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音楽の感覚を描こうとした小説ーナボコフ「ミュージック」

今回も読書紹介風のエッセイです。音楽も小説も芸術ですが、片方は聴覚、もう片方は視覚を刺激する芸術であるため、性格が大きく異なります。ただ作家の中には、音楽家の中には、それらをうまく融合しようと努めた人もいました。その一人であるナボコフ・ウラジミールの「ミュージック」という作品の一部(ナボコフ、Music, p.382, l.5 – p.383, l.6)を取り上げてみました。気になる人はぜひ一読してみてください。

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本文の内容
 彼らは2年前に離婚したが、それは今いる街とは別の街での出来事であった。そして、その街は夜毎に潮騒が轟き、彼らが結婚して以来住んでいた街であった。彼の眼は依然として下を向けられたままだったが、彼は過去の雷や心のざわめきを、些細なことを考えることで、回避しようとした。例えば、「彼女は僕を見ていたに違いない、ちょっと前まで歩幅が広く、足音を忍び、胴体を上下に揺らすような大股で、この椅子に至るまでのこの部屋の道のりを全てつま先歩きした僕の様子を」とか。それはあたかも他人に一糸まとわぬ姿や、馬鹿げたことに一生懸命になっている様子を見られたようなものであった。彼女の視線の下、(敵意? 嘲笑? 好奇心?の下) 彼は無邪気にもするすると滑るように前のめりに進んでいたが、それはどんな状況であったのかということを考える一方で、彼は自身の思考を遮り、次のような疑問を考えた。女主人やこの部屋にいたその他の客はそのような状況に気付いていたのだろうか、彼女はどうやってここにやって来たのだろうか、彼女は一人でそれとも新しい旦那とともにここに来たのだろうか、自分ことヴィクターはどうすべきなのだろうか、今までのようにじっとしているべきかそれとも彼女の方を見るべきか。いや、彼女を見ることは出来ない。第一そもそも、このような広いが密閉された部屋に彼女がいるということに慣れなければならない。というのも、音楽が彼らを取り囲み、彼らにとって一種の監獄となっているからである。そしてそこでピアニストが音のアーチ構造を作り出し、それを維持し続けるのをやめない限り、彼らは囚われ続ける運命にあったのだ。
 ちょっと前に彼女の存在を認識した一瞬において、彼は何を見ることができただろうか。ほんのわずかだ、彼から背けた彼女の眼、青ざめた頬、黒い巻き毛、そして曖昧な副次的な特徴としては首のネックレスか、それに準ずる何かであった。ほんのわずかだった! しかし、そのような注意力の無い観察結果、すなわちそのような未完成な人物像は既に彼の妻そのものであった。そして、輝かしいものと陰りのあるもののこの瞬間的に混合したものは既に彼女の名前を有する唯一の存在を形作っていた。
 どれほど昔のことだっただろうか! 彼はある蒸し暑い夜彼女に狂気的に一目ぼれをした、気が遠くなるような空の下、テニスクラブの観覧席のテラスの上において。そして、1か月後、彼らの結婚式の夜、激しい雨によって潮騒はかき消された。「これ以上の喜びがあるだろうか」 無上の喜び―湿り気を帯び、ひたひたと打ち、パシャパシャ跳ねるような言葉、とても活き活きとし、とてもなついた、独り笑い泣くような言葉。そして、朝になると、庭に濡れて輝く木の葉、ほとんど音がない海、冴えない牛乳のような銀色の海。
 彼はタバコの吸いさしを何とかしなければならなかった。そこで彼はあたりを見渡した。そして再び心臓の鼓動が一瞬止まった。ある客が姿勢を変え、彼女の姿ほぼ全てを彼が見ることが出来ないほど視界を遮った。そして、その客は死んだように白いハンカチを取り出した。「しかし程なく見知らぬ人の肘は退き、彼女は再び現れる、そう、すぐに彼女は再び現れる。いや、僕は彼女を見ることは出来ない。」ピアノの上に灰皿がある。

音楽的な要素
p.382 l. 9 noiseless : 静かな、音を立てない
l.13 glide: 音を切らずに続けて歌う[演奏する]
l.14 interrupted: 〈終止が〉阻害された《属和音が主和音以外の和音に進む》
l.19 music: 音楽
l.21 pianist: ピアニスト
l.22 sound: 音
l.28 form: 表現形式
p.383 l. 2 head: (打楽器の)打面、(音符の)玉の部分
l. 2 beat: 〈拍子〉を取る、〈秒〉を刻む; 指揮棒の一振り; (ジャズ・ロックなどの)ビート、強いリズム
l. 6 piano: ピアノ

考察
交互に現れる心理描写
ヴィクターの心理描写が多い場面であるが、2つの内容から成っている。1つは元妻と過ごした街に関する回想、もう1つは現在の自身の行動に関する他者の視点も交えた自己分析である。だがどちらも、元妻と狭い空間にいることで生じた想起であり、同じ心理的要因によって生じている。前者を思い出させないために後者を思い起こすという流れであり、ヴィクターの妻に対する思いはまだ強く残っていることが分かる。そのことは交互に提示される心理描写の構造からも判断できる。離婚の原因はヴィクターにあったかは分からないが少なくとも妻の方から別れをきりだしたのではないかと推測される。だからこそ、元妻を目にしたことで心臓の鼓動に変調をきたすことになったのではないか。

瞬間的印象の重要性
 過去の回想においてヴィクターは元妻に一目ぼれをしており、第1印象が強く彼に影響を与えているように思われる。そして、第1印象というよりは元妻を構成する要素として彼の印象に残っているものは「彼女の眼、青ざめた頬、黒い巻き毛、首のネックレスか、それに準ずる何か」とたった4つである。眼や頬や巻き毛は身体的な特徴であり、容易に変更できないものであり、その人を思い出させる要素として機能するのは十分に理解できる。しかし、ネックレスは着脱可能な装飾であり、しかも毎日同じものを付ける可能性は低く、副次的とはいえ元妻の特徴として挙げているのは少し違和感がある。ネックレスに対する何らかの思い入れがあるとすれば、第1印象として強く残ったか、ヴィクターが贈ったものであったかなど何らかの要因が考えられるが、定かではない。とにかく彼は過去においても、現在においても瞬間的に捉えた印象を重要視している。実際、a few moment ago; brief glance; a moment ago; in a momentなど瞬間的であることを感じさせる表現が多い。また、4つの要素について、あるいはそれに準ずる何かについて「輝かしいものと陰りのあるもの」と評している。彼女自身の特徴が両義的なものであるのか、それとも妻に対する思いによって彼女が両義的な存在に見えるのかは判断できないが、ヴィクターに強い印象を与える要素であることは間違いない。

音楽的な要素の視覚的表現化
 ピアニストが音のアーチ構造(ボールト)を作り上げていると言っているが、ボールトは両側から建築材を積み重ねていきお互いの重さで支え合うことで、キーストーンが不要になった屋根である。そのような構造の屋根に演奏の様子を重ね合わせている。単純に言えば、「両側」という繋がりから音が両耳に入ってくる様子を描写していると考えることができる。しかしながら、ボールト以外の屋根でも基本的には両側から積み重ねていることを考えると比喩としては弱いか。キーストーンがないという点から考えれば、現在演奏されている曲は1つの主旋律あるいは主音がなく、2つの旋律から成る曲調を喩えていると考えることもできる。どちらも確証はないものの、聴覚的なものを視覚的なものへと変換しようとしていると思われる。

音に対する独特な感性
 夜の海の音(潮騒)に対する嫌悪感が見られる。だが、雨音に対しては否定していないので、水の音や自然の音が嫌いというわけではない。さらに言えば、雨上がりと思われる朝の海の音はnoiselessとあり、海の音が嫌いというわけではない。つまり、夜の海の音だけを嫌っていることが分かる。音に対する独特な感性を持っていることが分かる。しかしながら、演奏されている曲についてmusicとしか述べていないことから曲名が分からないか、興味のない曲なのかもしれないが、そもそも監獄を作り出すものとしてthe musicがあることからむしろ潮騒と同じように嫌悪の対象となっている。夜の海の音とthe musicの音には共通項が存在することが分かる。潮騒は海が最も騒がしくなる瞬間であり一日の海で海が奏でる音を音楽とすれば最も音量が大きくなる最高潮の時間の音と言える。そしてそのような音との共通項を考えれば、the musicが最高潮の部分に達し、音量が大きくなっているのかもしれない。最高潮であれば音量や演奏者の動きなど様々なものが激しさを増して高まりを見せるが、そのような高まりの様子をボールトとしてたとえている可能性もある。ボールトは上へ上へと建築を高くすることを可能にした建築構造であり、高まっていく曲の様子とのリンクが強くあり、聴覚の視覚化に対して何らかの強い意図が見える場面と言える。

参考文献
ナボコフ,ウラジミール『ナボコフ全短篇』秋草俊一郎、諫早勇一、貝澤哉、加藤光成、杉本一直、沼野允義、毛利公美、若島正訳、作品社、2011年。

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