大会は誰かに支えられて開催されている
久々の文章は大学時代のお話。
年代に関わらず、運動部文化部に関わらず、順位が付けられる大会・試合というものは数多く行われている。
大学生の部活も例にもれず各種目で年に何度も各地で大会は開催されている。勿論私たちはコロナで無くなったものも多かったが、大学生活後半は比較的以前のような大会が戻ってきたと言える状態だっただろう。
その年に何度も行われている大会の多くは学生が主体となって運営・実行を行っていると知ったのは最初の冬だった。
自分たちの先輩が冬の大会の運営役員をやるので会場準備などを手伝うようにと連絡があったのが夏ごろ。半年以上も前だった。
当時は選手なのになぜ自分がと思っていたし、他からも人を呼ぶのであればなぜ自分たちが大会直前の練習時間を削ってまでやらなければならないのかと不満も大きかったのを覚えている。
実際に準備の時には思った以上の重労働でしんどかったし準備のせいで筋肉痛になって大会に少し支障がでたと感じた部分もあった。進行の手伝いのためゆっくり他を見ることすらできなかった。
その大会が終わり片付けになった時、先輩の一人に役員室に来るようにと言われた。何もわからずついていくと、次の役員をやれるように引継ぎをしたいとのことだった。この時になってようやく少し理解した。
大学生の大会は誰かがやってくれるものではないのだ
そうして上の代から仕事を託された私に待っていたのは想像以上に多岐にわたる仕事と、ぎりぎりを攻めるスケジュールだった。中心人物となってくれる大人はいてくれたものの基本的には学生のみで進めていく。勿論前回の経験なんてものはあるはずもなく、自分たちが持っているのは一度きりの手伝いの記憶のみ。マニュアルもなく、大人の経験と、学生がそれぞれの先輩から伝えられた大雑把な情報で大規模な大会を組み立てていくのは想定をはるかに超える大変さだった。
事前準備がなかなか進まなかったが、全員が危機感を覚えたのは1ヵ月を切ってから。
正直全員見通しが甘すぎた。
急遽直前に幹部役員で会議を開き、現状の洗い出しを行い当日のスケジュールを埋めていく。人手も道具も時間も、何もかもが足りてないという状況の中で、それでもどうにかなるように全員で意見を出し合った。
そうして始まった大会準備。ここからは怒涛の勢いでそれぞれわかる範囲で指示を出しながらやれることをやっていった。
幹部以外はやり方をほぼ知らず、指示を出さなければいけない幹部は自分たちのことで半分手が埋まっている。ぎりぎり手伝ったことのある学生が積極的に動いたり、幹部の中でも仕事が軽い人が走り回ったりして進めていった。
朝から晩まで、半日以上動き続け体力も気力も使い果たす勢いだった。準備でこれか、と大会当日はどうなるのか不安しかなかった。
大会が始まれば休憩する暇すらなく、タイムスケジュールとにらめっこしながら遅れ続ける時間に頭を悩ませた。人手がなく、休憩すらまともにとれないうえ、追加で降ってくる仕事とトラブル。
全員がギリギリの状態だった。
それでも始まってしまえば終わりは見える。
大会が進み選手の数が減っていくうちに少しずつ余裕が出来た部分もあった。
どうにか大会を終えても後片付けが残っている。使用時間内に撤収できるようどうにか指示を出しながら、上級生が中心となって動いていく。
幹部役員は次に向けて、前回と同様に後輩から役員を選出して会議を行った。
しかし、何度も行われているはずなのにマニュアルの1つすらないのはいかがなものかとこの時の幹部は全員思っていた。
そして、次のためにマニュアルを自分たちで作ろうということになった。
この時の幹部役員はたまたま次のためにという意識が強い人たちが多かった。だからこそ自分たちほどあたふたしなくていいように、自分たちに次は無くても次の準備を始めた。
無事に撤収が終わってからも分担しながらマニュアルを作成し、次の役員にも聞かせつつ会議を進行する。何度も確認し合い抜けていることがないか、これで伝わるかを考えマニュアルを整備。それぞれに渡したうえでクラウドにも保存した。
大会から一か月ほどしてようやく私の役員仕事は終わりを迎えた。
幹部役員をやってみてわかったのは今までの自分の大会に対する認識の甘さだった。
参加しているときは予定が前後することに文句を言ったり進行の仕方がどうだとか言ったこともあったが、学生が半分手探りで作り上げている以上トラブルや遅れは発生してしまう。完璧に進行するのは相当難しい。
加えて認識させられたのはコロナによる学生団体への影響の大きさだった。
学園祭などもそうだというが、学生が主体となって行う大会やイベントは上級生が下級生と一緒に作り上げながら次世代へとつなげていくという手法をとっているところが多い。そのためマニュアルが大雑把にしか作られていなかったり、前年を参考に作っていたりする。
コロナ流行によるイベントごとの中止、制限のある中での開催など「例年」を知らない世代が作り上げるのは相当無理があった。「コロナ前ってどんなだったんだろう」というのは同期と話をするときによく出てくる言葉だった。
我々が上級生となりコロナの制限がなくなったところで、コロナ前を知らない我々はどんな様子が普通なのかを知らずに大会を行っていた。
手探りなことが多い中で当たり前の大会を作り上げることの難しさを痛感した。
しかし、その当たり前を必死に作り上げている多くの人がいることに気が付くことができた。
こうしたことに気が付けたことが何よりの収穫だったと思っている。
それに、大会で得られたのは大変だったという記憶だけではない。
普段関わらない人と関わり、人を動かす大変さを知り、人を動かせる力を持った人のすごさを知った。普段では見ることのできない力を発揮している人も見つかった。その人の価値は普段見えているところだけで判断できるものではないのだと身をもって知ることができた。
こうした経験も含めて学生時代にやることが出来て本当に良かったと思っている。
後輩たちに託したマニュアルがどこまで仕事を助けてくれるかはわからない。
マニュアルを作ったのが仕事をしたことがある人である以上、どこかしらに必ず情報が抜けている部分は存在する。
後輩たちにはぜひマニュアルを活用した運営を行ったうえで、全員で手直しをしていってほしい。
そして無駄に面倒見のいい人が集まっている私たちの学年はどうせ次を手伝おうと集まってくるだろう。
いつか「あの時は苦労したよね」と笑顔で語ることが出来たら楽しそうだと思っている。
2024.7.29