リバイスのはなし②

1はこちら→https://note.com/minacodor/n/n1a3e19d148cd
狩崎とヒロミの扱いについての話です。読み直して見たら「この人、リバイスのことちゃんと好きだったんだろうな」って我ながら可哀想になってしまったよほほい…。

で、今回はさくらちゃん周りの話です。

3.さくらアギレラ玉置持て余しすぎ

 持て余しすぎというか、ジャンヌの登場回あたりまでは普通に面白かったじゃん。兄二人がライダーとしての活躍する中で、これまでその真っ直ぐな性格から悩みらしい悩みもなかっただろうさくらちゃんが、自分には何が出来るのか、したいのか迷惑系YouTuberの1件で大衆の浅はかさに疑問を持ったり、子供の治療費のために悪魔に魂を売る母親への複雑な思いに揺れたりしながら、考えて考えて答えを出す。まあそれがやっぱり「無敵になりたい」だったわけだけど、まあその常人にはよく分からんその独特な価値観もそこまで押し切れば持ち味だし、強くなるためにはまず自分の弱さを認めないとならないってのは非常に分かりやすくてシンプルじゃないですか。成長のきっかけと流れを作っての変身で、その上でタフで強い女が好きなんです!描きたかったんです!は良いじゃん。良いじゃんってか、愛のあるキャラ作りだなあって思いますよ。強い女も弱い女も強い男も弱い男も定義なんてないので、現代の価値観と世論に配慮しつつも、こういう好き!やりたい!で別に良いよってか、それがキャラへの愛着であり、作り手のプライドだと思うし。
 ただなんだろう、変身を経て成長したはずなのに、今だにこっちは普通にしてるのにいきなりキレてきそうなあの感じ、マナー講師の人とか?を見てる感じで怖い。強いってか怖い。声が大きくて、ハキハキしてて発言に遠慮がなくて怖い。でも昔、毒舌占い師先生みたいなのも流行ってたから、そういう中々はハッキリは言えないようなことをズバッと言ってくれるキャラを世間が求めていて、見ててスッキリする人もいるんだろうけど、あんまり続くとそれを強い女ですとされましても…はあ、好みですかね…?って冷めるしかないんだよね。ラブコフでバランス取ればいいんだろうけど、クズとか言うからな、ラブコフもラブコフで、カワイイのに毒吐くギャップの良さってのはあるけど、シンプルに口が悪くて引く。それにさあ、まだ女性ライダーってそれだけで注目されるからさ、やっぱ女いると華はあるけど怒ってばっかで不快だよねってなるのは避けたくない…?……ないか…出した後の好感度とかはあんま気にしないか…?まあ、しないのかな。さらには女子高生なので、子供なので、未熟な面は大目に見て見ぬふりしてよというような逃げ道もある。そういうのが一番さくらちゃんが嫌がりそうなのに。
 もっと言えばあれはさくらちゃんが基本健康で、心技体に優れた恵まれた存在で、なおかつ「いざとなれば親や兄たちが守ってくれる前提」があるから、私のが強い!守られたくない!って言えたし、今でもそれはそうやん。だからその前提を捨てるためにも家を出ます!はまだ分かる。でも選んだのがウィークエンドだから、またどういうことってなる。一輝がバイスと一体化しちゃって大変な時には「動物実験じゃん」とまで言っていた組織に…?なぜ…?そういうよく分からんことをするから、守ってやらないとというか、信用して任せ切れないんだろうよってなるし(ってかもう一輝も大ニもさくらを守ろうとかそんな余裕ないし、あんま考えてないと思う。逆にまだ守られている気でいたんだ?ってなっちゃったな)普通に支離滅裂すぎて、クールビューティーな女の子をかっこよく戦わせたかっただけで、やっぱりあとのことは考えてなかったの?ってなる。
 でも考えて無かったわけないんだよ、ジャンヌって名付けたからは民衆の味方になるはずだったのでは………。
 だからさくらちゃんに真に戦うべきものとして捉えてほしかったのは、「デッドマンズを崇拝するほどに追い詰められ、人間として生きるより悪魔として散った方がマシだとさえ思うほど冷たい社会そのもの」だったなあって。
 そしてそんな社会に対して冷たい、残酷だって憤った経験すらないままで、解き放たれてしまったのがアギレラ様なわけでしょ。「無」だよ、「無」。デッドマンズが真実、クソみてぇな組織だったとしても、小さい頃からその組織で蝶よ花よと育てられ、楽しく過ごしていた時もあって、信じていた未来、揺るぎないギフ様への愛も全部そこにあった。それらを一気に失くして彷徨うアギレラ様をさくらちゃんと比較して、まるで弱い女のように演出したのだけはマジで許せないからな…。
 
アギレラ様の反応が普通じゃん。ブチ切れて、おかしくなっても当然だろうに、玉置を気遣ったり、オルテカの傍若無人ぶりにちゃんと心を痛めていたじゃんね。そういう優しいアギレラ様だからこそ救いたいってなる流れじゃん、これは。
 それを何、ギフ様ぷわぷわ移動させてビンタさせてんの、舐めてんのか?口に牛乳含みながら観てた方が良いんか?

 んでさあ、玉置も玉置なんだよ。イイヤツなのは分かるし、最後はアギレラ様を庇ってその腕の中で死ぬ(死んで欲しくなくて泣いてるアギレラ様にスマイル、スマイルですよ…って言い残して微笑みながら死ぬ)ぐらいの見せ場はあると信じたいけど、さくらとアギレラ様、それぞれに恩や気持ちがあるから二人が動かないと動かせないキャラなのかと思ったら、二人が動いても動かないじゃん…なんそれ?
 空手道場に潜入した設定を生かして玉置も人間としてアギレラ様を守るために少しでも強くなろうと自発的に空手を習うとか、無敵にはなれなくても、大事な人を守りたい気持ちから、居ても立っても居られず頑張る姿にさくらが心動かされるとかさ。カードゲームのオタクだったんだよね?夢中になれるものがあった過去を思い出してアギレラ様にもギフ様以外の生き甲斐や居場所を用意出来ないか考えるとか、パパさんが一時退場中の今、チャンネルの動画投稿を玉置が頑張ってバズりまくって、新しい自分の生き方に気づくとか、本編に絡めきれないからこそ、見えないところでどうにかこうにか、生き辛さと戦いながらも変わる玉置の様子が伝わってくれば、悪魔として死んだ方がマシだなんてやっぱり違ったよ、デッドマンズなんて組織無くなって良かったんだよって、そこに小さな希望が見えてくるんじゃないですかね…。そこまで行くと社会派ドラマになっちゃうのかなあ。
 でも社会派ドラマにしたくないなら、そこに目を向けないで欲しかったよ、そもそも。少なくとも1クール目あたりまでは向いてたよね?目が。人間というものを知っている人間が書いている作品だなあって信じたから、自己投影、共感を持って向き合うことが客として誠実だとも思ってたんだけど、いつの間かそこまでは扱い切れないからって割り切られたのか、目を逸られたような気がする。だったら最初から止めとこうぜ、そんなもんだよな現実も、ってなるからさ…。辛いなあ。

 だから、玉置に話が戻るけど三兄妹をしあわせ湯、フェニックス、ウィークエンドに配置して、三つ巴からの最終決戦に持ち込むためにさくらをウィークエンドに行かせないとならないなら、ウィークエンド入りする玉置とそれを見守るさくらでも良かったよね。
 なんだかんだフリオとして幹部やってたんだから、デッドマンズ時代の悪行を悔いて人を救うために何かしたい&同時にギフ様がフェニックスの手で完全復活したらアギレラ様も諦め切れなくなるだろうと考えて、ウィークエンドに入る。んで、玉置の気持ちも分かるけど、ウィークエンドはまだ完全信用出来ないし、アギレラから玉置を託されたのもあるし、そもそも勧誘されているのは自分(さくら)なのだからと玉置とさくら二人でしあわせ湯を出る……でも、それぞれの道に三兄妹は成立したし、さくらの自立心から出た行動も闇雲なものには見えないし、玉置のたくましさ、存在感も出るし。
 
 反対に若林司令官(カメレオンデッドマン)とか出番こそ1クールしか無かったけど、カメレオンデッドマンなんかどこのどいつだか分からないまま、潔く退場させたじゃん。でもだからこそもっと見たかったし、彼らの人なりを知りたくなるわけじゃん。また出てほしいなあってなる。魅力的なキャラってそういうことだと思うんだよね。いつまでも、なんだか忘れられない。
 キャラを持て余して欲しくない、持て余しているように感じ取らせて欲しくないのは、物語上いつかちゃんと退場したときに、ああもうなんか使いどころに困ってた感じあったもんね、みたいになるのが悲しいからです。確かに意味がある退場だろうに、素直にその意味、余韻を噛み締められなくなるから。寂しくない?そんなの、キャラも物語もファンも報われんよ。

 カゲロウの話も退場、去り際云々に絡めてしたかったけど3000字超えたので一旦区切ります。
 飛天、どうしようかね。

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