モラハラ動画「夫婦の実例」編を投稿しました

相変わらずの下手くそぶりですが、『世界一やさしく考えるモラルハラスメント』第2回を投稿しました。

慣れていないこともありましょうが、動画を作ることは難しいですね。センシティブな話題だけに言葉選びや表現も慎重になり、投稿に時間がかかってしまいます。

第1回では、モラハラを一定の基準ではかることは難しいとお伝えしました。しかし、概念だけをお話していては、理解できるものも理解できません。そこで、モラルハラスメント提唱者の書籍を用い、実例をもとに考えているのが、第2回です。

その書籍では、モラルハラスメントの起きやすい環境は職場と家庭とあります。今回は「夫婦」を題材としました。理由は動画内でも述べていますが、夫婦間のモラハラというのは理解されづらいからです。

夫婦は一般的に、新婚の頃は仲が良くても、徐々に価値観の違いなどが見えてきて、「好きだけでは暮らせない」状態になるものだと考えられています。

「好きだけでは暮らせない」ことを知った時、多くの人が、多かれ少なかれ苦痛を覚えることでしょう。その辛く、苦しい体験は、大雑把にくくればほとんどが「価値観の違い」に当たると思います。

夫婦間のモラルハラスメントも、表面に現れる事例は「単なる価値観の違い」に見えることが多いです。そして、価値観の違いによる苦痛は多くの夫婦が味わっています。

そうすると、モラハラで悩む人が他人に相談したとき、「夫婦なんてそんなもんよ」「うちだってそんなだけど、付き合っていくしかない」「そんなに嫌なら別れたらいいんじゃない?」と、もっともなアドバイスをもらう流れになります。

それらのアドバイスが間違っているとは思いません。別の人生を歩んできた二人が一緒に暮らすことは、とても大変です。価値観の違いについても、互いの妥協点を探すことは大事です。そして、妥協できる点が見つからない場合は、離婚するのが良い選択肢だと思います。

ただ、モラルハラスメントの場合は、根本的な原因が「価値観の違い」にあるわけではなさそうです。

これは私の勝手な考えですが、「人格の全否定」をするための材料として、相手の価値観をおかしいとあげつらっているように思います。つまり、価値観の違いは、相手を攻撃するための言い訳でしかないという考え方です。

私は実際に、あらゆる言葉、態度で人格を否定され続けました。私自身は、もともと大変な鈍感で、超がつくほど前向きであり、なんなら防弾ガラスかってくらい分厚いハートを持っているのですが、毎日積み重なっていく人格否定に耐えきれず、ついに体に変調をきたすまでになりました。

「人格の全否定」とはどういうものか、また整理ができたら、動画なり記事なりでお伝えしようと思います。

人格の全否定をしている、という言葉は、多くのモラハラ加害者にとっては、思いもかけないものだと思います。それは、モラハラ加害者にとって、ごくごく日常の生活に過ぎないのではないでしょうか。これは大変危険な表現ですがそこに「悪意」は存在しないのです。

その意識の裏側には、自分は圧倒的に正しく、善であり、万能であるという、ある種の誇大妄想がある気がしています。そして被害者は、いつも間違っていて、悪であり、劣った存在なのです。これは、実際の能力がどうであるか、他者がどう評価するかによって左右されない、絶対的な事実です。モラハラ加害者にとっては。

万能感、自分だけが特別という感情は、幼い頃には珍しくないものだと思います。実際、モラハラ加害者と呼ばれる人の多くは社会に適応しているので、被害者以外にはそういう振る舞いをしないのでしょう。それでも、なぜか被害者の前では、とても幼稚な存在に戻ってしまうのです。そしておそらく、現実と理想のギャップを埋めるため、被害者に対する優越感で自己を満たす…と、私は予想しています。

こう感じるのは、自分の経験からであり、私もそれほど多くの人間にモラハラを受けてきたわけではないので、数値的に証明できるものではありません。

健全な夫婦の話に戻りますが、たとえば家事の分担について揉めた時、両者は自分の意見を主張します。それは激しい言い争いになったり、意地になってしまうこともあるでしょう。だけど同時に、互いに妥協点を探ったり、何度も自分の正当性を確認するなど、自分と相手の主張に対して、揺らぎが起こっているはずです。それは、相手と一緒にその問題を解決したいと思っているから、起こるトラブルです。

ただ、モラルハラスメントの問題がある夫婦の場合は、違います。加害者は、自分が絶対に正しいので、相手との妥協点など探る必要がありません。話を聞くことには何の意味もなく、その煩さに苛立つだけです。

多くの良識的な人は、話すら聞かず一方的に指示をし、傷つけるだけの人と、なぜ結婚したのかと思うでしょう。前時代のような家が決めた結婚ではなく、多くは自分自身の意志で結婚したはずです。

しかし、加害事例の多くは、結婚するまではその片鱗を見せなかったのではないかと考えています。

そして、優しかった人の態度の急変に直面すると、人は混乱します。この人は優しい、なのにこんなにひどいことを言っている。それはなぜだろう? そう思った時、きっと自分に何らかの問題があったんだと考えても不思議ではありません。そして、その問題さえ解決すれば、きっと元の優しい人に戻ると信じます。あるいは、ストレスから解放されれば、元の優しい人に戻ると。

この「自分になにか問題がある」という思考ばかりに支配された時、被害者には離婚をする気力は残っていません。離婚=どうしようもない自分が捨てられる、という図式が頭から離れないのです。

そこまで至らず、引き返せる人は、大変に賢明だと思います。私は引き返せませんでした。常識では考えられないような罵倒が繰り返されるたび、私は自分の行動のあらゆる点を変えました。その対応をするのに精一杯でした。けれど、一つひとつ潰していっても、何も良くなりません。それどころか、ますます罵倒は激しく、頻繁になっていきます。そして私は、いつも笑って、普通に見える生活をこなすことが得意になりました。もし自分が怯えていたり、悲しんでいたりするような態度を見せたら、或いは彼の目にそう映ったら、ひどい攻撃が始まるからです。

加害事例の多くは結婚前は優しかったはず、とは言いましたが、私の場合は結婚する5年ほど前から、モラルハラスメントを受け続けていました。それでも結婚したのは、「私は価値のない人間だから、この人以外と結婚できるはずがない」「結婚して落ち着いたら、彼も落ち着くかもしれない」と思っていたからです。ネガティブでいてポジティブ、不思議な思考ですよね。と同時に、未来のことなんか何も考えられず、言われるがままだったでしょう。自分の人生には一生安寧などないのだと、自棄になっていたのかもしれません。多くの花嫁が張り切る結婚式の準備は、何もする気になれませんでした。私自身に祝う気がないし、どうせ何か意見を言うたびに否定されるに決まっているからです。

…自分語りが長すぎましたかね? でも、私の経験も一つの事例なので、なるべく効果的になるように差し込んでいきたいと思っています。

自分の事例については、どうしても感情が滲んでしまう部分もあると思います。ですが、基本的には、なるべくフラットに「モラルハラスメント」について考えていくつもりです。

この動画や記事が、あなたがモラハラについて考える際の一助になれば、嬉しいです。

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