「謙虚」は心を楽にする
ここ数か月、
なんだかモヤモヤとした感じが続いていた。
年末には、
自分に「謙虚さ」が足らない気がしていた。
発信していても
デートしていても、
承認欲求がどこか絡んでいる感じ。
なんだか、透明感に欠けてしまう。
うーん?
なんだろう?この感覚は…と思いながら。
内観していった結果…
体調を崩した。
強制ストップ状態だった。
鬱の時の感覚が押し寄せてきて、
マズイなー
と怖かったけれど、
とりあえずは全てを忘れてゆっくり眠ってみようと思った。
答えが出ない時はなんとも言えず気持ち悪い。
ただ、
その先には答えが待っている事は確かなので、
焦らず待ってみる事にした。
そうだ、
「眠りたい」ってずっと思っていたなー
だけど、「眠る」ってなんか怖いなー…
と思っていたことを思い出しながら
ひたすら眠った数日間。
眠っても何にも悪いことは起きず、
若干の罪悪感はあったものの、
答えは見えた。
そうだ、
「知らない」「分からない」
ということを認められてなかったんだ。
具体を思い返してみると、
私に女性性について教えてくれている
すばらしく美人なメンターさんがいる。
「女性性」って何だろう?
本当は私には分からない。
(女性であるって何だろうといった内容をThreadで呟いたら「頭どうかしているんじゃない?」と非難されちゃったけど)
でも彼女に
「分からない」と言えなかった。
それが全てなのか、
切り取った具体の一部なのかは
「分からない」ただ、
個人事業主として活動する中でも、
自分の講座の中でなんだろう?
と思うことがあった。
クライアントさんに、
「分からない」と口に出すのが怖かった。
それから、マコなり社長の
サプライズスクールでも分からないことだらけ。
仲間に比べると
自分だけが全く追い付けていない気がして、
やれていない理由ばかり探している気がして
「分からない」というのが恥ずかしかった。
そう、たくさん眠ってみて分かったのは、
「分からない」「私は何も知らない」
という事実をそのまま受け入れること。
それが「謙虚さ」
であるということ。
例えば今回であれば、
「女性性とは何か」ということを、
メンターさんの伝えようとしている事実を
彼女の事実をできるだけ正確に、
”そのまま”理解しようとすること
それが「謙虚さ」なのだろう。
認知バイアスのかかった見方を
できるだけしない。
それを理解しているつもりで、
全くできていなかった自分がいた。
認知の歪みに気付けない原因は、
今回の場合だと
「恐怖心」「不安」「焦り」だったと思う。
これらを無くすことはできないけれど、
それらの感情から
「事実」
に焦点を変えることはできる。
すると
自分が見ている「事実」とは異なる「事実」に
興味がいくようになる。
そうなるととても心が楽だ。
それが
「謙虚」
という言葉の裏にある意味なのだと思う。
だから私はこれからそのメンターさんには
「何にも知らなかった」
という事実をきちんと伝えたいと思うし、
これからは、自分が間違うことがあったら
その間違いにわくわくして、
仲間に呟くことを続けてみようと思っている。
謙虚は心を軽くする。
それは迎合でも、逃げでもなんでもない。
最後にちょっぴり宣伝をさせてください。
私のEssence Labという講座では、
それぞれの人の「違和感」(アノマリー)をかき集め、
それらを大切なアイディアとする訓練をする場をつくりたいと思っています。
「違和感」は日々の生活の中では見逃されがちで、そこに光を当たることがないくらいの誤差です。
それらは架空のゴミ箱に捨てがちであり、行動に移されることは非常に少ないと思います。
私は教育の中で培った、"みとり"をするというスキルが高い自信があります。
子どもたちの気付きを価値付け、それを形にしていくのが総合的な学習の時間です。
また、英語教育の研究の中でも、私は談話分析を得意としていました。
学びのサイクルがどうまわるのかも頭の中に入っています。そのスキルと知識を総動員させると、本質に迫る講座を作り上げることができます。
ですから、
気のせいだ
と見逃されがち、
こんなの役に立たない、と捨てられがちな
クライアントさんの違和感、
気付きをその都度アイディアに変え
カオス(ぐちゃぐちゃの思考の過程をも)を楽しみながら
その方の可能性を最大限に引き出せるようなセッションができると思っています。
Essence Labの口コミはインスタの方に載せてあります。ぜひご一読ください。