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本能って何?????

2020/05/23の虚行通信です。画像は「本能」のフリー素材です。ふ〜ん

・感情が無いから可哀想とかそういう話はしてない

動物には感情が無いという、本能しかないのだそうだ、でも鳥が囀っているのをみて私はこう思った。

彼らも会話を鳴き声で意思疎通をしているのではないか、と。
そしてこう思った。私達人間の思考や感情は果たして本当に本能とは乖離した存在なのだろうか。

人の書く物語にはよく「理性」と「本能」が葛藤する描写が見られる。

これは完全に「理性」というものと「本能」というものが別物であるからこそ通用する表現方法である。

このような場合自分のやりたい事、自分の欲望に忠実である方に「本能」
社会的な立場や周りからの評価、などを考慮している方に「理性」と名前が付けられる。

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しかしよく考えてみると「周りから変な人と思われたくない」とか「社会的な立場を失いたくない」というのも一種の欲である。

群れの中のライオンが自分の立場を主張するように、弱いものが蔑ろにされる自然界ではこのような考え方は自然だと言えるだろう。

つまりいわゆる「理性」も実は「本能」なのかもしれない。

では人間の「思考」や「感情」とは一体なんであろうか。

一般的に本能ではないと考えられている。自分の生きている意味や、物事への考察、正に今私が行なっている考えることは明らかに自然界の動物達は行なっていない行為だと思う。

もし動物も人間と同じように思考しているとしたら、子孫を増やす事に疑問感を抱いたり、縄張り争いに嫌気が差すといった行動が見られるはずだ

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(これは人間的に考えた場合なのでもしかしたら想像もできないような思考を働かせているかもしれない。その可能性については今回は無視する)

動物は(この言い方だと自分達はまるで動物ではないとでも言っているかのようだが、人間も動物である。あしからず)幾億年もの間子孫を増やし、生き残ってきた。

その長い歴史の中で便宜上人間と呼ばれる生物が生まれ、物事について思考を始めたのはほんの数千年前の話である。

もしかしたらこの先人類が滅んだら、いや滅ぶよりも先に、他の知的生命体が現れるかもしれない。もしくはそういった進化を遂げる生物が現れるかもしれない。

「本能」がどうとか「理性」がどうとかみたいな話は、結局の所脳味噌の大きさなどの種族の身体的な特徴の問題でしかないのかもしれない。

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ただ私は思考することを止めることができない。もしかしたら人間の本能の中に「思考したい」という項目が新しく生まれたのかもしれない。

何かについて考える事、それは人によるが基本的には楽しかったり、ドキドキしたりワクワクしたりするものである。

ありきたりな例えで言えば、「想像力とは翼」なのだ。

そんな素晴らしい想像力と知性を併せ持った人類に生まれさせていただきありがとうございます。

(終わり方が分からなくてヤバイ宗教のありがたい教示みたいになってしまったけどまあそれもいいよね。)

(いいや、良くない)




オマケ

かっくいいぜ

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