MY (K)NIGHT マイナイトを見たよ

ランペスリボ映画、MY (K)NIGHTを見たよ〜
特に感想を書く場所がなかったのでnoteに書くけど記事ってほとではない。

↓以降ネタバレありの感想↓
辛辣な感想が多いよ!ごめんね壱馬さん!


ざっくり言うと横浜のデートセラピスト刹那、刻、イチヤの3人が一晩限りの恋人として関わる女性の世界を救う話。そして女性たちとの夜を経て3人の世界もまた救われる話。

刹那の相手は真面目な高校教師の女。余命幾ばくもない母親の前で婚約者のフリをしてほしいとのこと。厳格な母親はいわゆる毒親だったが死期を悟って支配的に育てた娘の今後を案じている。娘も母親の愛情自体は理解しているので嫌いにはなりきれない。親を捨てて大阪から出て来た刹那には親子の情は分からない。が、あくまで今夜の刹那は婚約者である。親子それぞれに寄り添い二人の仲を取り持つ。朝方、刹那は久々に親へ電話をかける。

刻の相手は小綺麗な中年の女。女は裕福だが夫に浮気されていてタワマンに一人ぼっち。刻はその孤独を理解し、請われるまま自分の家にまで女を入れてしまう。刻は貧乏だが愛する彼女、その仲間、その息子などたくさんの人間に囲まれながら生きていた。生きる場所の全く違う二人。刻の暮らしを通して女は秘められた新しい自分を発見する。

イチヤの相手はインスタ中毒の若い女。デート中もインスタに載せる写真にしか興味がない。イチヤは元々写真家になりたかった。でも挫折した。それをまだ痛みとして抱えている。消費される写真と残る写真の違いは何か。夢を叶えた者と諦めた者の違いは何か。女も昔はバレエをやっていたが今はインスタの方が楽しい。そこに優劣はなくどれもすべて私そのものである。一見軽薄な女は自分自身と世界にしっかり折り合いをつけていた。イチヤは女がバレエを踊る写真を撮る。

夜に別れた3人は朝の海で合流する。たった一晩で世界なんか一瞬で変わる。3人も変わっていた。何が世界を変えたのか、それはぞれぞれの胸のうちにだけ秘められている。

…というまあ3組の男女の話なわけですが、話の強度が一番あるのはRIKUさん演じるイチヤとインスタ女子のパートですね。

この子がレストランでも中華街でも「飯と自分」の写真撮影にしか興味がなく、かつ料理はほぼイチヤに食わせて自分は食べない、まあまあTHE今どきの若者として描写されるワケです。
で、デートの一貫で今流行っている写真展に行く。ただイチヤは行きたくない。昔の仲間の写真展だと気付いたから。そいつがスピーチで「挫折していった仲間のためにも頑張りたい」「SNSのせいで写真の価値が失われてしまった」とか嫌味たらしく言う。インスタに命をかけている女の子からすればブチ切れ発言なのでしっかりその場でブチ切れるわけです(最高だ)まあ写真家の立場的には分からなくもない主張なんですが、これ、言ってる方もおそらくは実力もなくなんとなくバズってちやほやされているだけの作家なんでしょう。だって流行ってるからという理由で写真に何の興味もないインスタ命の女子が来場してるわけだから。で、そのやりとりを撮影して「ヤバい女いたwww」とSNSに投稿する別の客もいる。めちゃくちゃに嫌なシーンだった(笑)ここがこの映画の肝なんだろうなあと思った。

女の子はイチヤになんでインスタを頑張るか分かるかと聞くんです。イチヤは別の自分になりたいからだろうと答える。これは写真家を諦めてデートセラピストをしているイチヤ自身の話なんですよね。別の自分になりたいから「イチヤ」を演じてる。結局それと同じだろうと思ってる。でも女の子は違う、全部自分だと言う。バレエを辞めてしまった自分もインスタでいいねを貰って嬉しかった自分も全部私の現実。挫折の先で見つけた幸せのために努力して何がいけないんだ?という主張がある。一見軽薄そうなインスタ女子の中にあるタフさに彼女に対しての見方が変わるところで、夢に破れくすぶっているイチヤの世界も変わる。

この作品はランペのファン向け映画だと思うんでよっぽどじゃないとファン以外は基本観ないじゃないですか。どうしてもファン向け映画って下に見ちゃうんだけど、でも別にそれって作品の良し悪しには関係ないだろというか。写真展の下りで「じゃあこの写真はこれからも(SNSで消費される写真とは違って)残り続けると思いますか?」と女の子がキレるんだけど、まんまそれなんですよね。消費されないわけがないだろ。良いものにはいいね!で十分だろ!って前向きなのか後ろ向きなのかもはやこの時代では判断がつかない主張。でも本当に楽しかったならいいねぐらいでいいんだよ、この映画も人生も。これも前向きか後ろ向きか分からないけど癒やしってそんなものですよね、と感じる映画でした。

ここからちょっと辛辣!
冒頭3人が店で雑談してるシーンがあるんだけど、ここでの雑談が別に伏線とかにならないのがちょっと惜しい。キャラの印象を際立たせる雑談としては内容が弱いし、エモいユーモア科白劇にもなってない。何のためにあの話をしてたのか?特に意味がなかった気がする。
ラストの訳ありそうなオーナーが3人を息子のようだという。オーナーと3人それぞれの関係性は?オーナーが彼らが客を癒やすことを「世界を救う」と表現する意図は?全部説明しろとは言わないし、余白はあった方がおたくは嬉しいんだけどこのキャスト陣なので単純にスケジュール都合で大掛かりな話は出来ないだけだろうな…とどうしても読めてしまうから思わせぶりな演出だけはしておくってのはあまり良くないないかな。

刻のパートは全体的にあっさりしててこれは刹那パートの重さをカバーするためなんだろうけど、都会に住む若いイケメンの振る舞いをしてみたい!の下りで立ちションしてるところが見たい(自分もしてみたいが体験出来ないので間近で見たい)!が項目として上がるんだよね(笑)別にいいんだけど、他が煙草を吸ってみたい、トッピングマシマシのラーメンを食べたいなのでやけにここだけシンプルに性癖じゃない?ってなる。
刻の相手女性は自分をつまらない人間だと認識しているので「それは思い込みで、人間誰しもちょっと変です」の表現なのも分かるには分かるけど共感させたいのか、引かせたいのか、どっちもではあるんだろうけど普通にキモい!が先に来るので困る。
ここらは好みかも。

で、刹那さんパートは予告で「こういう話をやるんだろうな〜」と思ったのがそのまま出てくるので可もなく不可もないんだけど、後半のシーンは病室の母親、外ベンチの娘で刹那さんが別々に絡むのね。刹那さん病室で母親と話して外のベンチに座っている娘にその内容を伝える流れなんだけど、親子が仲違いしてる状況だから仕方ないとは言え、イマイチまとまりがないというかそんなキャラを行ったり来たりさせず、刹那さんに伝書鳩させずに、3人での話すようなシーンの方が良かったと思う。夜の病院を出たり入ったりバタバタすなよ(笑)
ただ結局あのあと親子は和解するんだろうけど、和解する瞬間に刹那さんは立ち会わない。それはセラピストとして一線引いている、弁えているからではある。これは良かったなあと思う。一回お金を貰うのを断ったりもするけど、刹那さん最後はちゃんと貰うんだよね。あくまでプロとして仕事をこなし、一晩限り関係で未来には介入しない。ちゃんとしてる。

この作品、スリボで当て書きなのかな?とにかくイチヤが良くてね。イチヤは一応影のある役のようだけど、RIKUさんのまだ初々しい映像演技だからこそイチヤの夢破れた若者のある種の爽やかさ潔さが出せるんだと思う。
RIKUさんにはいずれSWORD地区を任せたいので(本音だ)映像仕事もがんがんやってほしい。楽しみにしています。

え、3000字ぐらい感想書いてる。やばい。これには壱馬さんもにっこりかもしんないね。。。。。

壱馬さんへ
刹那さんの偽名が「タカハシヒロシ」なのは笑っていいところでしたか?
笑いましたが。。。。。


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