闘争心
最近、妹といろんな話をするようになった。
主にはお互いの性格の違いに関して(だけど好きなものとかは似てる)、とか、好きなアニメの話とかをする。
彼女はよく自らの性格のことを闘争心が強い人だと語っていて、私も彼女のことはその通りだと思う。幼い頃から、徒競走でも部活動でも何かと目立つ存在だった。彼女がそこまで熱心になれる理由は、彼女自身がもつ「闘争心」の強さにあると言う。常に、何かと戦っているし、それに絶対に負けたくないのだそうだ。かっこいい。
一方の私はというと、運動会どころか体育の授業すらまともに参加する気がなく、部活動も適当に時間が潰せれば良いかな程度の熱量しか持ち合わせていない。もはや熱の「ね」の字もない。
それでは、運動以外の面で熱中し闘争心を燃やした経験があるのでは?とも考えられるが、これといって思い当たらない。
勉強も、読書も、習い事も、大した熱量もなく、タスクをこなすだけのようにそれなりにやっていただけだ。
絶対に誰々に負けたくないとか、もっといい成績を残したいとか、そういう意欲に燃えた経験が思い当たらない。
ということは、私に足りないのは意欲というより「闘争心」なのかもしれない。誰かより、うまくやりたい。負けたくない。みたいな気持ちがそもそも生まれてこの方強く感じたことがない。
人として、そんなことがあっていいのだろうか?と自分の生きる気力のなさに驚愕してしまう。生存本能のことを考えると、やはり他人と比べて劣っているからもっと努力しようとか、なんとしてでも生きぬいてやるんだとかそういう欲があったほうが、人間として正しいのではないだろうか。
そこで、せめて何か嫉妬とかそういう類のことくらい、こんな私でもしたことがあるだろうと、記憶の中を探してみることにすると一つだけ、ヒットするメモリーがあった。
私がひとりの美しい男と毎日のようにベッドで過ごしていた、だらしのないある夏の日の午後だった。
彼が、仕事があると言っていそいそと服を着、申し訳程度に乱れた髪を直してから外出していく。私はそのまま彼の家でゴロゴロとしながら彼が帰るまでの間、留守番することが定番になっていた。(家に帰れよ)
彼の家にあった見たい映画のDVDも、もうあらかた見終わっていたしかと言って、近所の喫茶店にでも言って時間を潰すのもなんだか気分じゃない。
そこで彼の雑多な部屋を探索したい欲求に狩られ、ベッドの脇にあった黒い棚を物色することにしたのだが、そこでシャネルの口紅をひとつ、見つけてしまった。
その口紅は、カメラ好きの彼の持っていた大きくてゴツゴツとした黒々しいカメラの横にポツンと置かれていて、カメラの無愛想な黒色と、シャネルの口紅の独特の黒光りするそれが妙に似合っていた。
その口紅は彼の恋人のものに違いなかった。彼の恋人は少し奇抜で人付き合いが上手な都会らしい女性で、内気な彼とその彼女は、棚にあるカメラと口紅のように”妙にお似合い”の恋人同士だった。
彼の恋人になるような、あの女性はシャネルのどんな色の口紅をつけるんだろう。と好奇心が芽生えてしまい、そのキャップを恐る恐る開ける。
「あっ」真っ赤。
その途端に、私はひどい嫉妬を覚えた。
なぜかって、私も全く同じ色を持っていたからだ。
私だって、この口紅が似合うし、私の方がもっと上手に使いこなせるし、私の方が、細くて、スタイルが良くって・・・・・・・・・いや、違う。
同じ真っ赤の口紅をしてるのに、私はダメで、この女性は、良いんだ・・・。
全く同じブランドの、全く同じ色の口紅をつけてても、私がどんなに痩せてても、どんなに綺麗に着飾ったとしても、この女性には到底、勝てない。(というかこんなこと考えてる時点で・・・)
私には彼女のようなエキセントリックさも、クレバーさも、人付き合いの良さも、センスの良さも、家柄の良さも、なにもかも、勝てない。
そっと口紅のキャップを戻して、彼のカメラの横に置き直した。
そうしてるのが、きっとふたり、お似合いだよ。
それから、そのシャネルの口紅は私に対して強烈なオーラを発しているような気がしてたまらずここにはもういてはいけない。と、服を着てそそくさと彼の家から逃げ出した。
それから、彼に会った時なんらかのタイミングで私の激しい嫉妬心を隠すように苦し紛れに言った私のセリフが今でも惨めすぎて忘れられない。
「私、最近お化粧しなくなったな。赤い口紅なんて到底できないんだから。」だ。多分、顔だけは彼女に勝てるかなと思ったんだと思う。馬鹿みたいだ。
これが思い返して見たら中で唯一、闘争心に火がついた時だった。弱火のうちに指でつまんで消してしまったんだけどね。
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