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猫による記録 『複雑型』

※この話は、私の脳内小人の一人「メタ思考使いのライター」が書いたものです。


その変種の存在と生態は、橋の下の泥まみれの家に暮らす研究熱心な猫により確認された。猫は目紛しく発展する社会の片隅で、吹いたら飛んでしまうほどの存在感しか持たぬうす汚れた生物だったが、闇の中きらりと光る目を凝らし、確かにその『変種』の異様さを感じとった。
猫が見つけた、その変種に関する記録を妄想と呼び笑う者もいるだろう。愚かな作り話と見下す者もいるだろう。それでも猫はその変種の特徴を自分のノートに書き留める使命に駆られペンを執った。……猫は思う。いつか誰かがこのノートを開き中を覗くかもしれない。失笑、嘲笑、軽蔑、何でもござれ。無価値な空想だ、戯言だ、と笑うなら大いに笑ってくれればよい。笑われるくらいのものを書けないならそんな猫生に価値はない、と。

その変種は、見た目は同類種の他の個体と変わらなかった。行動も習慣もよくある種のそれだ。ただ、ごく幼い頃から「恐怖」という強烈な感情と深く関わっていたようだ。これは出来事への恐怖でなく本能的な恐怖のことだ。同時に「歓喜」という感情にも尋常でないほど支配されていた。これも生きることへの本能的な強い喜びのことだ。この強い恐怖と強い歓喜が自己の内部で生まれては消え、また生まれてくるのを、変種は小さな身体で克明に感じ取っていた。

その変種は、身体の動かし方は大変エネルギッシュだ。けれども仕草や行動は静かでおっとりとしている。行動派で逞しく動きながら慎ましさを愛した。

その変種は、他の個体が吐いた攻撃的な言葉に過敏に反応することが多かった。傷つき自分を責め、気分は落ちるところまで見事に落ちた。けれども一旦落ちれば、闇底から這い上がってくるかの如く驚異の再生力を発揮した。傷や痛みをものともせず、ひときわ打たれ強い個体へとみるみる変貌を遂げてしまうのだ。落ちる距離と上がる距離の幅の大きさがその変種の特徴だった。

その変種は、美しい風景の中にいつも「切なさ」を見ていた。安らかな情景の中にどうしようもない「寂しさ」を感じ取った。寂しさこそが何より懐かしく何より優しき懐だった。光の中に闇を見た。喧騒の中で静寂を聴いた。命の煌めきの端に静謐なる死を垣間見た。生涯にわたりあらゆるものから相反するものを同時に感知しそれを余す所なく味わい尽くした。二律背反を受け止め、矛盾というものに内包される深みや味わいにとことん感じ入った。それがその変種の特技だった。世間は白だ、黒だ、と今日も騒がしい。

その変種は、高度な頭脳により生み出された入り組んだ構造の物語や、複雑極まりない概念や、奥深い芸術性にすっかり魅了され取り憑かれていた。それなのに、食べて歌って踊って笑う、単純極まりない物事にも、誰に勝るとも劣らず楽しさを感じた。複雑さと単純さに同量の愛を注げたその変種は、大抵どちらか一方に偏っている周りの個体とうまく馴染めなかった。

その変種には、社会で固定化された性の役割的概念が薄く、感覚はどこか両性具有的だった。ステレオタイプな性より一見理解し難い性の在り方をむしろ友達のように慕うところがあった。

その変種は、常に命の意味を追い求めて生きていた。同時に、命が蜻蛉かげろうのように儚く無益なものであることを強く感受していた。生きることの意味深さを求めつつ、無意味さと空虚さをじっくり心で噛みしだき、混ぜ合わせながら、誰ひとり歩かない裏道ばかりを好んで歩いた。

その変種は、崇高、畏怖、畏敬、博愛、美、そんな観念に取り憑かれやすく、他人に対しては寛容さを持ち味としている。同時に隠された部分では、こだわりが強く自己批判的で傲慢さを持ち味としていた。

真っ当な道をゆく個体はタブーの味を知らぬかもしらない。その変種の内面には正しきものとタブーやリスクを同時に許容する変テコな「刺激耐性」「矛盾耐性」があり、相反するそれらは内面で入り混じり独特なマーブル模様の世界を描いていた。この複雑な模様を毎日内側に眺めているその変種にとって、他の個体との会話はあまりにシンプル過ぎた。真っ当な個体たちが見ている模様はどうやら複雑に入り混じるマーブル模様ではないらしい。

大宇宙に流れる壮大な時間の中で、小さな個体が感知し得る『時』などそもそもが微々たるもの。だからこそ宇宙のひと雫にすら満たないこの生涯という『時』にすべての活力を注ぐのだ。一分一秒が生きる勝負である。嵐も凪もどちらも進むべき時である。一瞬も永遠もさして変わりないのだから。──それを感じとる力だけがその変種にあった。

その変種は、イデオロギーを持つ社会という枠の外側にその社会を包み込み資源を生産し供給する母性のような大枠があることを知っていた。更に母性の大枠を包括する、特別な精神だけが入り込める巨大枠の存在も感知していた。だから小さな枠内での成功を求め社会の駒となり生涯を終えようとする人生観には共鳴しなかった。けれど同時に、彼らの不安や悩みに真摯に耳を傾けるべしとし、表面上は何食わぬ顔で足並みを揃えて生きていた。大枠を包む巨大枠を知るゆえの安らぎが支えだ。そのように生きることは憂うべきことではあったが、『私という現象』が小さな枠社会の一員でもある以上それが『ほんとうにいいこと』でもあると知っていた。

その変種の奇妙な特徴はこんなところにも見られた。普通「官能的」といえば目で見える性的な魅力と絡めていうだろう。でも変種にとっての「官能」は、矛盾した感覚を同時に内部に取り込んだ時に起こる不思議な感覚のことを指した。美と醜が、光と闇が、強さと弱さが、優しさと皮肉が、対置する両者がぶつかり溶け合う瞬間、これを味わうことが人生の妙、粋である。おかしな融合にのみ官能を見る、その変種は幸せ者だった。

その変種は常に人と距離を置いていた。同時に同じ種の他の個体に関心がありすぎた。生まれてからこの方種が生み出す良きもの悪きものに取り憑かれ、個体と個体の間に生まれるドラマや心の機微を楽しみ、背後にある法則や構造を知りたがった。けれどその味わいを分かち合う仲間を持たなかった。

つまりその変種は、計画的で真面目な態度が主たる行動の癖かと思いきや、遊び心に満ちた気まぐれさが主な行動の癖でもある。伝統的な保守派か、因習打破的な反逆派か。客観的な論理派か、それとも心や主観感情を重視する派か。情熱派か冷静派か。ロマンチストかリアリストか。……どちらがより強いか、どちらが本当の自分か、と問われればどちらも自分なので実に答えに窮するのだ。孤立感や誤解や空虚さに苛まれながら小枠の社会の中で明るく振る舞い最善を尽くすことを心から楽しんでいた。

その変種の生涯において最も価値あるものはおそらく「創造性」だったろう。自らの手で自分ならではの何かを創り出すこと──これほど魂を駆り立てるものはなかった。それは芸術的な作品であったり、苦境を乗り越えるとき心に脈々と生まれ出る勇気の柱であったり、不幸を幸福に変換するユニークな手法だったり、最も強い本能「恐怖」と対峙し得る強靭な魂の製造であったりする。長い年月のなか大小様々に生み出されていく豊かな精神の実、これにつく名前こそが「創造性」であった。

その変種は、壮大な宇宙の時間に包まれ、地球に息づく大自然との確かな繋がりを感じ取りながら、ある日そっと目を閉じるのかしれない。それとも大義のようなものに魂を費やし燃え尽きるのか。あるいは自分と関わりのない個体のために命を差し出すだろうか。その変種は、一日たりとてカンパネルラの覚悟を思い出さない日はなかった。ジョバンニが往く『ほんとうのさいわい』を探すまことの道を、そこを歩く人だけが見る孤独と美しい景色を常に探し求めた。
命の意味とは──? 不可知にして生涯追い続けたテーマにその変種は絶望と花咲く優しい情景を同時に感じとっていた。

猫はペンを置いて目を細め、少しばかり首を傾げつつ窓の外を眺めた。ここまで書いておきながら猫はその変種をどのカテゴリーに分類すれば良いやら決めあぐねた。猫は閉じたノートの端に視線を落とす。よし、仮の題でもつけておこう。猫はふう、と息を吐いてから隅っこにすらすらとペンで走り書きをした。『複雑型・創造性・敏感種』と。

猫の研究はまだまだ続く。

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