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語に敏感になるショートレッスンー2023年度東京大学入試国語第四問 問一を通してー

単発企画です。
タイトルの通り、今年の東大国語の問題を題材にして言葉にこだわって読む大切さを体感できるような記事です。
東大国語の問題は各種予備校サイトでダウンロードできますので、そちらから全文を確認してください。
2023年度入試第四問では長田弘『詩人であること』が出題されました。文章の内容は、「文化」や「平和」を例として挙げつつ、「公共」の言葉や「全体」の意見へと抽象化していく中で捨象されてしまう具体的な経験の言葉に注目し、寧ろ「差異の言葉」から自分を知り他人を知るといったものであり、詩人らしい言葉に対する鋭敏さが感じられる文章です。

第四問
問一「観念の錠剤のように定義されやすい」(傍線部ア)とはどういうことか、説明せよ。

河合塾、駿台予備校、代々木ゼミナールの模範解答をまずは並べます。

河合塾
個々の具体的な経験と切り離され、全体的で抽象的な理念・枠組みとなった言葉は、深く理解されないまま自明のものとして受容されやすいということ。

駿台予備校
言葉が固有の具体的経験と切り離され、内実の不明確なままに社会で通用しやすい抽象的で単純な意味に固定されがちだということ。

代々木ゼミナール
抽象性や一般性の高い言葉は、個人的で固有な経験から切り離されて、具体性を伴わない観念的で空疎な語としてとらえられやすいということ。

これらの解答の良し悪しは別として、全体的な解答の方向性は一致しているように思われます。ただ一方で、「観念」「錠剤」「ように」(比喩表現)「定義」「されやすい」というそれぞれの言葉や表現の対応が見えづらいものとなっています。解答欄に収めることは予備校の先生方に任せて今回の記事では細かな語や表現について深く考えていきたいと思います。

以下、語の意味は全て『日本国語大辞典』からの引用。

「観念」
①仏語。心静かに智慧によって一切を観察すること。また一般に、物事を深く考えること。
②覚悟すること。また、あきらめること。
③ある(抽象的な)物事に対する考え、意識。
④哲学で、何かを意識したり、考えたりしたときに、意識のうちにあらわれる内容。人間の意識内容として与えられているあらゆる対象。
語誌 元々は①の意味の仏教用語であったが、中世以降、②の意味に転じ、日常的に使用されるようになった。明治期に入ってから、西周が、④の挙例「生性発蘊」(省略)において、「観念」を仏語と意識しながら英語ideaの訳語にあててから、哲学上の新しい意味を持つようになり、定着した。

「錠剤」
粉末または結晶性の薬品に乳糖や白糖、アラビアゴム、でんぷんなどを加え。一定の形状に圧縮してつくった固形の薬剤。

「定義」
概念の内容や用語の意味を正確に限定すること。また、その命題や式。

以下、文法に関する説明は全て『明鏡国語辞典』からの引用、文例は今回の文章で使われているものに近いもののみを示す。

「ように」→見出し語「ようだ」
①比況
 ア 似たものにたとえる
 「一瞬体が浮くように感じた」「火のように熱い」「ひったくるようにして奪い取る」

「れる」
①受身
 ウ 引き起こした主体をあらわにしないで、動作の対象を主格にして、出来事を述べる。
 「明かりがともされている」「デパートで展覧会が催されている」
 語法 他動詞をもとに自動的な表現を作る。直接動作を行う主体は普通現れないが、受け入れ先や出どころのように解釈できる場合は「に」や「から」で表されることもある。「この本は多くの人に読まれている」「この人形は世界中の子供たちから愛されている」「アンケート用紙は管理人から配布される予定です」

「やすい」
③《動詞の連用形に付いて複合語を作る》
 イ そうなる傾向がある意を表す。すぐ・・・してしまう。・・・がちだ。「形が壊れやすい」「変わりやすい天気」
 語法 ③は、意図的な動作の場合はアに、非意図的な動作の場合はイの意味になる。「生徒が入りやすい保健室を作る/構造的にゴミが入りやすい機械」

語の意味や文法について確認しましたので、主語を補った上で、細かく意味を捉えていきましょう。

(「平和」も「文化」も、)観念の錠剤のように定義されやすい

「観念の錠剤」
「観念」=ここでは④の意味と考えられるので、「何かを意識したり、考えたりしたときに、意識のうちにあらわれる内容」あるいは「人間の意識内容として与えられているあらゆる対象」となるわけですが、語源のideaは一義的に説明するのは難しいものの「理想」という意味で捉えてその意味を加えると「そのものについて理想的な状況を人が意識したときの意味」と定められます。実際、4行目~5行目に一人の経験の具体性の裏書きなしには、~ただ「そうとおもいたい」言葉とあり、「理想的な状況」を想定してしまうという方向性が読めます。
「錠剤」=「一定の形状に圧縮してつくった固形の薬剤。」ですが、これでは今回の文脈ではやや変です。「一定の形状に圧縮」=「公準化」(二行目)=「捨象」ということが読めます。錠剤は何のために「一定の形状に圧縮」するのでしょうか。誰でも飲みやすいように、目的の薬効を高めるために、といった理由が考えられます。前者は「誰もが知ってて」(七行目)と対応し、後者は誰のためのものでもなく一種の生物学的・医学的に理想的なヒトのために作られていると考えると、「誰もが弁えていない」(七行目)と対応しており、「錠剤」という言葉の必然性が感じられます。
つまり、観念も錠剤にも「理想」というキーワードが絡んでおり、「平和」や「文化」の意味として人々が想起するものは誰もが知っているけど実態としてはわからない理想上の言葉、少し厳しく使えば机上の空論とも呼べなくはない言葉と見なせるわけです。
想像しかできないものは理想になるのはしょうがないではないかという批判も来そうですが、筆者は「仮構の言葉であっても」(三行目)と断っており、想像しかできないものも理想で終わってはいけない、そこに経験の具体性がないといけないと考えているわけですから、「観念の錠剤」は、否定的に捉えれば「意味は共有できるが、誰の経験も伴っていない机上の空論」、肯定的に捉えれば「個別の経験を伴わないがために誰でも意味を共有できる当り障りのない言葉」に当たるでしょう。「されやすい」とあることから肯定的な側面の方を人は重きを置いていると考えられるわけであり、人々は「個別の経験を伴わないがために誰でも意味を共有できる当り障りのない言葉」のように「意味を限定」してしまうわけです。

解答欄を意識せず書くと
人は「平和」や「文化」を、個別の経験を伴わないがために誰でも理想的な認識を共有できる当り障りのない言葉として、意味を限定してしまうということ。

解答欄に収まるように無理やり当てはめると
個別の経験を捨象することで誰とでも理想的な認識を共有できる言葉として、意味を限定してしまうということ。

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