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『OD!i』第56話「愚者もしくはヴァース‐コーラス④」
帰路は途中まで三尾氏とご一緒で、
今は普段通りに明るい三尾氏が告げてくれます。
「早水はやっぱり凄いな♪ 小津店長がたまにベースで、サポートのアルバイトに入って欲しいだってな♪ わいさが今日の演奏に感動したのは本当だぜ?」
あたしは少し俯いて照れながら、
小津店長と連絡先のメモを交換させて戴いて、
内心のほくほく感♪
……ですが、
「はい。三尾氏、正直とても嬉しいです。しかし、お金をいただけるとなれば、心を込めてお受けせねばなりません!」
すると途端に空気が変わった気がして、
あら? ……あたし、
何か間違った事を言ってしまったでしょうか?
「……あのよ早水、それが小津店長の仰る、早水のかたさじゃないかな? マラニックでの恵喜烏帽子の発言もあるけど、わいさ達は同級生だし、わいさは早水に一目置いているぞ。玉藻前様の時からな? それに……わいさは学園に来て、初めて普通に人に受け入れてもらえる喜びを知った。和歌市に来てから、それまで狂い続けてきたわいさの人生が、初めて肯定されたんだ。早水だって……そうじゃないのか?」
…………、三尾……くんの伝えたい、
否定されてきた過去を想える経験があたしには見当たらない。
それでもあたしの家族から伝えられている事を想うと、
ここは嘘をついてでも、頷かなくてはいけないのでしょうか……、
そんなあたしの長い逡巡を気にせずに、
三尾くんは言葉を続けた。
「わいさは正直もう門の外の世界に帰りたくないよ……。あそこではわいさは場を乱し狂わせ、忌避という忌避の連続の存在だった。ここなら異能を持っている事そのものが普通の事なんだ。ここに骨を埋めたくなる気持ちが理解できちまうんだよ……」
今のあたしにできる事は、
沈黙し、傾聴する事だけです。
多分この感情が沈痛と呼ばれるもの……、
しかし一転、
「っ……なっ……、なーんてなっ♪ 悪い早水、今言った事は忘れてくれ」
それから、
「わいさはいつでもご機嫌さ♪」と、
三尾くんは言いました。
その直後に天から、
まるでしとしととした泣き声の様な、
雨が降って参りました。
………………
…………
……
雨の中傘を持たないあたし達、
今朝の自室のテレビで見た天気予報は、
本日は意地悪の様です。
傍らの三尾氏は、雨空を見上げて呆れ返り、
「春雨じゃ、濡れてまいろう……か、ここは空まで優しいんだな」
そんな事を呟いています。
それも風情に感じているのかしら。
「あのよ早水?」
「はい」
三尾氏は立ち止まりまっすぐあたしを見て、
それに応えるあたしはドキッとしてしまう。
「わいさはたくさん夢を持っている。野球がしたい、ジャズがしたい、友だちが欲しい……、そんなたくさんある夢のひとつに、ダチにあだ名で呼んでもらいたいってのがある。早水が良ければ、わいさにあだ名をつけて、三尾氏と敬語は、もう、やめてもらえませんか?」
最後の「やめてもらえませんか?」の声音から受ける、
切なく真摯なもの、
複雑過ぎて理解の及ばない自身の感情に戸惑いますが、
これは友だちからの信頼だと、
ついに覚えます。
だからこそ、
春雨の中、もう少しでふたりの道は別々になりそうな空気。
「三尾くんの名前って、どういう想いから名付けられたの?」
内心では……おっかなびっくりの、それでも、大切な質問。
「有難う早水。親から直接聞いた事はないが、わいさは、正しく広く通じゆきわたる公平さを持ちなさいって、そう理解している。早水も教えてくれるか?」
あたしは迷いません。
「君へと捧ぐ華、それだけです」
「そうやって聴くと不思議な響きの早水の名前も、凛とするな」
ふと、
春雨に濡れたお互いの、
なんとも情けない顔を突き合わせて、
からからと笑い出す合間に、
雨は止み、
光の差し込む岐路へと着き、
「今日はここまでだな。じゃあな早水」
ぶっきらぼうの中にもあたたかみ、
切っても切れないリズム隊二名。
これから大いに頼りにするであろう、
逞しい背中に、
「じゃあね、せーこーっ♪」
真っ赤に顔が染め上がる、
あだ名を告げるあたしに、
せーこーは振り向かず、一安心。
ただ左腕を少し高く上げて、
ひらひらと左手をスウィングさせて、
きっと意気投合を寄越します。
あたしは今日、
誰かの夢を叶えてあげられるという、
大役を仰せつかった喜びを、
愚かな程の詩句を一斉に言葉に発し、
日記へと書き連ねて、
眠りに就いたので御座居ます。
みらいはかみのみぞしる。
きぼうはある? それともぜつぼう?
めさきのものをこなすしかないです。