『美味しんぼ』110話を見て
仕事中なのにも関わらずアニメや映画を見ながら作業をするのが癖になっているので(普通の企業ならばそんなことをしたら職務怠慢で注意されるだろうが、この業界ではいちアニメーターから監督まで普通にやっていることなので誰も注意などしない)、今日もYouTubeを検索し何かないかと探していたときに『美味しんぼ』の110話を発見しそれを再生して所謂”ながら見”しながら仕事していたのだが、それまで通常のTVアニメの規範に乗っ取った律儀な3コマ打ちのアニメーションが画面に記述されていたところに不意にフルコマで作画された画面が登場するので思わず仕事の手をやめて画面に見入ってしまった。
冬の冷たい風が吹く夜のこと。岡星の主人である岡屋の妻が原因もわからず突如として謎の失踪を遂げてしまったことを山岡士郎や栗田ゆう子などに話をしていたところにその当の妻の女を発見したと良三が報告しに来る。やがて岡屋は妻を追いかけそれなりに事情があることを知るが、その事情は勝手な思い込みに過ぎないと諭しまた戻ってくるように説得する。妻は目に涙をためつつ夫である岡屋のほうへ手を伸ばそうとするその動きが付けPANのフルコマで描かれていた。恐らくこのカットを印象的に見せたいという演出家の意思の表れが透けて見えるが、途中でフリッカーが起こっていたものの、意図としてはそれなりに成功していると思う。
だが、それより印象的だったのは強風によってなびいている岡星の暖簾であった。冒頭とその後時折挿入される2コマで記述された暖簾のなびきの作画はよく出来ているだけでなく、そのなびきが物語の語りに有効的に機能しているかに見えるからである。物語自体特に目新しさはないというかごくごく平凡な仕上がりなのだが、恩人の葬式の夜に岡星の店が突如隣家の火事に巻き込まれる形で全焼してしまうのだが、この展開がいささか飛躍しすぎていて呆気にとられてしまうものの、妻の不幸体質(このオカルト的な理由で岡屋のもとから姿を消したのである)を説得的たらしめる展開なのであろうと容易に察しが付く。だが、そんなオカルト的な事実などあるわけがないというごく当たり前な岡屋の説得が有効的に機能させているのが暖簾のなびきなのである。空っ風が吹き荒れる寒い冬の季節のみを描写しているかに見えるそのなびきは先の唐突な火事の発生を視聴者に十分に予期させてくれるからだ。脚本上はただ「風でなびいている暖簾」程度しか書かれていないだろうが、鍋焼きうどんを初めて作るその夜に暖簾のなびきを何カットか差し込むこの手際こそ演出家の仕事だろうと思った。単なる風景描写で終わらせるのではなく、物語を適切に(あるいは華麗に)語るための装置として暖簾のなびきを描くこと。演出が冴えるとはこのことである。
TVアニメ『美味しんぼ』の見どころは料理の特効描写だけではない。118話の出崎統の画面を想起させるパラと二号影を効果的に用いた竹内啓雄回や99話の小津映画のレイアウトを真似る実験的な話数など、作画面だけではなく演出面からでも見応えのあるシリーズだなと改めて思った。