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宮沢賢治と私(1)『ほんとうのさいわい』を探す旅

✴︎ お断り ✴︎
この記事は、文学にも心理学にも精通しておらず社会的ラベルを何一つ持たない無学な一パート主婦が、個人的に深い意味がある感情と感覚を身勝手に記したテキストです。予めご了承ください。(区切り線内は私にとって大切な記事のまとめ。)


ぼんやりと脳もからだもうす白く
消え行くことの近くあるらし

宮沢賢治 歌稿[B]165

● 以下のリンク二つは、京都市、高木神経科医院の院長、浜垣 誠司先生による、宮沢賢治に関連したイベントでの講話の内容を記した記事。この記事の素晴らしい点は、現代社会で生きづらさを感じる理由となる精神の仕組みについて解説されているところ、意識の解離性は実存危機の救いともなるという視点をわかりやすい喩えと図解を用いて説明してくださっているところ。

感受性の高い人に多く見られる現象かもしれない「意識変容」「解離傾性の高さ」↓

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世界がぜんたい幸福にならないうちは
個人の幸福はあり得ない

宮沢賢治 『農民芸術概論綱要』

実存的うつや創造性にも関わると思われる「自我境界の薄さ」↓

※脳神経学者であるアントニオ・R・ダマシオ著の『デカルトの誤り』によれば、人には一次の情動、二次の情動があることが示されている。この二次の情動が人生の早い段階において過剰に働くとも言えるような「情動」(早熟性ゆえに生まれつき備わっているように感じられるのではないか?)、今まで私が、生来人に備わる心の物差しと捉えてきたものを、宮沢賢治も人間だけに備わっている特別な心だと強く認識し生きていた。

以下のno+eクリエイターさまの記事が非常に解りやすく示唆に富んだ解説をしてくださっている。↓

この作品の凄みは、「人の性質」を「いいことをせずにはいられない」と言った上で、さらに「ほんとうのいいことが何だか考えずにいられない」と言うところである。

われわれの社会において、大人たちは「いいことをしなさい」とか「いい子でいなさい」とは言うけれど、「いいことが何なのか自分で考えなさい」とは言わない。しかし、本当に大切なのは押し付けられた正しさ(宗教!科学!)に従うことではなくて、何が正しいのか、何がいいことなのか自分で考え続けることであると賢治は言うのだ。

記事より引用させていただいた。

……ジョバンニが探し求める『ほんとうのさいわい』、それを探求する生き方こそが、奥深い人間の本能「創造性」ではないだろうか。創造的な生き方とは、既存の社会規範に疑問もなく従い上手く収まろうとする生き方ではなく、それを疑い、自らの力で再評価し、自律心により打ち立てた倫理や規範により唯一無二の幸福を探ろうとする生き方ではないか。その人生の道のりこそが人間らしい命の輝きとなるのではなかろうか。


国民的に愛される童話作家、詩人である宮沢賢治と、哀れな中卒女の共通点(独断と偏見で記す)

どの駅で私は降りるのか
(息子には、早目の遺言として『プリオシン海岸に立ち寄ると思う』と言ってある)

私は幼少期からの経験による影響で、世間一般の方々が学歴やら仕事のキャリアやらをコツコツ築いていたであろう長い年月、経済的苦境にある家族を支え、自分の精神的問題を克服することに全力を注ぎ奮闘してきた。ようやく人並みの自尊心と精神の安定を獲得し、自己愛に振り回されることなく自己探求ができるようになっていたとき、ふとここno+eで文章を書き始めた。

自分の気質や心理の特徴について解明できたらと思って、HSP、HSS型HSP、(アーロン博士がいう意味での)ギフテッド、など関連性があるワードから調べるうち、実存的痛みが根幹にあること、積極的分離理論を外しては語れないことまでが理解できた。未読だが心理学の大著『クリエイティビティ』に出てくるフロー体験や複雑型タイプの特徴とも関連していることが解った。(複雑型↓)


突き詰めたせいで精神的な苦悩を経験したが、収穫は大きかった。同じ痛みを持つ誰かのために文章を書くことへの意義を思えるほどになった。

二つがひとつになる

先日、春の苦悩を通過した後の自分の感覚の変化について書いたところ、認定心理士であられる大変博学なno+eクリエイターのお方から「離人症」というワードを教えていただいた。このワードをもとに探ってみると、ある精神科医のお話に行き着いた。自分の心理の仕組みを隅々まで紐解くような内容だったことに驚いた。驚いたのはそれに加えて、そこに書かれていたことが、私がこれまで何十年もただ一方的に、畏れながらも強い繋がりを感じ続けてきた、宮沢賢治に関する考察だったからだ。(時々見ていたサイトの一記事だった。)巡り巡って原点に戻ってきた気がする。主観感情という地点から旅立ち、客観思考の列車に乗って、数々の途中下車をして経験して学び、ついに行き着いた終着点が元からある主観感情の名を冠した駅だった。

私が自分の先天的心理構造について何かを知りたいなら、宮沢賢治を紐解くことで充分にそれができる、と思った。

MBTIやHSPやHSS型やギフテッドなど海外から入ってきた概念やワードを用いずとも、百年ほど前この日本に住んでいた、激しくも慎ましく生きた一人の人物から自分の内面的特徴をすべて紐解けるように思えた。元からあったこの奇妙なほど強い〝繋がり感〟は、空想好き女の肥大化した厨二病的妄想ではなく、脳科学的観点から捉えても至極当然の理だったと、お話が教えてくれたように感じた。

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なぜ自分の心理構造の未知なる部屋を「宮沢賢治」という一つの鍵で開けてその中身を隅々まで観察でき得るのか。大きな理由が三つあるので記しておく。

❶   『ほんとうのさいわい』を求める心、その生き方

子供の頃から持つ実存的うつ、共感的情動の激しさ、理想の高さからくる人間社会への憂い、かつ憂いを乗り超えんと働く創造的本能。私のここまでの人生はこれにより支配されてきた。

❷   心象風景は「現実と同等」の価値を持つ

創作物は単なる空想の産物ではなく、自然界との強烈な繋がり感(多幸感、恍惚感を伴う実感)から感じ取ったごく自然に存在するリアルな世界の書き写し。美への畏怖の感情、内面世界の現実的重み。「作る」ではなく「そこに在る」という感覚。視覚的認知情報から「聴く」「感触を受け取る」、聴覚的認知情報から「観る」、共感覚。

賢治は作品を『心象スケッチ』と表現した。その心象風景には常に月明かりや野原や樹々や林を吹く風や石ころや動物たちがいる。私は幼い頃から自然界、特に日本の原風景との繋がりを強く感じ、そこから美しい旋律や言葉を独特な対話によりもらいながら生きてきた。(自作曲はすべて自然界からダウンロードしたもの。)

❸ 自由奔放性が慎ましさと「共存」している

抑え難い欲動に突き動かされる衝動的な生き方。自然界や美や芸術と契りを結んだかのような万能感と高揚感が己を支配する危なっかしさ。放浪癖のある落ち着きのなさ。子供の頃から大人の精神を持つ早熟性と生きることへのスピード感。……これらと、慎重で誠実で堅実かつ慎ましい人柄が共存している複雑な内面性が、自分の気質「複雑型」と同じ。

主にはこの三つが、宮沢賢治に対し言葉にならないほど巨大な思いを私に抱かせてきた要因だった。

冷静に語れない理由

宮沢賢治への思いを言葉に変換することは難しいと思ってきた。文章を書くとは、沢山生まれる思いの中から一つだけを特別扱いして他を切り捨てていく冷たい行為だ。その上、公開するなら客観性や平静さが必要になる。
世間で数々なされているひどく冷静に解説される考察や評価にはもどかしさを感じた。ドラマや映画は湧き上がる興奮と主観的に感じられる苦しさのためなかなか観られない。気軽にジェットコースターに乗れないのと同じ。一日たりとて思い出さないことがない人物のことを、冷静な心の状態で文章に換えることはできない気がしていた。でも上のリンクにある精神科医のお話により、この冷たい記号である言葉というツールを使って説明できる手がかりが得られた。

まとめ

HSP、HSS型HSPについて書きたいことはまだ沢山ある。でもそんな周りくどいことはやめて素直に私の中にある「宮沢賢治的なもの」について語ればよいのでは? そんな気がし始めた。一般的な感覚や精神とどの辺がどう違っているのかの説明。似たタイプの人が起こす強烈な歓喜と苦悩。既存の社会規範に収まれない創造的本能。それをどう人生で意味あるものへと昇華してゆけばよいか。私が何かを書き表すならば、似たタイプの誰かに役立つかもしれない。
心理学観点から学んだ外来の概念や洞察あふれる研究とそれを著した書物には感謝しかないが、そこを基盤にして日本的思想に戻り切り出すことでより深い考察ができるのではないか。積極的分離についても結局私の中では、創造的本能が強い人間は精神の不安定さと痛みに対峙する生き方から決して逃れられない、という意味で、宮沢賢治の人間性と彼の生き方へとつながっている。

私にとって「主観的に深い意味を持つ宮沢賢治」と、「外来語を使って客観的に説明を試みてきた心理や精神の話」が、長い旅を経て〝ひとつ〟に結びついたので、今日はそのことを記した。

お読み頂き誠にありがとうございます。お金は貴方にとって大切な人の健康や幸福のためにお使いください!貴方の幸せを願っています。