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私の人生スローガンな歌①『Sailing day』

近頃めっぽうスピッツやSHE'Sばかり聴いてBUMP OF CHICKENは『aurora arc』で止まっている。そして今でも私は昔の曲が大好きだ。日本中にあふれるほどいるコアなファンを差し置いて、今から勝手な私的感想を書くけどお許し頂きたい。
BUMP OF CHICKENの数ある推し曲の中ダントツで私そのもの、私自身と感じられる曲がある。

それはやっぱり、どこまでいっても『Sailing Day』なんだ。今日はこの曲に対する私の熱い思いとエピソードを書く。

私は、親らしい親がいない暴力がある機能不全家庭で育った。そのせいで十代から三十代前半まで、極度の社交不安障害から始まりアダルトチルドレンから双極性障害まで精神上の問題をたくさん抱えてきた。それらを自分一人で解決してきた。猛烈に本を読み、たくさん経験して、色んな人の人生を知り、心の成り立ちや世の中の仕組み、人と人の間にある力関係や物事の因果関係などを私なりに思い巡らしながら、どのように克服してゆけばいいかをとことん考え尽くした。専門家には一切相談しなかった。私のことを理解してもらえるはずがなかったから。


そんな私が社会で生きていくには、挑戦、挑戦、また挑戦。闘いの連続だった。恐怖と向き合い、しかしひるまず前を見て進む。進むときは身体中に恐怖の電流が走り目眩がした。額と手のひらに滲んだ汗の量。バクバクと今にも飛び出てきそうな心臓。緊張と不安。足がすくむ。……それでも私は負けなかった。どんなに苦しくても踏ん張った。独りで闘った。苦しい過去や自分を痛めつけた人を決して責めなかった。「生きづらい」なんて愚痴も言い訳もしなかった。たった一人で涙を流すだけ流したら、あとはひたすら前を向いた。だからこれほどに強くなれた。今ここに来て、私ほど弱さのどん底から這い上がってきた繊細な人はそれほど多くないのだと思える(私から見れば小さな問題でもすぐに若い人は『生きづらい』と言うし苦難や過去を言い訳にするし、自分や誰かを責める)。──それほどに過酷な人生だった。困難とどう向き合ってきたか誰にも本当のところは話さずここまで成長してきた。三十代半ばまでそうだった。

そんなある日、当時好きだった十個下の男の子がなぜか突然私の家のドアを叩いて、「これ、聴いてみて」と一個のカセットテープを渡してくれた。玄関先、彼の背後から夕陽が差し込んでいた。それはビニール袋に丁寧に包まれていた。私は突然のことに面食らったものの堪らなく嬉しかった。そのテープを受け取り袋を開け早速プレーヤーにセットして聴いてみた。……流れてきたのは、BUMP OF CHICKENの『ガラスのブルース』だった。聴いたとたん一瞬で好きになった。その後にも最高な曲がたくさん続いて、夕暮れの私の部屋をロックの力強いサウンドが満たしていった。
あの日から私はBUMP OF CHICKENに夢中になった。聴く曲聴く曲刺さりまくるフレーズのオンパレードで、ボーカリストが紡いだ歌詞には私が内面に獲得してきた勇気を歌ってるように思えるものが本当に多くあった。どれもこれも心躍らせ涙を流しながら聴いた。
中でもこの曲ほど『私の生き方そのものだ』と感じた曲はない。

自分にしか見えない光──夢を胸に携えて嵐の海に嬉しそうに船を出す呆れたビリーバー。たった一度笑うためだけに幾度の苦しみを体験し、何度も何度も涙を流す。たった一つを掴むためだけに幾つもを失う。たった一秒生きるためにいつだって命懸けなんだ。(この曲は某アニメの映画版テーマ曲だとは知ってるが個人的には関係がない。)

そうだよまだ 僕は僕の 魂を持ってる
たった一秒生きるために 
いつだって命懸け 当たり前だ

『Sailing day』BUMP OF CHICKEN

当たり前だ、の部分が最高だ。

いつだって命がけで生きてきた。
それだけが私の誇りだった。

職場の同僚や知り合いと何度かカラオケに行ったことがある。そこでつい私がこれを選曲し熱唱してしまうと驚かれる。私は周りから、大人しくて穏やかな人と思い込まれていて、当然こんな嵐のような内面は誰も見抜いていない。ツイッターのプロフのアドレスはいつだってBUMP OF CHICKEN一色なのにね。私のスローガンだから。

いつも内面が嵐みたいなHSS型HSPっぽい(笑)

『Sailing day』は、私の過去の闘いを全肯定してくれる。聴くたびに私は私の中に巻き起こった数々の大嵐と、嵐の海に怯まず乗り出していった勇気を思い出す。この曲は何もかも、わたしそのもの
ありがとう藤原基夫さん。そしてあの日、なぜか私に突然カセットテープを届けてくれた人。長い人生の中でたった一度だけ味わった甘く切ない感情。なぜあの日あの人が私にカセットを届けにきてくれたのか──今でもその理由はわからない。でも私にはバンプが必要だった……。本当に必要だったのだ。


ところで私の友達でロック好きがあまりいないのはなぜだろう。

君はロックなんて聴かないと思いながら

『君はロックを聴かない』あいみょん

(因みにこの曲はあいみょんの中でダントツに好き。)

16歳のときビートルズにどハマりして朝から晩までビートルズのアルバム片っ端から聴いてた。大人になってからはoasisがやたら好きで、自分で書いた小説にも『ドンルク』(=『Don't Look Back in Anger』)とか曲目まで出してしまってる。洋楽も邦楽もロックで好きな曲はたくさんある。近頃はR&Bのリズム系が浸透してきて正統派ロックを継承してるバンドが少なくなってるような気がするけど。スピッツありがとう。

ただ私は一般的な音楽好きの人とはかなり違っている。Jポップはもちろんのこと洋楽ロックから日本のバンドまで好きなだけでなく、クラシックから日本の唱歌や民謡から古今東西のワールドミュージックから宗教音楽グレゴリオ聖歌までを愛聴する。そして自分でも曲を作ってギターを弾いて歌う。パソコンでも音楽をたくさん作った。好きなジャンルも歴史も創作も演奏も、これほど幅広く音楽を愛するタイプの音楽好きは若い人にはそこまでいないのかもしれない。皆音楽といえば専ら好きなアーティストや曲の話に終始する。

私は、自分が死んだら音楽葬をしてほしい。すでにリストまで用意している(笑)真剣にそう思ってる。人生最期の瞬間も音楽に包まれて逝きたい。……話逸れたな。

というわけで今日はここまで。  
にしても、なぜ好きな曲ではいつも「Bメロ」に私の人生スローガンなフレーズが集中するのだろう? 不思議だ。

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