死と接する
出雲遠征(試合)のためにスランプと向き合いながら練習していた四月半ば。母がいきなり実家へ向かうと言い出した。
2週間前に行ったばかりだったので不思議に思って聞くと母はこう答えた。
「じいちゃんがちょっと危ないみたい」
おじいちゃん、つまりは母の父。私が小学生のころから入退院を繰り返していて、ここ数年顔を会わせた記憶はなかった。
何度か死にかけ、一時は要介護5の判定をもらい、孫である私と姉はおろか妻であるおばあちゃんすら認識できないこともあった。
それでもしぶとく生き延び、今まで生きてきたおじいちゃんが危ないという。
何となく今回も回復するんじゃないかなと思っていたが母は
「覚悟はしておいてほしい」
と言う。
次の日の夕方には小康状態という連絡がきたものの母が帰宅を延ばすなど、あまり良い状態ではないのはわかった。
母が実家に帰ってからは何となくスマホが気になってしょうがなかったし、部活終わりにスマホを見て連絡が来ていないことに安堵したし、ラインの通知が見えるたびに母からではないかと緊張した。
結局おじいちゃんは死ぬことなく日曜日に母は帰ってきた。
帰ってきたものの危ないことに変わりはないらしく母は私に言った。
「出雲からおばあちゃん家までどうやって行くか調べといてね。最悪試合諦めて出雲から直行してもらうから。」
わかったと返事をしつつ鉄道、バス、飛行機などいろんな手段を調べた。
母からは飛行機の割引券ももらった。
次の練習の時に最悪試合途中で抜けることになるかもしれないことを主将に言っておかなければと思っていた。
月曜日、母の仕事は休みで私は授業のため朝から学校へ向かった。
何事もなく5限まで終え、いつものように帰りの連絡を入れ、休みだった母に駅まで迎えに来てくれないかなとお願いして断られるといういつもの流れをしていた。
もうちょっとで自宅の最寄り駅に着く頃、母から連絡がきた。
「いまどこ?迎えに行く」
この時私はなんとなく察した。
ああ、おじいちゃん死んじゃったかな
迎えに来た母の車に乗り込むと開口一番予想通りの言葉が告げられた。
「じいちゃんね、さっき死んだって。帰ったら葬式の準備するよ」
私は母に答えた。
「うん、なんとなくそうかなって思ってた」
そこからは準備の話や友達へ授業のレジュメ確保のお願いなんかをしながら自宅に帰った。
そこからはあわただしくブラックフォーマルの準備や着替え、移動の暇つぶしなどを用意していたが、結局母だけ先に向かい私たちは次の日の午前中に向かうことになった。
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次の日
午前中に必要なものを再確認し新幹線へ乗り込み、昼過ぎに葬儀場へ到着。
おじいちゃんはまだ納棺もされていない状態だった。
「見れそうなら顔見てあげて」
そういわれたがその勇気はなかった。
お線香だけあげてずっと座ってスマホをいじっていた。
今思えば私は怖かったのだと思う。
自分の記憶にあるおじいちゃんと、いま横たわっているおじいちゃんの顔が違うかもしれないことが。
私は幼稚園くらいの頃の記憶が割としっかりあるほうだと自分では思っている。だから、元気だったころのおじいちゃんの記憶が写真などではなく自分の記憶の中にしっかりと残っている。
入院していたというのもあってやせ細っているのではないか、記憶とは全く違う顔になっているのではないかという恐怖が顔を見ることをためらわせたのだと思う。
少しすると死化粧をする人がやってきておばあちゃんと確認をしながら、おじいちゃんの顔を整えていった。
死に顔は悪くなかったらしく、あまり化粧はしなくてよかったらしい。
伸びていたひげをそって顔に保湿クリームを塗ってマッサージをしてちょっとパウダー?をはたいて終わった。
化粧が終わると納棺作業に移った。
棺が運び込まれ、白い布と一緒に棺に納められた。体の周りに白や水色の布が置かれていった。
おばあちゃんはおいている布の色が気になったらしく質問していた。
浄土真宗は布の色は特に白でなければいけないという決まりはないらしい。
さてこの会話を聞いていた私は思わず声を出した。
「お母さんのとこって浄土真宗なん?」
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葬式自体私はほとんど関わったことがない。
過去に葬式に出た記憶は2回。しかも10歳にならないくらいの小さいころで記憶はあいまい。片方に関しては初日夜にみんなでご飯を食べて、次の日に長ーいお経を聞いた記憶しかない。あとはお姉ちゃんと幼馴染の兄弟が走り回って怒られていた記憶ぐらい。
小学校低学年の頃のひいおばあちゃんの葬式になるともうちょっと覚えていることがある。親族がいっぱいいたとか、葬儀のあと移動して納骨までやったこととか、歯がしっかり残っていると火葬場の人に言われていたこととかおばあちゃんちで親戚が賑やかだったこととか。
どちらにせよそんなもんで、私は”傍観者”だった。親密な人が死んだ記憶なんてなく、葬式なんて勝手に進んでいくもので進めるものではなかったのでどの宗派で葬式をやっているかなんて知らなかった。興味のある年でもなかったし。
私はおじいちゃんが死んだということをあまり考えたくなかったのか「葬式なんて滅多に出席することないし創作に使えるかもしれないから色々覚えとこう」という思いが割と強くあったのでこの際だからと聞いてみた。
母方の祖父母のところは昔から浄土真宗だそうで、おじいちゃんの近くには阿弥陀如来像の屏風が置いてあった。
まあ浄土真宗と言われたところで出てくる知識なんて大乗仏教・鎌倉仏教の一つで浄土宗から発展して親鸞が作ったこと、一向宗ともいわれること、悪人正機の教えがあること、聖典が教行信証であること、本山が本願寺であることくらいなのでそんなに知っていることは多くない。日本史Bの知識くらい。
どっちかというと父方がどの宗派なのかのほうが気になったので聞いてみた。
「お父さんの方は?」
「うち(父方)は真言宗」
真言宗。空海が祖で東密とか密教とかあった気がする。嵯峨天皇と空海が仲が良くて教王護国寺をもらったんだっけ?
そんなことを考えながら自分ちの宗派は知ってて損はないよななんて考えていた。
父方の宗派の話していたら葬儀場の人が真言宗さんですか!?と驚かれたので父方の話ですとちゃんと弁明しました。浄土真宗で準備してたのに真言宗の話してたらびっくりするよね。
それから少しして納棺が終わり部屋を移動することに。
この時点でまだお通夜まで時間があったので、いったんおばあちゃんちに帰ることになったはずなのに私は葬儀場でおばあちゃんとお留守番。
幸い動画をダウンロードしたタブレットとハンドメイド用の組紐セットがあったので2時間ほどただひたすら紐を組んでいた。
一番簡単な組み方をしていたので何も考えずただひたすら糸を移動させて。
途中除きに来た葬儀場の方が興味津々で見ていた。愉快なおっちゃんという感じの方が私が組んでいるのをじーーーっと見て
「わからん…」
と言って帰っていったのが面白かった。
半分くらい組み終わったところでお着替えをしてお通夜の準備。
私とお姉ちゃんは受付で香典の受け取りとかをやることになった。このご時世なのもあり家族葬だったのでそんなに大変じゃなかった。
私とお姉ちゃんはよく似てるね、お母さんそっくりと何回言われたことか。大きくなったねとも言われた。
残念ながら私は全然知らない人ばかりだったが、おばあちゃんちに飾ってある写真とかで顔を見ていたらしく親戚の方々からはほぼ全員いわれた。
お通夜が始まっても受付に二人で座っていたが、途中で葬儀場の人に入っていいよと言われ中に入った。直系親族なので一番前だった。
特に考えることがないので普通にお経を聞いていた。
なんとなくお経といえば般若心経がなじみがあるのだが(筆者刀ミュ勢なもんで双騎で最初の方は覚えた)それとはまあ違うものなわけで、初めて生でちゃんと聞くお経は興味深く聞いていた。
何言ってるかわからないのが大部分だったがところどころ聞き取れる単語もあり、面白かった。
最期の方に浄土真宗の教えを聞きながらこれ日本史でやったな、西方浄土って浄土真宗と関係あったっけ?なんて思っているとお通夜は終わった。
思っていたより早く終わったことが意外だったが参加人数が少なく焼香が早く終わったのでお通夜自体も早く終わった。
お姉ちゃんは一人で大号泣していた。
そのあと晩御飯を食べて、夜にはおばあちゃんちに戻った。
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次の日
9時ごろから葬儀場で朝ご飯。おいしかったけど量が多かった。
告別式もそんなに時間はかからなかった。
前日と同じように受付に立ち、式が始まると中に入った。
お経を聞き、焼香をした。
その後棺のふたを開けおじいちゃんの周りに花をたくさん置いた。
葉っぱ(何の葉っぱかわからない)でビールを口に置いた。
故人の口に飲み物を置くというのはひいおばあちゃんの時にもやった覚えがあった。たしかコーラだったと思う。
半分くらいはお姉ちゃんにつられてだったけどその時になって私は涙をこぼした。あまり泣きたくなかったから我慢していたのに結局我慢はできなかった。
式が終わり火葬場へ移動。
棺を載せている車がちょっとトラブっていてゆっくり向かうことになった。おじいちゃんがごねてるんじゃないかなんて笑い話にもなった。
向かった火葬場はやはりどこか見覚えのある場所で、ひいおばあちゃんの時と一緒の場所だった。地区に何個もあるような施設じゃないから当たり前といえば当たり前なんだけど。
最後にもう一度手を合わせ、焼香をして顔を見て、おばあちゃんがスイッチを押して火葬が始まった。
そこそこ体格の良かったおじいちゃんの火葬は意外と時間がかかった。
納骨に呼ばれて骨になったおじいちゃんを見た。一番最初に出てきた感想は
意外とちゃんと骨って残るんだな
だった。
最初に喉仏の骨を取り出し、足の方から順番にお骨を入れていく。10人ほどしか火葬場にいなかったので何度も何度も納骨の順番が回ってくる。
喪主のおばあちゃんから始まり、お母さん、おじいちゃんの姉妹、姉、私、私の父の順番に繰り返した。血筋的に近しい人からやるということを初めて知った。確かにそれだと一番遠いのは私の父だ。家族ではあっても血のつながりはないのだから。
大きな骨は小さく割って入れるらしい。そんなに簡単に割れるもんなのか?と思っていたが意外と割れるものらしい。お母さんは看護師なので順番待ちの間になんかいろいろ解説してくれた。
昔手術した時の固定のねじが右足にしっかり残っていた。
わたしもなんだかんだ医療系の大学生なもんで(医師看護師系ではないが)、勉強になるだろうとがっつり骨を見ていた。
人間の骨って何本だったっけ?といつぞやに読んだ漫画の知識を引っ張り出しながら。
お骨が十分に詰まったら喉仏の骨を置いて頭蓋骨でふたをして納骨は終わった。
もう一度葬儀場に戻り、ご飯を食べた。相変わらず量は多かったがおいしかった。荷物を片付けて親族を見送ってやっと葬儀は終わった。
怒涛の3日間だった。
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今回の葬儀で知ったこと
・自分の家の宗派
・葬式の手順やルール
・火葬後の納骨順 など
こんなことを書いては怒られそうな気もするが、多分これから10年しないくらいのうちに葬式に出ることは何度もあるだろう。
なにせ父方の祖父母も母方の祖母もまだ生きているから。今80くらいだからもういつそうなってもおかしくない。頻繁に会っていて仲がいいのは母方の祖母が一番だから一番泣くとしたら母方の祖母の時なんだろうなと何となく思っている。
ぶっちゃけると父方の祖父母は苦手。あんまり家にも行きたくない。私はかれこれ1年くらい会ってない気がする。
父方の方は分家筋とはいえ長男なので絶対大変なことになる(親戚とか会ったことないのに絶対大勢いるだろうし)。あとは田舎だから昔の風習とかすごい残ってそう。
今回こうやって書きだしたのは、自分がどういう気持ちで葬式を捉えていたか思い出したかったのと、死と接することで自分の中に変化があったか考えたかったから。
結論から言うと葬式の前後で自分の中に変化はなかったのだろうと思う。
身近な人が死んだら何か違う思いを抱くのかと思ったがそれもなく、死というものを感じれるのかと言ったらやっぱり他人事としか思えなかった。
想像がつかないというのが結局のところなんだと思うけど、悲しいとは思っても実感がわかない。
今回に限っては長らく(年単位で)会っていないし会話をしてないからというのも理由の一つとしてありそうだが、何となく感情から一歩引いたところで理性的に見ている自分がいたように思った。
それがもしかしたら考えたくないという自分の防衛反応だった可能性もあるがその可能性はおそらくほとんどないだろう。
今回はおじいちゃんのお葬式だったけど今後また違う関係の人の葬式があったとき今回とまた違った感想を持つのか、感情の振れ幅がどうなるのか比較してみたい。比較できそうな精神状態だったらの話だが。
死というものは相変わらずよくわからなかったがこの三日間で思ったことはひとつある。
人間どうせいつかは死ぬ。
どうせ死ぬなら楽しく自由に好きなことをして生きていこう。