十年前の記憶
「こころ、ぼそし?」
「これはね、”うらぐわし”って読むの」
彼女の澄んだ声が、夏の空気の中で僕のからだを鳴らす。
「うら、麗し――とても美しい、心にしみるほど良いって意味」
「なんで細い、なんだろ」
「うーん、美しいものをみたら心の細いところまで沁みていく、ってことじゃない?ほら、繊細、とかいうじゃん」
「ふーん」
「しらないけどっ」
そうやって笑う彼女につられて、僕もわらう。
心に残るほどの美しい景色、という記憶をだれかと共有するのはとても素晴らしいことだ。僕が思い浮かべる景色と、彼女の中にある景色が同じだったら、どれだけ幸せなのか、それはあの頃の僕にもぼんやりとわかっていた。
もういちどみたい景色があるんだ、と彼女はその鈴のような声で言った。どこの、どんな景色なのかを、僕はきいたはずなのに覚えていない。
今、目の前に広がる風景を心のちいさなひだにしまいこんで、そのまま伝えられたらいいのに。