見出し画像

親密な洞窟

私と彼の音はすごく親密だった。

誰かがSNSにアップしていたこの写真を見た時に、私の、誕生日の次の日だったのが気になった。えっ。と思った。誰が、また偉人になってしまったのだろうと。

私は、「どんな音楽聴くの?」と他人に聞かれる時必ず、「あんまり音楽のことはよく知らないんです。坂本龍一くらいしか聞かない。」
と答えていた。自ら進んでよく聴きたいと思うのが彼の音しかなかったからだ。

彼の作る音に初めて出会ったのは、母が弾くピアノだ。
昔、私の家には白いカワイのピアノがあった。
母がよく弾いていたのは、坂本龍一の"Enegy Flow"。彼女が、リビングでぽろぽろと弾きはじめると私は決まって、そのそばに行った。

母がペダルを踏むその横に丸くなってしゃがみこむ。そして目を瞑って、耳をその音に捧げる。ピアノの鍵盤を熱を持った肉体をもつ指が叩く音、ペダルの金属が軋む音、ピアノの内部の金属製の何かを布製の何かがぽんぽんと叩く鈍く優しい音、そして、木製のピアノ内部にその音たちが穏やかになじんでいく。

私も例にならってピアノを当時ならっていたが、なかなか坂本龍一にはたどり着かなかった。
「これは、なんていう曲?」と尋ねると、母が楽譜を見せてくれる。それもまた、まっ白な楽譜集だった。

私はあまり音楽に陶酔しない達だった。綺麗な音が好きだったけれど、特別この音楽家が好きとかそういうのもなかった。好きなバンドも、ラッパーも特にいなかった。好きかも、と思って追っていても新しい曲はあんまり好きじゃなかったり、とそういうことが多かった。

だけれど、坂本龍一。彼の作る音はいつも私を、私に連れて帰ってくれた。私の、深い、深いところまで沈んでいってくれる。一緒に。

風を、感じる。
空を、感じる。
地面にさく小さな花や、草木がそれに順応するように揺れる。
川の水が石や岩に当たって、流れていく。
川魚がその間をぬって泳いでいく。

彼のつくる音はいつも私にそういう感覚を取り戻させてくれた。

母のよく弾いていたEnegy Flowの音は、植物が水分を吸収していってみずみずしく芽を伸ばし、太陽の光を浴びてかがやくように緑を萌やしていく様をまるで顕微鏡で観察しているかのように、その生命の清々しさの細部の細部を見させてくれるかのような曲だ。

母がいない時は、学校から帰ってひとりでリビングにあった重厚なスピーカーで「私のピアノなんて足元にも及ばないわよ」と渡してくれた坂本龍一のアルバムを聞いた。

ひとりで、ソファにしずむように寝転がって、私はその音のプールの中に溺れるのが好きだった。

そのあと少しして、私の家庭は崩壊した。
ピアノが置けるほどの家になんか住めなくなり、大きなソファも、重厚なスピーカーも全て手を離さざるを得なくなった。まだ自分の力で金を稼ぐこともできない無力な私の目の前で、持っていたもの全てが少しずつ壊れていく様は今思い返しても堪え難い事実だった。

そんな中で、私はまた坂本龍一をずっと聞いた。誰もきっと知らないところで。

彼がこの世を去ってしまったと聞いた時、なぜ私は彼とこんなに親密なように感じるのだろうと考えた。考えても思い出せないので、音に身を任せていたところ思い出した記憶がある。

私は、あまりにも現実が耐え難いとき決まって毛布を頭まで被って丸まり、イヤホンをつけて坂本龍一の音を聞いていたのだ。ずっと、ずっと。
(この頃聞いていたアルバムは/04と/05)

彼の作る音はいつも、私を洞窟の底の底まで連れていってくれる。それは怖くも、痛くもなく、海の底のように暗くて穏やかで、私だけしかいない静寂の世界だ。そこに、いつも彼の音があった。静寂な何重にも重なった感覚の層の中の、音だ。

彼の音は、まるで、洞窟のようだ。壁をつたう水滴、踏みしめる地面の水分に、苔や鉱物の匂いが混じる。感じた世界を描くこと、つまり目で見たもの、聞いたもの、鼻で嗅いだもの、舌をつき出してその粘膜で味わったのの、肌で感じた湿度、そこにいて浮かんだ心。彼の音はその全てを、記録して、そこに表出させる。

パリの調香師という映画をご存知だろうか。

その映画のひとつの場面で、主人公である調香師の元に、ある洞窟の中の香りを再現してくれという依頼がある。主人公たちはその場所を再現するために、洞窟の中で醸し出される香りを嗅覚で分析する。

「鉱物ね。」
「土とショウノウと苔も。」
「書き留めてる?あと、オークも。」
「オーク?本当だ。不思議だ。」
「アヤメ。アヤメの根も。」

観光用に作られた洞窟に、本物の洞窟の香りを調香師が再現し限りなく本物に近づけるのだ。そのために、その環境下の香りを細部の細部まで感覚し空気そのものを作り出す。

この作業はまるで坂本龍一の作る音のようだ。と思った。環境の細部の細部の音、感受した音を一つの曲にして、私たち邪念の多い人間を感覚の洞窟に連れ戻す。

音で、彼が、私が、人が、感じた瞬間に連れ去ってくれる。それが坂本龍一の弾くピアノだった。

私は、そこに自分だけの逃げ場所を作っていた。彼の弾く音が作ってくれる重厚な感覚の場所に逃げては、この耐え難い現実を耐えていた。

私がそうして、深い深い洞窟の底にいる時いつも坂本龍一のピアノがあった。

だから私は、坂本龍一とこんなに親密に感じるのだ。

こんなに何層にもなる感覚の洞窟に連れていってくれるピアノ奏者を私は彼以外知らない。これから、どうすればいいのだろうと、悲報を聞いてからずっと音を聞いては涙を垂れ流している。

あの頃、自分の力で生き抜けなかった無力な私、耐えきれない現実の重みに潰されるしかなかった小さな、小さな私は、今、自分の稼いだお金で住んでいる小さな部屋で、「安いのに良い」と友達が置いていってくれたスピーカーで相変わらず坂本龍一を聞きながら、まだこの世が彼を失ってしまった事実を受け止めきれないまま、これを書いている。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?