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刀剣乱舞極修行でもやっとした刀剣男士


今日も今日とて刀剣乱舞~

今回は私が修行に出した中でもやっとした2振りの刀剣男士について書いていきたいと思います。

というわけでこの話は

・手紙、極のネタバレ

・個人的な解釈

・出てくる刀剣に対する否定的な意見

・破壊台詞

を含みます。

ご注意ください。

ま、修行できる子が全員行ったわけではないので第二段とか出てきそうですけど。

まあとりあえず行ってみよう!

1、大和守安定

初めて修行内容に疑問を持ったのがこの子です。

私の初期刀の加州清光とともに沖田総司の愛刀であった刀です。
まあ考えるまでもなく行先は沖田総司(新選組)の所だろうと予想して修行開始です。

1枚目

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前の主である沖田総司の元へ修行に行ったという報告と懺悔。

強くなるため過去(逸話・物語)と向き合うというのが修行の内容なため何らおかしいことはないでしょう。
そのそも大和守安定は加州清光より沖田総司のことを引きずっている印象がありました。それがどうなっていくのか楽しみでした。

2枚目

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歴史通りの道を歩む沖田総司を見守る大和守安定。

自分がどういう思いを抱いていたのかはっきりと認識したようです。

先に逝かれたのが悲しい。自分が自分であれる時代は終わってしまうから。
刀として在れるうちに朽ちてしまいたかったという未練をこぼします。

彼の破壊台詞が沖田総司の元へ行けるという喜びであることからも残ってしまったことへの後悔が感じられます。

3枚目

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自身の前の主に諭されやっと未来へと目を向ける決心をします。

が、私がもやっとしたのは後半部分。

忘れる

という彼の言葉です。

なんでそういう方向に行ったかな…

確かに考えないようにする・思考停止の方が手っ取り早いのはわかりますが、修行の目的ってそうじゃなくね?

自身の物語を再認識し、過去を受け入れ乗り越えて今の主のための力をつけるのが修行ではないのか。

忘れるという言葉の解釈にもよるのでしょうが、私はどうしても過去を拒否しているようにしか受け取れませんでした。

私が期待していた内容は

こういう過去だった。前の主の死を見て自分の物語を第三者目線から見直して、後悔なんかも受け入れ乗り越え未来を守ることに目を向ける。

という感じだったのでちょっともやっとしました。


2、燭台切光忠

初期太刀勢の中の一振り。
伊達政宗の愛刀であった燭台切光忠。
太刀修行の一発目がこの刀でした。
初期からいたのもあって待ち望んでいた人は多いはずです。

太刀の特殊効果も気になるし修行に出してみようと解禁初日に修行へ出しました。
まあ修行は伊達政宗の所に行くのだろうと予想して。

1枚目

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私がもやっとしたのはその手紙の一番最初です。

「君へ」

この書き出しにもやっとした人も多いのではないでしょうか。

主ではなく君。

「まさか、主だと思われていないのか?いやいやそんなことはないだろう。」と自問自答を繰り返しました。

それ以外の手紙の内容は特に不自然なところはなく初日の手紙としてはまあこんなもんだろうという感想でした。

向かった先は仙台藩伊達政宗公の所。
光忠自身が書いている通り「燭台切」の号がつく場所です。

2枚目

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政宗公がとんな人であるかを中心に書いてありましたが、ファッションセンスとは・・・?

かっこよさを追求するというキャラクターであるためそこに言及するのはおかしいことではありませんが、何しに政宗公の所に行ったん?とちょっと突っ込みたくなりました。
自身のおもいを貫く姿勢を学んだと言えなくもありませんが・・・

あと、歴代の持ち主のことは主って呼ぶんだなーと。
では、君と書いてあるということは主としてみられていないのか?

3枚目

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相変わらずかっこよさに重点を置き修行している様子。

そしてかっこよさとは美醜ではなく在り方がどれだけ心に残るかであると結論を出します。

手紙の中では本体が燃え蔵の奥底に眠っていたことや人々の中から記憶が消えていったことにも触れながら、それでも人の心の中にあり続けたものが今の自分であると結論付けます。

かっこよさを学びイメチェンして帰って来るという言葉で手紙は終わります。

帰還ボイスはこれ

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うん、ぶっちゃけ感想としては

お前何のために修行いったん?

でしょうか。

いや批判を受けそうなんですけどそういう感想が一番に出てきてしまってどうしようって自分でも思いました。

今までかっこよく在ることをずっと言ってきたのだからあんまり変わっていないと言えばそうなんだけど、修行って今の主=審神者のためにって力をつけるのが一番の目的じゃなかったっけ?

主とも言わず、昔の主の元で自分の在り方を考えて帰って来る。
かっこよく在ることを学んでそれが何の役に立つ?

自分がかっこよさを核にしているという認識だけは出来たんだろうなーという感想。

手紙は基本仙台藩のことのみで、水戸徳川の時代は器がなくなったということ以外触れていません。
3通という制限と入れられる文章量を考えるとどちらかに焦点をあてなければいけないのはわかりますが、ちょっとくらい触れても良かったのでは?と思ったり。

それともやっぱり水戸への嫁入りは燭台切光忠にとって消し去りたい過去なのでしょうか。

正直燭台切光忠という刀剣男士がよくわからなくなった瞬間でした。



あとがき

これ書いてて思ったんですけど、初期に修行出した子たちのも見返したら結構な数出てくる気がします。
最初の方は修行の内容に疑問なんて持たなくて、へえそうなんだって受け入れてたんですけど、今は違う反応持ちそう。
修行内容をちゃんと考えるようになったのほんとに最近だし……

全員分の手紙を読み直す必要がありそうです。


ただ一つ誤解しないでいただけると嬉しいんですけど、名前出した子たちが嫌いとかいうわけではないですからね⁉
修行内容にちょっと「うん?」ってなっただけですから。

うちの子は!みんな!かわいいんです!!!!!
大好きですから!!!

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