくれる。

そんな感じだから、なんと2年以上死亡事故がゼロなんだそうな。

そういえばこの町で急いでる人にまだ一度も会ったことがないと、今気づいた。改札に向かって小走りしてるのなんて私くらいなもの。この余裕の差は何・・・。

◾️いろいろゆるく、いろいろシンプル。

学校見学行ったら先生が土足の自転車で昇降口上がっててビックリしてたら「靴のままでどうぞー」って言われたり(上履きの意味よ)、
年度初の保護者会に出席したら、先生の挨拶1分、保護者の自己紹介は1人20秒程度であっと言う間に終了したり、
出したはずのPTAの提出物が4、5日そのまま戻ってきてたり、
忘れ物しても宿題サボっても放置されるゆるさなのに、謎にクラスがまとまってて団結してたり、
町のお店も、イベントも、役所も、とにかく余計なこと言わないし無理にキレイにまとめようとしない感じ。

あぁなんだ、これで良いんだと思わされることだらけ。あるべき論に囚われて整えようとしがちな自分にとっては、とても学びが多い。

◾️子どもの野性炸裂。

朝は海、そのあと公園、午後は別の公園、夜バーベキューと花火、とかの日がある。
当然子ども達は20時台に爆睡→6時目覚ましなしで起床→至福のゲームタイム、というルーティンが続く。
子どもの体力は底なしと言うけれど、かーちゃんの体力は底が抜けそうです。
おかげでコロナ太りは戻ったけど。

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◾️湿気やばい。

これみんな言うやつ。

◾️“どうでも良くなる感”とどう付き合うか。

これは戸惑いを感じつつ、折り合いのつけ方を考えてること。
時間の流れ方が違う土地に来たことで、「そんなに頑張らなくていいんじゃないか?」という空気が自分にずっとまとわりついてるような感覚になる。
たとえば忙しい仕事の合間を縫って旅行に行くと、あんなに忙しかったはずなのに、旅先ですべてがどうでも良くなって何とかなる気がしてくる、あの感覚。あれが日常的に襲って(?)くるのだ。
田舎のスピード、都会のスピード、両方の狭間でどうバランス取ってアウトプットしていけば良いのか?
いや、たぶんそういう単純な次元の話ではなく、なんか価値観を根本から見直してギアを入れ替えるような作業がどっかで必要な気がしてる。

まだまだそれが何なのか全然見えないけど。世の中がすんごいスピードで変わってるんだから、私たちだって変わって良いよね!って気持ちでいよう。固く捉えるまい。

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とりとめもない所感ですが、過度な期待をしないようにと暮らし始めたこの土地は、結果的に今の自分にぴったりだったのかもしれない、というのが結論です。

最後に大前研一先生の言葉を。
別に今変わりたい!とか強く思ってるわけじゃないのに、なんかドラゴンボール的に3つのファクトのボールが揃いつつあるわ、どーしよう。

人間が変わる方法は三つしかない。一つは時間配分を変える、二番目は住む場所を変える、三番目は付き合う人を変える、この三つの要素でしか人間は変わらない。もっとも無意味なのは、「決意を新たにする」ことだ。かつて決意して何か変わっただろうか。行動を具体的に変えない限り、決意だけでは何も変わらない。

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