2024年10月11日の日記

昨日は結局日記を書くのに4時間かかった。今日は30分以内に抑えたい……と思っている間に30分すぎていた。おそろしあ。

子どもの時の30分とか1時間ってすごーく長かった。今より質が悪かったと思うけど、1時間もあれば10万字くらい書けたな。もしかしたら質は今の方が悪くなってるかもしれない……何も書けない分……

句読点の打ち方について、国語表現的に正誤があるとは思うんだけど、必ずしも正しく書かれた文章が美しいとは限らない。句読点って結局は文章を読みやすくする為の手法だから、わざとミスリードさせるためにつけたりしても面白い。

小説だけじゃなくて漫画でもそうなんだけど、ストーリーと絵柄の相性が大きい。ギャグマンガ日和の作画がもし池田理代子先生だったら……まあ、それはそれで別のベクトルで面白いのか……?いや、そういう話ではなくて……ギャグマンガ日和は増田こうすけ先生のあのシンプルなタッチだからシュールで面白い。

小畑健先生なんかはヒカルの碁の初期と後半で絵柄を故意に変えていますね。それは初期はギャグで子ども向け、サイとの掛け合いなんかの面白味を表現するための等身の低さ、後半はヒカルが囲碁の面白さに気づき、自分から動き出すことでヒカルの外見以外でも成長の表現、周囲とのかかわり方の変化、ストーリーがシリアスになっていることを等身の高さで表現しています。

こういう表現が、小説でもたびたび使われます。こういう見方をすると、読書がさらに面白くなって良い!オススメ!

昨日、Twitter(自称X)でこのツイートをしたんだけど、

もう本当にRevoという男はわたしのこういう癖を突いてくる!
詩がめちゃくちゃ良いんですわ……

Revoの音楽は「物語音楽」という性質上、1曲の中でも「物語」「音楽」「詩」を同時に成立させる必要がある。「この物語」には「この音楽」で「この詩」を充てる、みたいに。「詩」はキャラデザであり、「音楽」は背景。このバランスが崩れるとRevoの音楽は成立しない。

物語音楽という表現がポピュラーになったのは最近だけど、歌謡曲でも物語があるものって昔から沢山あったね。好きなところで言うと、太田裕美の「木綿のハンカチーフ」とか。

ミュージカルはまた違っていて、何と言うか……Revoに世界はどう見えているんだろうかと不思議になる。今過ごしている一瞬にも音楽を感じているんだろうなあ。と思うと、不思議だ。
でも、これって日常生活でもあったりしない?
例えば、何かショックなことがあった時に「ベートーベンの運命」が脳裏をよぎったり。急いでるときに「オッフェンバックの天国と地獄」が流れたり。Revoはそれにオリジナルの曲(一部、既存曲のアレンジとか)を作っている。

SoundHorzonの有名なアルバムの「Moira」の中に「神話」という曲があるんだけど、このMoiraに登場する「詩女神六姉妹」というキャラクターがいて、そのキャラクターたちをそれぞれ紹介をするシーンがあるんだけど、そこでそれぞれの名前「イオニア」「ドリア」「フリギア」「リディア」「アイオリア」「ロクリア」という名前にちなんで教会旋法が採用されている。ひょ~すげ~

また「Märchen」の「宵闇の唄」では「黒き死を遡るかのように旋律は東へ向かう」という歌詞があり、「アイネクライネナハトムジーク(オーストリア)」→「歓喜の歌(神聖ローマ帝国)」→「幻想即興曲(ポーランド)」→「山の魔王の宮殿にて(ノルウェー)」と言う仕掛けがある。これがまたすごい。考察ブログではないので詳細は割愛するんだけど、歴史を辿るのに有名な音楽を引用するというのは非常に天才。ひょ~すげ~

ちなみにRevoは「メロディーが良いって言われてるようなもの」というようなことを先日のオーケストラコンサートで言っていたので、「音楽」がキャラデザで、「詩」が背景なのかもしれない。その辺はどっちでもいいや。

Revoサウンドの好きなところ語りみたいな日記になってしまったので今日はこのへんで!でも、昨日は一日そんなことばっかり考えてたと思う!

あと、大山のぶ代さんの訃報の前日にかけてSTAND BY ME ドラえもん見て、リメイク前の大山ドラverのアニメ観たい!って調べてたの、すごいつながりだよな……そういうスピリチュアル的な予感はよく当たる。
認知症の闘病……?介護はきっと切なくて苦しかったと思うけど「この青いたぬきは面白いね」とかの発言とか、認知症でもしばらくアフレコ頑張ってくれたこととかすごく嬉しいね。

90歳まで生きてくれてありがとうございました。
旦那さんも、お疲れ様でした。

世代的にはわさドラなんだけど、小学生の時に大山ドラから変わるの嫌すぎて抗議のメールを出したくらい好きだった……


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