『OD!i』第52話~捧華の日記~「涙がほおを流れても②」
あたしは管理人室のお電話の前、
もうこれで五代様に、
三度目のお世話になります。
多分この時間だったらお母さんが出るかな、
なんて思いながら、
五度目のコール半ばで、
「はい、早水です」
意外やお父さんが出ました。
「あっ、もしもしお父さん? 捧華だよ」
「捧華か、良かった――元気にやってるかい?」
「うん♪ だんだん楽しくなってきたよ。お父さん? お家で何かあったの?」
「いや、捧華の事で連絡欲しかったんだよ。一度、普通学園に倖子君とご挨拶に行くねってさ」
心が跳ねる♪
「本当に♪ いつ頃お父さん達に会えるの?」
「捧華と会えるかは確約できないよ。夢降る森について理解を深めるのが、一番の目的だからね」
あ……、そう、なんだ。
……もしかして、
「お父さん達、森に入るつもり?」
そして、この言葉であたしは気付けた。
この心配を、お父さん達はずっとしていたんだ……って、
だからお父さんの返す言葉も察せてしまった。
「捧華が危険に曝される可能性のある場所へ、親として先に立っておくのは、それこそ当たり前の事だよ」
「…………、はい」
そして続けて尋ねてしまう。
「強制じゃないなら、あたし止めとこう……かな?」
だって、お父さん達に危険な所に行ってほしくないって、
あたしだって思うもの……。
……それでも、お父さんはこう続けた。
「うん、捧華は親孝行娘だな。有難う。ただね? お父さん達は同時に、捧華の幸せへの可能性も摘み取りたくはないんだよ? “虎穴に入らずんば虎子を得ず”だね」
分かる様な……分からない様な……。
「……お父さん、教えてくれる?」
「もちろん。お父さんが思うのはね? 死が傍らに感じられる程、今を大切に生きてゆける、そう思うんだよ」
でも……、でもっ!
「お父さん達がもしも死んじゃったら、あたし……心が滅茶苦茶になっちゃう!」
「うん。僕もそうだ」
今あたしははっきり思ってる。
森に入るのは嫌だっ!
だけどお父さんは穏やかに伝えてくる。
「捧華? 捧華には初耳かも知れないけれど、こんな言葉があるんだよ。“結婚は人生の墓場”なんてね? 昔は善い意味に捉えられる事も、何を先人が仰っているのかすらも僕には分からなかった。だけど僕は今、肯定的に捉える事ができているよ」
ん……?
「え――お母さんと結婚して後悔してるって事?」
お父さんは、あははと笑って、
その音色にあたしは芯から温もる。
「まさか、そうじゃない。人は誰しもが命を懸けなければならない時がやって来る。僕の一番は倖子君に対してだ。お陰で今は僕はこう想えるんだよ。僕の人生は、これでいいんだって」
「これでいい?」
「そう、僕のゴール。とても揺らぎのわずかな、安息の場所です」
あたし、お父さんの言ってる意味が理解できない。
「お父さん? もう少し詳しく教えて?」
これは僕の人生のあり方に過ぎないよ?
と、
お父さんは前置きして、
「以前話したよね? 僕は人とわかりあえない方が好い。それは今も変わっていないよ。究極的にはね捧華? 僕は倖子君と出逢えた事、想える今がある事、想い続けるであろう未来があるだけで、とても倖せなんだ。もうゴールなんだよ。だから、陰陽師になって、もしも記憶を失ってしまったら、……それが、本当に怖かったんだよ」
お父さんの言葉は落ち着いていて揺らぎがわずかです。
そこまで教えてもらっても、
あたしは、まだ、理解できない……。
「お父さんの言ってる事……あたしわかんない……」
「その通り。僕は分かってもらっちゃ困るのだから、それがいい。僕の君への想いは、誰にも分かってほしくない。神仏は、失礼ながらとても悔しいですが、とっくにお見通しですけれどね?」
……なんか、……なんかお父さんがお母さんばっかりなので、
あたしの胸の中は何処かしらもやもやとして、
不意に嫌な子になってしまう。
「そうだね……。お父さんが一番大切なのはお母さんだもんね? あたし達家族全員が海で溺れたとしても、お父さんはお母さんを真っ先に助けにいって当然だよね」
お父さんは、
あたしの声音で沈黙する。
ふん、デリカシーがお父さんにはちょっと足りないよ。
しかし、
お父さんの繋ぐ声音は、
とても優しくとても悲しく、
あたしの胸に深く響いた。
「捧華? そんな訳ないだろう? 僕も倖子君もコンもポップも、真っ先に助けにゆくのは、捧華、おまえだよ」
瞬時、
お兄ちゃんとお姉ちゃんが、
あたしの傍に居て、
力強く、笑顔で頷いてくれていた。
少し離れた場所から、
五代様の「これはこれは♪」と、
一層温かみのあるお声が、
あたしの鼓膜を震わせる。
でも……、あたしには何もかもが分からなくなる。
何か……とても悔しい、とっても嬉しい……。
そう……、
思わず……、
涙が、伝う程に…………。
かすれた声であたしは、
まだ嫌な子のまま、
「そんなの、あたし嬉しくないよ……。お父さんはお母さんを助けなくちゃダメだよ……」
電話の向こうで、お父さんらしい困った苦笑が聴こえてくる。
「そんな事をしたら、僕は倖子君を失う。コンもそうだ。だから、この想いが届かないなら、捧華は絶対に生き残らなくてはならない」
そうしてあたしをもどかしくさせた癖に、
お父さんは解消もしてくれぬまま。
「長話が過ぎたね。管理人様に、くれぐれもよろしく」
最後に、
お父さんは、
あたしの髪を撫でてくれていた頃の様に、
あたしに何気なく言葉を、
捧げてくれた。
「捧華、僕らはほんの少しだけ前を歩かせてもらいたいんだよ。どうか……覚えておいてほしい」
はい……覚えておきたいです……。
「じゃあね、いつでも、星になって待ってる」
この言葉に込められた、
想いの全てを。
………………
…………
……
あたしは生きよう。
生き残ろう。
どれほどの、
涙がほおを流れても。
ほんとうに、
あたしはいきのこりたい。
じんせいにあんぜんちたいなんてないから。