臆病な何か
自分の中のほんの少しの臆病が、わずかなネガティブな思考が、自分の行動を鈍化させる。
これはとても不快なもので、10代の自分にはおよそあり得ないモノだった。
たしかに失敗することに関する怖さは潜在的に持ってはいた、しかし過去の自分には、それを上回る行動力と強固たる信念と自信に満ち溢れていた。
それが若気の至りというものであるなら、僕は歳をとるということで受け入れなければならない。本来、人間とはそういうもので、歳をとるごとに守るべきものが増えていき、臆病になる。しかし、その反面、守るべき存在は強くもなる。
自分にはそれがなく、何のために生きているのかよくわからない毎日。ただただ、そのようなたいそうな使命もなく、臆病になっていくだけで、これは人間としての劣化以外何と形容しよう。
動画もそうだけど、努力して労力割いて、それが世間でウケると確信しているからあの人たちは行動に移せる。
自分はそれが、失敗して誰にも目に留まらないとどうしようと思ってしまう。
だから中途半端にしかできない。
本当は全身全霊を注いだ方がいいのに。失敗しても、次に繋がるのは知ってるはずなのに。最小の労力でそこそこのリターンを狙ってしまう。それは安物買いの銭失いの労力版ではないか。
なんと労力も感情も愚かな消費か。いま一度考え直さねばならないと思う。