日の出の日 #3

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 俺たちは他愛の無い話を続ける。
 その間も三村のピアノは、言葉に色を付けるみたいに鳴り続けた。

 今まで会話をしていなかったことが信じられないくらいに話が弾んだのは、もちろん明け透けな三村の性格のおかげもあっただろうけれど、それ以上にピアノが手助けしてくれたから、というのもあるんじゃないかと思った。
 授業中にあった小さな、だけど俺たちにとっては大きな事件のことや、教師たちのおかしな癖の話題で笑いあうと、今まで接点はなかったけれど、やっぱり俺たちは何かを共有してきたんだということを意識させられた。

 おあつらえ向きに、今の曲はゆっくりと寂しげだ。

「なんつーか、三村って……」
「ん?」

 三村が小首を傾げる。真っ直ぐに見つめられた俺は気恥ずかしくなって、思わず目線を逸らした。
 それから、聞こえなければ良いと思いながら、小さく呟いた。

「……もっと早く話しかけてれば良かった」

 けれど、その声はしっかりと受け取られてしまう。やっぱり、ピアニストだから耳が良いんだろうか。
 三村は目を閉じて、苦笑いを浮かべた。

「もう遅せーよ」
「……確かに」

 三村がピアノを弾いたままで、器用に肩をすくめる。
 それから、ちらと俺の表情をみやると、少し重くなった空気を一変させるように曲を変えた。
 今度はさっきまでとはうって変わって、随分テンポの速い曲だった。

「そういえばさ、打ち上げとか、ないの?」
 曲と同じ、軽い調子で俺に尋ねてくる。

「あー、どうせ夜からだからまだ時間あるし。タカシたちは先にカラオケ行ってるらしいけど、俺はもうちょっと色々見て周りたかったから」
「なるほどね。……もしかして友達いないのかと思って、心配しちゃった」

 その言葉に合わせるように、不協和音を響かせる。けれどその表情はどう見ても笑っている。
 それで、なんだか気が抜けてしまった。

「三村は? 打ち上げいかないの?」
「あたしもそんなもんかな。どうせだから、最後にちょっと弾いとこっかなって思って」
「ふぅん」

 二人ともが黙ってしまうと、教室はピアノの音と夕焼けだけに包まれる。
 それがなんだかもったいなくて、俺は追い立てられるように次の言葉を探していた。

「三村は卒業したらどうすんの? 進路とか、決まってる?」
「当たり前じゃん。あたしはねー、東京の音大行くんだ。春からは都会人だよ」
「へぇ、凄いじゃん」

 これには素直に驚いた。けれど三村は、小さく首を振る。

「あたしなんてまだまだ。ホントは留学とかしたかったんだけど、そんな実力でもなかったからね」
「こんなに上手いのに?」
「まあ、上には上がいるってこと。もちろん、だからって簡単に諦める気なんて無いけどね」

 そう言いながら不敵に笑ってみせる。その表情は妙にすがすがしげで、そのせいもあってか、同級生のはずなのに彼女のことを随分大人に感じた。

 そんなことを思っていたら、三村はすぐにまた年相応の目に戻って、俺に視線をよこしてみせる。
 俺はなんとなく、こんな風な掴みどころのなさこそが三村っていう子なのかなと思った。

「そっちは?」
「俺は、地元の大学。具体的に将来のこととか、何も無いんだけど。とりあえず大学は入っとけって、親が」

 しっかりと未来を見据えている三村と比べると俺の進路はあまりにも不確かで、未熟な自分を見せ付けられているみたいで、俺は恥ずかしさを感じて目を逸らす。
 と、三村はまた曲を変えた。その曲は、さっき昇降口で聞いた、あの曲だった。

「ま、良いんじゃない? 今はそれでも。まだまだ私たち、先は長いんだからさー。とにかく、進路が決まってるなら何よりだ」

 窓の外に目を向けて見ると、いつの間にか夕焼けは沈みかけていた。沈む直前の、一際力強い真っ赤な光が、痛いくらい目に焼きついてくる。
 なんとなく、これでピアノの時間は終わりなのだということが分かってしまって、俺は黙ってその曲を聴いていた。三村も、何も話しかけてこなかった。

 そして、ほどなく、たっぷりの余韻を残して、曲が終わる。
 俺の控えめな拍手を受けて、三村はおどけながらも笑顔で応えた。

「さってとー、そろそろ帰りますかー」

 予想通り、三村が椅子を引いて立ち上がる。
 けれど俺は、余韻が胸に詰まって立ち上がることができない。三村はそんな俺の様子に気がつくと、すぐ間近から俺の顔をのぞきこんだ。

「んー? なーに寂しがってるのかな。もしかして、私の演奏があまりに感動的すぎて泣いちゃった?」
「……ねーよ」

 茶化してくれたおかげで、俺も軽く応えることができた。俺たちは顔を見合わせて、どちらかとも無く笑いあった。
 けれどそれも収まってしまうと、音楽室はまたしんと静まり返った。

「……こうやって話すことも、もう無いんだろうなあ」 
 何気なく聞こえるようにしたつもりだったのに、その言葉は教室内にやけに大きく響いて、そして消えた。

 三村は小さく頷く。

「だろうね。あたしは東京で、そっちは地元。絶対会えないってわけじゃないけど、そりゃ機会は減るだろうね」
 特に仲が良いわけでもないから、それはもちろん当然の答えだ。

 でも、やっぱりそのことを残念だと思ってしまうのは、たとえ短い間でも、こうして接点を持ってしまったからだろうか。

 ──それでも。
 確かに三村との別れは寂しいけれど、だからといって必死に引き止めるほどには惜しいと思っていなかった。

 俺はきっといつか、他の色々なことと同じように今この瞬間のことなんて綺麗さっぱり忘れて、何事も無かったみたいに生きていくんだと思うと、それが余計に俺を感傷的な気分にさせた。

 と、

「でも──」
 そんな俺の気持ちを察したように、三村はサッと背を向けると、言った。

「あたしは、きっと忘れないよ。卒業式の日に夕焼けの音楽室で、こうやってクラスメイトと話したこと」

 彼女が弾くピアノと同じように意志の強い、良く通るはっきりとした声。
 なんだか俺は、その言葉にちょっとだけ救われた気がした。

「そっか。……俺も、多分忘れないな」

 振り返った三村は、少し照れくさそうに笑う。
 その頬が赤く染まっているように感じたのは、多分夕日の残り香のせいだろう。

「ほら、昇降口まで一緒に帰ろうよ!」
「ああ」

 今度はちゃんと頷くことができた。


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