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末原拓馬奇譚庫。

どうも水無月です。

お久しぶりの更新ですが、これは絶対にレポらないといけない(使命感)ということで今回も沢山色々書いていこうと思います。

1月22日~25日までHall Mixaで上演されていました末原拓馬奇譚庫観劇してきました!!!!

この公演が発表された時からもう楽しみすぎてこれを糧に仕事してたまである。

大好きな末原作品をめちゃくちゃ堪能でき尚且つキャスト陣の安心感。
演出、美術、衣装も末原さんが担当しているというそれはもう好きしか詰まっていない公演でしかないだろおおおおおお!!!!!という。

しかも照明は阿部さんというね。いやもう信頼と実績の布陣なんですよ。
なのでもう浴びるだけだわとおもって劇場に向かったわけです。

と、いうことで色々感想とか書いていくよ。

今回の構成。
一見短編をあつめたオムニバス形式にも思えますが、私の中では一つの物語なのだと思っています。

橋本さん演じる青年が奇譚庫に迷い込んだところから物語は始まります。
青年が沢山の奇譚に触れてやがて自分の存在に気づく。

でもきっと譚守側の視点でみたらそれは日常の一部で青年のように迷い込んで自分を見失っているものがたどり着く場所。

譚守は奇譚庫を守る存在だけどそれと同時に道しるべみたいな役割もしているのではないかと。そんなことを思いました。

人間だれしも何かに悩んでるときって視野が狭くなるし、そういう時に背中をおしてくれる存在はやっぱり大事だよなぁって。

色々考えさせられる物語だったように思います。

物語の感想はもちろんですが、キャスト陣への感想も沢山あるので書いていこうと思います。

◆橋本真一さん

橋本さんはおぼんろ本公演でのリュズタンぶりでお芝居を見るのは初見ではなかったのですが、クラゲを演じていた時はすごく光の強い役者さんだなぁという印象がありました。

でも今回の奇譚庫でめちゃくちゃ印象が変わって、今物語のなかでは主人公みたいな立ち位置だったこともあり、大変な立ち回りだなぁと思いました(小並感)

情緒の起伏激しすぎんか...
感情えぐくて、見てるこっちまでエネルギーをつかいました笑

◎悪口屋

まじで悪いやつすぎる(ホメてる)
この物語自体は別のところで観ていたのもあり、初見ではなかったのですが、橋本さんの悪太郎のお芝居まじですごい。

しかも、その前に譚守として話して場面が転換したあとの豹変ぶりエグする。スイッチがカチって切り替わるような印象がありました。

拓馬さんもいってたけど、悪い役やっても大丈夫か確認した気持ちめちゃくちゃわかるなぁってなりました笑

悪口屋は昨今SNSが普及した世の中には結構響く物語だと思うんだよなぁ。

口は災いの元ってことわざがある通り、人の悪口をいっていいことなんて何にもないし、自分に返ってくることだってあるよなぁとやっぱり考えさせられる物語でした。

◎黄色い扉向こうのソウスケ。

おばあさんまじで遊びすぎ笑

私が参加した回は

・末原さんの手をアルコールでびしょびしょにした後持ってる小指もびしょびしょにする回

・お盆に置いてる指が爺さんの薬指だったっていっていってポッケから小指を取り出す回

末原さんがそこに結婚指輪がはめられていたんだみたいなアドリブしててめちゃくちゃおもろかった笑
そのあと手つないできったんきったんきったんこ~♪って恋人つなぎした後
ハグと一緒にほっぺにキスもとめてて、しかもリップも渡しててやりたい放題でしたね笑

・あんぱん飲み込むのつらいだろうと、エナドリ渡す回。
そのあと手つなぎおわってハグかなっておもったらタイタニックでまた死ぬほど笑いました。

ソウスケであんなに笑ったのまじで初めてすぎた。

末原さんの夢語という公演でやってた演目なんだけど、実はケン(ソウスケの友達)にはまだ先の物語があったりもします。
彼女と連呼していましたがケンとるん(彼女)の物語めちゃくちゃいいんだ…(ただのオタク)
私の中の末原作品少女漫画(りぼん)に認定してる。

◎少年とノートの物語
真実をしった青年は実はノートで一人の少年がもとめた物語(奇譚)たちとおなじだったという落ち。

このラスト本当に衝撃すぎるし、少年とノートの会話の橋本さんのお芝居まじで良すぎて泣いちゃう。

初年はまじで光の橋本さんすぎるし、ノートの橋本さんはまじで声が優しすぎて…

前編通しての橋本さんの情緒まじでえぐすぎるよやっぱり。

でもすごい観ていて感じたことなんですがお芝居好きなんだなぁってそれはすごい伝わってきた。

1日だけ最前センターの日があり、表情のお芝居まで惜しまなくみれたんだけどきれいすぎた(いろんな意味で)

◎闘鶏乱舞

キャストのわちゃわちゃがみれてすごいお気に入りの作品。

その中で橋本さんのシャモは光を強くまとっていてとてもらしいキャラクターだなぁとおもいました。

この物語新作だとおもうけど、なんだか高校生男子のわちゃわちゃを見ているような雰囲気をまとっていていいなぁって。

とりあえず体力はえらく削られそうではある(物理)

末原作品の青春…

◆前川優希さん

前川さんのお芝居をみるのは初めてだったのですが、公演前の配信からいい人感がでていたのと、としもりさんの信者になっているみたいな話をしていてめちゃくちゃきになっておりました。

とても音圧のあるお声と声量。
感情が爆発するお芝居も陽気なキャラクターもこなせる器用な方なんだなぁという印象。

◎すきとおり(好きと檻。)

拓馬さんが好きな物語教えてーと募集をしていた時にこの物語はかかせないよなぁとリクエストしたのですが、今回みた「すきとおり」は拓馬さんのひとり芝居とは一味ちがう印象を受けました。

この物語。人の数だけ無数の解釈があるように思ってます。

私がこの物語に出会ったのはちょうど8年前。
そのときに感じた「好き」と檻。は最初あまり本質を理解できずにいたけど、それでもこの物語を「好きだ」とおもうことも気づいたら泣いていたことも覚えている。

時を経てこの物語に目をやったとき母と子の物語なのでは?という印象がありました。

母が何らかの病に伏せってしまい息子を認識できないくらいにおいこまれていたとか。もしくは多重人格とか。
その檻はもしかしたら病院なのかもしれないし、母の中の一人なのかもわからない。

もし仮に怪物の中に本当の母の存在がいるとして、飲み込んでしまった鍵は主の意識なのかなぁとか。

人格の形成はその人の中にあるものなのでもしかしたら「愛する息子」ということの本質は怪物も主人格もかわらないだろうとおもったり。

透き通っているは死をいみしているわけではない気がしているし、男から怪物がみえなくなったのも物理的な意味ではないのかもしれない。

私の中では母の中から別の母(人格)が抜けたとかそのような印象。

だから「透き通っている」の解釈は怪物の意識の中に主人格の母が見えたとか。そのようなことをおもったりしました。

公演前の配信でも前川さんやみかしゅんさんも読み取ることに結構苦戦したみたいなお話をしていたけど、それはそうだよなぁって。

きっと演じているお二人のなかにも正解があり、拓馬さんの中の正解もはや本質だろうしなあ。

んで前川さんの男ですよ。
音圧まじでえぐすぎる。感情の高ぶる演技の熱量とパワーすごいのにちゃんとセリフが耳にはいってきて聴きやすいの天才すぎる。

難しい脚本だろうに、めちゃくちゃよすぎて気づいたら泣いてたもんね。

◎悪口屋

好きと檻からのギャップえぐすぎ。
愉快な兄ちゃんみたいな役もできるんかとおもったけど、こっちが本質な気もする。

てか、前川さんの譚守の衣装バックに花がかかれてるの個人的にめちゃすきだったんだよねぇ。

あと、悪太郎と話すシーンで端っこのドアからでてくるところ。
真横に座っていた日があって声量がすごくでびっくりでした笑

◎25時(人生台本)

実はこの物語きいたときに知ってる気がする?となったのですが、私の記憶の中に25時という作品タイトルがどうしてもなくて、公演後にふとあれ、人生台本では?ってなったという。

末原作品のなかでもレアな演目なのではないかなぁ。
私も某地下室に動画で投稿されていたのが初見だったし、それ以来どこにもお披露目されてないから今回初めての方も多くいたと思います。

拓馬さんのひとり芝居でみたときもラストがやっぱり衝撃的でそういうことかってなったのですが、前川さんの人生台本よかったなぁ。

この物語一見人生のすべてを台本に従っていきて生きているし、恋愛もしているのに、最終的に台本の中でもお芝居をしているところがまじで怖い。

序盤だけきいたら「本当の好き」に気づいている風なのにそれまでもがシナリオなんだよねぇ。

愛も恋も別れも嫌だという感情もすべて台本通りという。

実際にそんな人生があったら自分はむりだなぁってなる。
わたしが自由を愛しているから。

セリフの進行がナチュラルなほどラストのミスったシーンが恐怖を生むんですよ。

意味が分かると怖い話みたいな。

これは末原作品のホラーです。

◎猫の死に際

前川さんの音圧のあるお声で優しく語りが進んでさすがにボロボロ。

この物語をきいて小学生の頃に飼っていた猫を思い出しました。

上京に伴いあう機会がめっきりへって家族からなくなったことを知らされて。
猫好きとしては刺さりすぎて…

うちの猫はどうやって亡くなったかあんまり聞かされなかったけど何年たっても猫との記憶はあるから。

天国で元気にいてくれたらなぁっておもってしまった。

◆三上俊さん

みかしゅんさんとの出会いは何を隠そう末原さん経由でみた「艶漢」という舞台です。
その舞台自体が肌色の多い舞台なのもありキャスト陣の現場での減量話や筋肉をつける話をよくトークイベントできいたりしていたのですが、みかしゅんさんの役はそのなかでも肌色が多い役どころで、最初の印象からまじで美しくストイックな方という印象。(あの体をみれは絶対にだれもが思う)

それから拓馬さん経由で色々お芝居を拝見させていただく機会もふえていたところでこの奇譚庫への出演ですよ。

末原作品に生きるみかしゅんさんみれるんですか?(オタクの声)

まじでずっと待ってたまであるよ本当に。

拓馬さんのソロイベントでたまたま遊びに来ていたみかしゅんさんが即興芝居に巻き込まれることを目撃したことがあるのですが、あれは即興なのでまたべつの話だし拓馬さん演出のみかしゅんさんがみれるのさすがにオタクが望んでたやつじゃんって気持ち(オタク特有の早口)

◎すきとおり(好きと檻。)

みかしゅんさんの怪物まじで妖艶すぎて死ぬほど解像度高く最高すぎました!!!!!!!!

まずこの作品にみかしゅんさんを選んだのわかってるよ。

拓馬さんの脚本のなかでも難解な作品(断片的だし前に物語がるのに一場面を切り取ったような作品だから)をあそこまで妖艶に演じることができるのはみかしゅんさんでしかなかった。

しかも照明の檻もあいまって檻からでてきたときの怪物まじで愛情えぐすぎ。

「消える」
「消えたくない」
あたりからの掛け合いがほんとによくて、涙とまらんかったもんね。

事前の配信で拓馬さんのひとり芝居をみてやっぱり拓馬には敵わないし、拓馬の真似をしてもダメだから自分の持ってるものを出してがんばってます的なことをいっていてまじでみかしゅんさん…ってなりました(語彙力)

しかも、前川さんのパワフルなお芝居とみかしゅんさの妖艶なお芝居の対比がまた絶妙で最高なんだよ!!!!!!

怪物は優しく美しい。

◎悪口屋

チャラい役させたらまじでチャラくなるみかしゅんさんめっちゃすこ。

すきとおりからの悪口屋はまたギャップですよねぇ。

あのテンション感で相手役されたら色々話してしまう気持ちもわからなくはないなぁって。

でも最終的に自分の悪口を言われてしまうのだから、やっぱり口は災いの元です。
人間だれしも黒い感情はあるけれどそれを大声でいうものじゃない。

◎黄色い扉向こうのソウスケ

寄席の語りみたいに始まるみかしゅんさんの前説。

この物語が夢語というもので披露されたのもありそういう始まりなんですよねぇ。

これに関しては斧をもったみかしゅんさんがすごい形相斧を振りかぶろうとしているのがほんとに印象的するぎる。

赤の照明が照らされているせいで雰囲気マシマシなのもめちゃくちゃよかった笑

◎お香

この独白お気に入り。

拓馬さんのアトリエにあったものから書いたんだろうなぁって想像はできたけど、お香の繊細な感じ。

みかしゅんさんのやわらかく、少し高めの声との相性がよすぎてめちゃくちゃよかった(語彙力)

わたしもよくうちでお香を焚くのでなんだかイメージもしやすかったのかも。

◆藤井としもりさん

としもりさんのお芝居まじで本当にずっとまってたまである。
わたしがとしもりさんを目撃したのは1度だけ。

末原さんを知って間もないころおぼんろと出会ったあの人形たちのテント。
何を隠そう初おぼんろであり、私の人生にとても影響を与えた劇団であり、作品。

あの時感じたとしもしさんが今回も変わらずそこにいた。
触れたらこわれそうな。すごく繊細なお芝居をする方だなぁと。

5人のおぼんろは実は映像でしか目撃してないのだけれど、それでもあのテントでとしもりさんのトラワレを目撃できたことは本当によかったなぁと今でもおもうことがあります。(いまだって5人のおぼんろはずっと見たいとおもうけど)

奇譚庫のキャストが発表されたとき、としもりさん!????!!!ってなったもんね。

だから奇譚庫をみたとき二人がシンメで並んでいてちょっとなきそうになったし、としもりさんの優しくやわらかい声が心地よくて、これだよおおおおおおおって泣きました(結局泣いてる)

◎サイボーグ(あの化学実験が行われた次の年に生まれた私たち48人の新生児は)

この物語との出会いは末原さんを知った当初に友人に勧められたのがきっかけ。

好きな物語としてこの物語も上げたけど。

とても残酷なのになぜか美しいとさえ思えるようなそのような印象。

末原さんバージョンで把握していたので、としもりさんの語りでこの物語を聴いたとき語りが口調が優しく軽快に進むものだから変な混乱があった。

この物語の中の少女のいう「普通」ってなんなんだろうなどと考える。

歩くことに執着をしているが、そうなるにも痛みが伴うわけで。

医者の先生の勧めで体の形が変わるけど「歩けるよ」っていわれたことであっさりサイボーグになっていいのか。

そんな体になってまで長生きしたいのか…ともおもうところ。

でも隔離された狭い世界で生きてきた8歳の少女にとっては長生きすることも歩けるようになることも大きい夢だったのかもしれない。

痛みを感じない体になって手紙をみつけて、未来の自分にあてた手紙ですら「歩けるようになってどうなりたいか」ではなく「どのくらい歩けたか」に興味があるんだもの。

「痛み」というものが体の機能として病への知らせだとしたら。
この少女は自ら命の危機を諭す能力を失ったんだなぁとおもうわけで。

そう考えたら残酷だよなぁなんておもうのだけれど、最終的に自分の生まれた場所に歩いて戻ってきて自分の目で確かめようとしたのだからそれはもしかしたら成長だった。もしくは彼女の中でこれが一番の目的であるけれどきづいていなかった。

じゃないと死に際に「しょうがないか」なんてならないよなぁって。

狭い世界で懸命に生きようとしたサイボーグは残酷だけど美しい最後のように感じました。

幸せの形は人それぞれであり、誰かの物差しできめつけたらエゴになるんだよなぁ。だから少女はサイボーグでも幸せだったのかなぁとおもう(痛みを感じないで歩けるから)

としもりさんのサイボーグ最後の涙がうつくしすぎて。
あれはがんばって普通に生きようとした少女の涙。

あと、鼻歌ありがとうございます。

アゲタガリは末原作品のサンタさんなので遅れてきたクリスマスプレゼントとしてうけとりました。

◎黄色い扉向こうのソウスケ

としもりさんと拓馬さんでこの物語がみれるとは思わず。

某地下室の月一配信で🐸をとしもりさんとやりたいみたいなお話をされており、それはそれでめちゃくちゃ見たいがとおもっていたんですが…

としもりさんと拓馬さんだからこその空気感で話が進むのがやっぱり好きだった。
お芝居のなかでふと見えるリアルの関係性。
わたしはあれが悪いとは思わないし、役にその人の生き様が見える瞬間も結構好きです。

としもりさんが公演後に配信をしており少しのぞいたのですが、この物語に対しては「拓馬に黄色い扉の話を聞かせることだけ集中してた」とおっしゃっていていやまさにそれだったなぁと。

お二人だからこそのアドリブというのか。
掛け合いが妙に生っぽいのはやっぱり長年の関係性からしか見えないものだとおもったし、どっちが何かをしてもそれを返せるだけの信頼があるから成り立つのだろうと。これはさすがに尊いです。

お互いがお互いに月と太陽なんだなぁと。
それは今も変わらずのお二人の印象。

お二人のお芝居もっとみたいよとおもったのも事実です。

◎悪口屋

としもりさんの氷上さんめちゃくちゃ絵にかいたような陰キャ感が癖になりすぎた。

話し方も早口で淡々としゃべる感じ。
どことなく鼻につく話し方まさに陰キャのそれ(ホメてる)

悪太郎に詰められたときの動くもそうなんですが、細かい動きに陰キャを感じて愛おしいよ氷上さん…

この物語の上では重要なパーソンだとおもうし、題材は今の現代には刺さるものになっているとおもうのだけど、出てくる登場人物たちがコミカルに描かれている分奇譚の中でもとっつきやすいものなのなのではと思う物語。

◎闘鶏乱舞

としもりさんのシャモずっと指先までピーンってしてるのめちゃくちゃすきだった。

一番強いシャモなのも解釈一致だし笑

◎グラス

この物語めちゃくちゃ優しくてほっこりする。

しかもとしもりさんのやわらかいお声で紡がれていくからなおさら。

だけど気づいたらいなくなりそうな繊細なところ。
グラスを通してとしもりさんが重なって見えたんだよねぇ。

そんな危うさが落としたら割れそうなグラスと似ている気がした。

◆末原拓馬さん

もうね毎回そうだけど拓馬さんの物語も、創る世界も、言葉もすべて浴びい。ジャンル末原拓馬をずっと浴びたいし、世界に溺れてたいんだなぁって。

末原作品に出会ってから私の世界は少し広がったようにおもうし、物の見え方も変わりました。

「物語は世界を変える」

この言葉の通り私の世界は見えるものが変わったから。

きっと拓馬さんの物語に触れたことのある人ならこういう感覚になっている人沢山いるとおもうんですよ。

だからこそ末原さんならできるって思う。

そして「奇譚」な拓馬さんの物語も私は好きだしこれぞなアングラ感がやっぱり落ち着くみたいなところもある。

あと単純に衣装だったり、美術だったり。
それもまた好きだから世界が好きであふれてる贅沢とおもうんです。

◎二人三脚の小屋

この物語。
たぶん初見な気もするけど知っている気もする?もしかしたらどこかできいていたのかなぁ。

安定の拓馬さんのひとり芝居。
やっぱりすごいし、この人のセリフのリズム感だったりが好きなんだと実感する。

奇譚庫の中の最初の奇譚。
この物語からスタートするのなかなかヘビメタじゃん笑

語っている老人がそもそも元は二人の人間だったっていうのが怖すぎるよ!!!!ってもなるしただ珍しい訪問者を脅かそうとしたただの与太話の可能性だってある。と、いうか多分後者なんだろう。

だってセリフのなかで「だったらこういうオチはどうだ」と言っているし。
もしくは半分は本当で半分は作り話。

何だかこの話をきいて牡丹と薔薇を思い出した。
あと仮面ライダーW。(子供に見せる話ではないけど)

てかこの物語の保健室の先生なにものだよ笑
足を切り落として体を縫い付けられる先生普通にやばい。

これは歪んだ愛の物語だ。

◎黄色い扉向こうのソウスケ

もうたぶん割と語ったような気もするんだけど、拓馬さんのひとり芝居とはちがいソウスケでこんなに笑ったのは初なんですよ。

たくまさんととしもりさんの掛け合いもそうだけど、そのあとの橋本老婆とのやり取りも楽しくて最高に笑わせていただきました。

あと毎公演あんパン食べてた拓馬さんレアだとおもう。
なんかお酒飲んでるイメージはあってもものを食べてるイメージが全くわかないんだよなぁ。

だから舞台上でものを食べるお芝居とかもあまりない印象。
作品の中には食べ物は結構でてくるんですけどね。

てか、おもったけど拓馬さん仲のいい俳優陣にキスねだられがちな気がする…これが天然たらしかやっぱり…

あと突然始まるラップパート。
たのしかったです笑

◎アクリル絵の具の夢

この独白まじで愛おもいんだよなぁ。

拓馬さんの口調が甘える子供の用に物語を進めていくので最初はかわいいアクリル絵の具くんなんだけど、物語が進むにつれて

「この画家以外に使われたいかな」

などと考えているところがなんとも執着である。

そしてまくしたてるように

「そのまま捨てられるかな そっちのほうがいいかも」

なんていうんだもの。しまいには

「ねぇ画家先生、僕そんなふしだらじゃないよ。あんたいがいに使われる気はないよ」

のとどめ。

いやアクリル絵の具まじで愛激重じゃん。

しかも自分の絵を描いてほしいという欲望までもみえてくる。

画家先生の自画像をおねだりして自分が塗りつぶすって解釈もうそれは一緒に添い遂げたいってことでしょ?

ほかの画材や絵の具の新入りが増えたらヒステリック起こしそうだなぁなどとおもいました(やめてやれ)

アクリル絵の具くん強く生きてくれ。

物語が結構なヘビメタなので体力をゴリゴリけずられたんですが、まくしたてるように怒涛の短編もありこれが末原拓馬奇譚庫なんだと感じる日々でした。

一行詩めいたもの。
あれをきいたときふと小学生のころはやったまどみちおさんの「にんじん」という一行詩を思い出しました。

にんじんというタイトルにお風呂あがり

と続くこの詩。なんだかとても雰囲気が似ていて懐かしい気持ちになった。

あと照明に関して。

丸が沢山重なって何だか奇怪な雰囲気をかもしだしていたのだけれど、若干集合体恐怖症気味の私は鳥肌か止まらずでした…

でもやっぱり阿部さんの作る照明美しい。
一番後ろの席で観る機会があり、引きで観た時の光の演出最高だったなぁ。
ソウスケの扉の黄色いピンスポや好きと檻のときの檻はよきでしたね。

あと、拓馬さんの演出あるあるの影。
あれも物語に寄り添っててとてもすきなんですよ。

衣装の靴のイラストもじっくりみてしまいました。

総じて好きしか広がっていない末原拓馬奇譚庫。

めちゃくちゃ溺れました。

またいつか。奇譚庫の扉が開かれますように。

きったんきったんきったんこ~♪

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