山田尚子監督『彼が奏でるふたりの調べ』

 体育館の演台の上で仰向けにごろりと寝そべり、そのまま体は横向きに転がって、彼女は視線の彼方にあるピアノのほうを見る。真横から捉えたこのカットの主人公のたまみの動き(=アニメーション)が素晴らしい。寝ころんだ瞬間彼女が着ていた上着のジャージのお腹が風船のようにぷくりと膨らむのである。この膨らみが感動的なのだ。2コマと3コマを巧みに使い分けたこのアニメーションの完成度の高さは絶対的に素晴らしい。
 ぷくりと膨らむお腹だけではない。他のカットにも同様にまるで軟体動物のように軟らかいたまみの身振りが予期せぬ動きの快楽として描かれる。全体的に丸っこくて猫背で骨格を感じさせないよう設定されたキャラクターデザインが秀逸である。

 ある一つの曲をきっかけに高校生時代に体験した淡い恋愛を思い出し、そこから過去と現在を行き来しながら物語が綴られる『彼が奏でるふたりの調べ』は山田尚子版『おもひでぽろぽろ』とも言えるが、彼女の感性は高畑勲とは全く違う方向へと作品を導く。それを示すのが上記のカットである。高校生時代の彼女は明らかに軟らかく描かれている。彼女が操るティーバッグのたぷたぷ感やベッドに倒れ込んだときのそのベッドのふわふわ感が軟らかさというモチーフを補強してくれる。山田監督は彼女を軟体動物としての存在を与えている。
 この軟らかな動きはたまみだけではない。例えば冒頭のシーンでの上司のたぷたぷとしたほっぺたの軟らかい動きや、くしゃみで吹き飛ばされふわりと舞う書類の動き。意図的かどうかはさほど重要ではない。このような動きの軟らかさがアニメーションのテーマになっているのは明らかだ。

 それとは対照的に凛というキャラクターはその男性的な骨格を如実に描いている。本作は主人公のたまみと彼との恋愛を描くわけだが、たまみが彼に恋をするきっかけになったのはその骨格であるに違いない。ピアノを弾くややごつごつとした指(そして巧緻でしっかりとした指の動き)にたまみは惹かれたのだ。

 キャラクターアニメーションとしてクレジットされている川又浩は旧ウォルト・ディズニー・アニメーション・スタジオ・ジャパン(現:アンサー・スタジオ)の中心的アニメーターである。去年注目を集めたマルコメのCM『「料亭の味」アニメCMシリーズ ~いつまでも一緒に編~』の担当演出でもある。彼の原画チェックにより上記の予期せぬ動きの快楽が生まれている。
 また、作画監督の林佳織もこの作品でとても素晴らしい仕事をしている。
 京都アニメーションから離れてフリーとなった山田尚子を上記の川又、林だけでなく各工程のスタッフも献身的な仕事によって支えているのが画面ひとつ見てもわかる。

素晴らしい作品。必見。

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