2024年10月9日の日記
間違えて、1700文字書いた日記を消してしまった。悔しかったので、他の人の日記を読んでみた。面白かった。わたしの日記ってつまんねーーーーー
わたしは悪社会人なので職場に自分のPCを持ち込んでプライベートな作業をしている。うちの会社はちょっと特殊なので、業務さえしていれば、何なら職場にいさえすれば何をしていてもいいというスタイルだ。でも、その代わり8時30分~17時00分までの時間を会社に拘束されているわけだ。はたして、これが良いことか、悪いことなのかは人によると思う。
ちなみに、離席する時にうっかりnoteを開いたままにしてしまって、同僚に1700文字のnoteを見られて、恥ずかしくなって慌てて閉じるときに下書き保存するのを忘れて消してしまった。情けないな。
昨日はベッドで横になりながらSTAND BY MEドラえもんを観ているときに日記を書いていないことを思い出した。公開された当初、ネットでは悪評ばかりが目立った。インターネットにはドラえもんガチ勢が多いからね……
わたしもドラえもんガチ勢なので、見ながら「え、原作改悪じゃん……」と思ったものだけど、原作を知らないライト層にとってはどうでもいい話なんだよね。
今から10年くらい昔、既に生産中止してしまったお気に入りのぬいぐるみのシリーズがあった。生産中止しているけど、マニアのお店だったり、掘り出し物がある場所では取り扱いがあった。でも、生産中止を良いことに、模造した偽物の、定価の半額くらいで売り出されていたりもした。
男の人とデートしたときに、偽物か本物か触ってみないとわからないのでチェックをして、「あーやっぱり偽物か……」とつぶやいたときに「本物か偽物かってそんなに重要なの?」と言われた。その時に、オタクとライト層の違いが明確にわかったし、わたしはこの人と金銭的な価値観が合わないなと思った。
高いものと安いものを比較したとき、安いものの方がいいに決まってる。
でも、本物ならでは些細なディティールの違いが大きな価値があって、大量生産されたコピー商品じゃない証明であり、そこに値段の分の価値があるのだ。
この、偽物が許せない人っていうのは今作の映画が許せない人たちなんだろうな。原作を抜きにして、作品そのものを楽しもうという心意気があれば楽しめる作品だったと思う。でも、なぜわざわざ原作を継ぎはぎにして、映画として辻褄の合う作品にする必要があったんだろう?その点においては原作の冒涜だ、ファンへの冒涜だと言われても仕方がないのかもな。
でも、誰かは忘れてしまったけど漫画家の方が「漫画をアニメやドラマ、映画化する時に尺の関係や言い回しの関係でセリフやストーリーが改変されることは仕方がない」と言っていた。原作者がそう言うなら仕方がないけど、原作者が故人の場合は権利者が原作者の意図を汲み取って交渉する必要がある。藤子・F・不二雄先生ご本人のことはよく存じ上げていないんだけど、こういう時にどう言うことを言われる人だったのかな。ドラえもんやのび太たちを愛する人が多ければそれでよかったんだろうか。
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