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アドベンチャーゲーム、全然アドベンチャーじゃない。
2020/10/21の虚行通信です。全然違う。
・冒険
アドベンチャーとは冒険という意味だ。
しかし、この世に蔓延る「アドベンチャーゲーム」は全然アドベンチャーしてない。
文章だ、文章を読む。
文章を読んで選択肢を選ぶ。
繰り返し言うが、文章を読む。
それのどこがアドベンチャーなんだろうか。
こういう事を書くと、文章を読む事の何が悪いんだとか言い出す輩がいるかも知れないが、そういう話ではない。
むしろ、テキストを読んでストーリーを楽しむゲームはあっていい、なんなら好きだ。
ゲームでストーリーというと、続きが気になっても、一旦ゲームをプレイして次のストーリーパートまで進めないといけなかったりする。
これはだるい。非常にだるい。
だから、テキストでストーリーのみを楽しむゲームは私は好きだ。
ただ、それはアドベンチャーではない。
アドベンチャーと聞いて想像するゲームは、広いフィールドを縦横無尽に駆け巡り、時には敵と戦い、時には木の根元で一休み、みたいなゲームだ。
上の文は私の想像だが、アドベンチャーゲームと聞いて、初見で「テキストを読むゲームだな」と誰が分かるのだろう。
非常に不親切だ。
どんな由来でこうなったのかは知らないが、どう考えても現代のアドベンチャー観ではない。
もしかしたら過去には、
「ストーリーに没頭し、その世界にいるかのような感覚になるゲームを作ろう」
みたいな果てしのない構想を描く人達がいて、その人達がこの名前を付けたのかもしれない。
私は言いたい。
それは正しい。と。
ただ、その気持ち自体は正しくとも、
テキストを読むゲームに「アドベンチャー」などというワクワクさせられる言葉を冠したのは間違いだ、とも言いたい。
想像してみよう。
小さい子供が、誕生日プレゼントにねだるゲームを探している。
お店に並ぶ様々なゲームのジャンルを示すポップ、
アクション、格闘、RPG、シューティング、その中で一際輝きを放つ
「アドベンチャー」の文字。
彼はそこからSTEINS;GATEを取るかもしれない、ダンガンロンパかもしれない、物によっては楽しめるかもしれない。
アドベンチャーゲームには名作と呼ばれる作品達が確かに存在する。
しかし、彼はテキストを読むゲームを求めていない。
たとえ大人であろうと、アドベンチャーゲームの概念を知らずにジャケ買いしたゲームがテキストを読むゲームだったら、がっかりするだろう。
しかも「アドベンチャー」なんて言うワクドキの単語を持ち出して来やがるもんだから、落差がすごい。
3歳児なら泣いてる。
オープニングムービーが終わったあと、立ち絵が表示されてテキストが流れ出した時点で泣いてる。
いつバトルをするのかと必死に進める。
そしてそんなモードは無いことを知り絶望する。
繰り返し言うが、私はアドベンチャーゲームが好きだ。
好きだからこそ、アドベンチャーという名前はあってないと感じる。
初見で見抜く難度の高さ。
概要を知ったところで納得感の無い「アドベンチャー」
「アドベンチャー」という単語と実際のゲーム内容の落差。
アドベンチャーが適切だ!と胸を張って言える要素があるように、私は思えない。
これからも私はアドベンチャーゲームをやるたびに思うだろう。
「これ、どこら辺がアドベンチャーなんだ?」と。