謹賀新年
ということを言おうとしてもモチベがわかない。
そんな話をつらつらと書いていたらnoteが消えてしまったので簡潔に書く。
まず、アカウントがふえた。
昔から所持アカウントは多いが単純に稼働してるアカウントが増えた。
そのため一つのアカウントで謹賀新年を呟いてもまた別のアカウントでも……とかなるとはっきり言ってめんどくさい。
もう一つは、自分が喪中であること。
これに関しては完全に自分の気分的な問題ではあるが、そもそも死んだ祖母は元々脳死の状態であった。つまり生きながら亡くなってたため、正直亡くなった気がしない。
Discordサーバーに関わること
さらに喪中であることを言うと何が起こるか。
運営しているDiscordサーバーに険悪な空気が流れる。
これが参加者その1ならまだいい。サーバー主だ。サーバーの雰囲気を決定づける存在と言ってもいい。
そんな人間が「喪中なので寒中見舞いです!」などと言った日には。正月祝いの空気が凍りつき活気がなくなるだろう。
それだけは避けたい。
私は彼ら彼女らに遊んでもらう代わりに、遊ぶ場所、つまりサービスを提供している立場にあるわけだ。最低限守らないといけないのは環境作りだと思う。
ゆえに喪中であることを隠した。
しかし後ろめたさが全くないといえば嘘になる。正直、いつもならウキウキで書いて見せつける書道も今年ばかりは全く気が乗らなかった。
正直、調子の悪いスタートを送ってるとは思う。
自己評価と恋愛について
ふとしたことで恋愛に関して、あるいは己に関して見つめ直す機会がいきなりあり、今の自分をどうポジティブに捉えてもはっきり言って価値は低い方だと思う。
余程なもの好きが欲しがる可能性がなくもない、そのレベルだ。現にこの歳になって結婚していないどころか恋人すらいないのが良い証拠である。
字は自分を写す鏡のようなもので、当然メンタルが不調だと字にかなり影響がでる。
それは達人クラスにならないと微細な違いは気づけないが、私の場合は書く方ではなく字を見る方はかなりのものであると自負している。
だからこそ自分に字の才能がなかったり、メンタルが不調なときに自分がどういう字を書くか知っている。
さいごに
というさまざまな理由から始まった新年。言ってしまえば、正直この世の世界はもうどうでもよくて、2年後くらいに自分の心臓が止まっていた方が老後の心配をせず気が楽だと思う。
でも実際はそうもいかないため、気が乗らないし良いことがなくても生きなければいけないことがしんどいところだ。
正月早々こんなことを書いてるが、こんなつまらない人生を少しでも面白くするためにこれからも刺激を求め続けるんだろうな。