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醜く、脆く、それでも自分をまるごと受け入れ愛すること

日曜日は「神山まるごと高専 presents 未来の学校fes」のボランティアとして現場に入らせていただいて、日頃の自分の仕事も含め、「日本にはこんなにも、未来を生きる子どもたちのことに全力を注いでる人たちがいるんだ」という希望を改めて感じた日だった。

中学生のリアルな悩みに触れたり、いまの自分の生き方のきっかけを振り返る機会となったこの日を通じて、これまであまり公にはしてこなかった自分の暗い部分も紹介してみようという気分になって、開いたnote。

私はフランスへ留学して外から日本を見て、日本を見捨てて外に出るのではなく、日本で未来を生きる希望を創ることに貢献したいと思って帰国した。

「日本で、もっとhappyに働く人を増やしたい」

新卒で入社した総合コンサルファームで選んだ人事コンサルから、コロナ禍では一瞬無職になったりもしながらも、いまは保育園〜大学までヒト×ソーシャルを軸にたくさんの人に関わるいまの自分の根っこも、ここにある。

大人って、社会って、楽しそう!と、大人になることが楽しみで待ち遠しくて、わくわくする子どもで溢れる社会にしたい。これがいまの自分のすべての仕事の先にある。

私のわくわくする瞬間

私は学生時代からイベント企画/運営をはじめとする"場づくり"が大好きで、自分たちが創り上げる場でいろんな化学反応が起きて、参加者の顔が変わるのが、新たな何かが生まれるような瞬間に立ち会えるのが、ものすごくワクワクする
いまからちょうど4年前、学生最後に運営に入らせてもらったアイディアソンでは、大企業と学生がひとつのモノを創り上げる過程やそのアウトプットに心震わせ、最後は参加者と涙しちゃうくらいに幸せで溢れていて、そんな瞬間が大好きで。

いまでも覚えているのが、私はその夜、当時まだ付き合ってもいなかった夫に打ち上げの帰り道に電話をかけて、その日の溢れる高揚感をどうにか言語化して伝えようとしていた。(それが彼にどこまで伝わったのかは定かではない。笑)

日曜日は、そんなわくわくを思い出せた日。

当時は恋人ですらなく、そういった場を一緒に企画し創り上げるメンバーの一員だった彼が4年という時を経て夫になり、私のわくわくも幸せも、辛いもしんどいも葛藤も、すべてを受け止め、肯定してくれる唯一無二の存在になっているのはなんだか感慨深い。

「いまの自分」に出会うきっかけ

日曜日は、いまの自分があるのは、この人たちのおかげ!という方々に会えた日でもあった。

CRAZY WEDDINGの創業者であり、神山まるごと高専(仮称)のクリエイティブディレクターの山川咲さん。そして私たちが結婚式を挙げることを考えてはじめたタイミングで面会してもらったいまは(株)CRAZY執行役員の吉田さん。
いまの自分のキャリアや生き方があるのは、パートナーである夫と同じくらい、咲さんが書いた1冊の本やCRAZYの皆さんの存在のおかげであると言っても過言ではない。

夫にしか話したことがない学生時代

恐らくいまから綴る話は、夫にしか話したことがない(夫にすらすべては話し切れていない)大学までの自分の話。
はじめて咲さんの本を読んだのは電車の中だったけど涙が止まらず、何度読み返しても最初から涙する理由がここにある。

背景や文脈を理解して適応・行動する能力が高いなんて言われることが多い私。3人弟妹の長女の自分は、昔から常に、長女らしく「しっかり者の自分」を創り上げることに必死だった。
父の仕事の都合で、
幼稚園はウィーン→東京→茅ヶ崎と3か所通い
小学校は茅ヶ崎→ジャカルタ→茅ヶ崎という2か所に通った。
ウィーンではドイツ語を話す先生と子どもに囲まれていたらしい。その頃感じたことは記憶にないけど、どんな気持ちだったのだろうか。
小学校では、インドネシアでも日本でも転校した先では敵を作らず、いかにうまく馴染むかに徹したし、先生や大人の顔色伺うのが特技みたいな子だった。なので小学校6年間で先生に怒られた記憶は2回しかなくて、どちらもすごく鮮明に覚えているくらいに当時の自分にとってはトラウマだった。

環境に馴染んだら学級委員とか積極的にやるような子で、掃除サボったり女の子をいじめる男の子と喧嘩したりする正義感が強い子。体育祭や水泳大会はいつもリレーの選手、勉強も運動も平均以上にはどれもこなせて、誰とでも仲良くできる、自分でいうのもなんだが適応能力は高かった。きっとそこには周囲に馴染むために、認められるために、褒められるために、適応できなければいけないと思っていた自分がいた。

そんな風に必死にしっかり者な自分を創り上げ、友だちも多く誰とでも仲良くやっていく努力をしていた自分でも、小6の夏という絶妙なタイミングで日本に帰国したあとは、それなりに溶け込むのに苦労した。
思春期の女子によくある一部の女子に無視される、なんて時期もあった。いま思えばそんな辺りから目立つことが嫌になって、皆をリードするポジションにはつくことが減ったのだと思う。帰国してからは、帰国子女なのに英語が大してできないという事実に対するコンプレックスも強かった。(冷静に考えれば、英語圏でもなく日本人学校在籍で、流暢に英語話すことなんてできなくて当たり前で、そんなことで悩む方がアホらしいのに。)

そんなこんなで中高6年間や大学時代は、目立つよりも周囲の友だちから「みんなのお母さん」として頼られることや、パートナーが途切れることなくいる状態でいることで、自分の存在意義を、誰かに必要とされることを満たしていた。彼氏にはとことん尽くすタイプで、とにかく誰かに必要とされる存在であり続けることを大切にしていた。
結局のところ幼少期からずっと一貫して「しっかり者の頼れるお姉さん」という自分を創り上げることで、誰かに認められようと必死だった。

咲さんの本を読んでいて、そんな自分の過去が言語化されているようで、涙腺が崩壊した瞬間をいまもリアルに思い出す。経緯はちがえど、他者と異なる自分がいかに周囲に馴染み、認められるかを考え続けながら、必死に人に必要とされる存在であろうと生きる、そんな部分に自分が重なった。

でも私は大学4年でパリへ留学して、はじめて、「ああもっと自分勝手に生きていいのかもしれない。」と思えた。
フランス人を見ていてという側面もあったけど、家族や関係が長い友人がいないパリで過ごした、誰かに認められるとかどう思われるとかから解放され、自由気ままに過ごす時間が、思っていた以上に心地よかったのだと思う。
自分で勝手に着た鎧を、手放すことができた時間だった。

でも人間とはそう簡単に変わらない生き物なので、そんな鎧を手放せたのもつかの間、帰国後社会人になってからはしばらくは他人に認められること、必要とされることを考えながら生きる側面はなかなか消えなかった。

「自分の色が見つからない」ともがいた新卒時代

学生時代を振り返ると分かるように、何事も卒なくしっかりこなすこと、周囲の期待に応えることを大事にしてきた自分は、23歳で社会人になっていわゆる「尖ったもの」を持たざる者であることを突き付けられた。適応能力や人間関係構築力は多少人より秀でていたとて、大手のコンサルティングファームに就職した自分の周りには、そんな人は山ほどいるように感じた。

新卒研修でやったストレングスファインダーでは、同期の傾向として「戦略的思考力」群が強いのに対し、自分のTOP5は「社交性・コミュニケーション・共感性・アレンジ・成長促進」と見事にひとつも戦略的思考力がランクインしておらず、「私、就職する先間違えたのでは…」という絶望的な感覚も味わった。(逆に言えば、それは自分の色のひとつになり得るということでもあったけど、当時の自分はそこまでポジティブに捉えられなかった。)

それでも職場環境や人にはとても恵まれて、とにかく社内外でできることはたくさん手を挙げて行動し、それなりに評価されて仕事のやりがいも充実感も感じていた新卒1~2年目だった。

一方で夫との結婚前後から、少しずつ自分のなかで「もやっと」が生まれた。自分の実現したいことに1mmの妥協もなく、泥臭いことも必死にこなしている彼を横目に、自分はこのままでいいのかという焦りや不安やもやっとが少しずつ膨らんだ。(彼は地方の中小企業で自動車のリサイクル事業に携わっていて、いまは単身インドで新たな拠点を立ち上げている。)

上述の学生時代の他人軸で生きる自分の話は、誰かに話したことこそなかったものの、どこかでずっと気づいていたけど直視したくない部分だった。それでも、とことん自分と向き合うことの大切さを常に投げかけてくれるのが夫だった。

正直、結婚前後はそんな夫の隣にいることが、しんどいこともあった。結局南奈は何がしたいの?を常に問いかけられているようで、言語化できない自分に苛立ち焦り、忙しいことを言い訳にする自分に嫌悪感を抱きつつも、向き合い切れない日々だった。

結婚式という転機 - NEW STANDARD -

そんな時間が続く中で、2019年7月に先輩が転職した先のIWAIに面会に行ってからが、ひとつの転機の始まりだった。
↓詳細はこちらのnoteから

吉田さんとの初回面会のその場で契約書にサインをした2019年7月から、2020年11月の挙式に向けて、とにかくふたりで対話を重ねる日々がスタートした。
どんな結婚式にしたいかの前に、
・どんな夫婦でありたいか
・互いがどう生きたいか
・何を大切にしたいか
・何にワクワクするか
嫌でも自分と向き合わざるを得ない時間でもあった。
プロデューサーの千晶さんには、そんな風に自分たちが議論したものをパワポでまとめて送ったりして、夫婦ふたりにとっての一大プロジェクトだった。
ふたりの未来と、人生と向き合っていくなかで、ちょうど彼の海外赴任も見えてきて、いつの間にか私は退職を選んでいた。(その時はまさかコロナで渡航できなくなることなんて露知らず…)

そんな決断を後押ししてくれたのが、面会で吉田さんにいただいた、咲さんの本「幸せをつくるシゴト」

自分軸で生きていいんだと言われているような気がして、いまのキャリアに転向する1つの大きなきっかけになった。

そして2020年2月に提案してもらった、ふたりの挙式のコンセプトがこちら。

NEW STANDARD
今思いを馳せてみる
僕らの行動に 僕らの未来に

今更新されていく
僕らの行動が 僕らの未来が

心躍るアイデアとの出会いは
日常を豊かに彩り

無意識に 意思が宿り
破壊は 創造に変わる

NEW STANDARD

世界に意思表示を
地球が喜ぶ選択を

僕らのこの一歩から
いま未来が生まれる

このコンセプトはあの結婚式の日1日に閉ざすものではなく、いまの自分のあらゆる選択の中心にある。

「〜すべき」から脱して、「人が決めたスタンダードと違っていい、自分のスタンダードを創ればいい」と自分を受け入れ、他人軸ではなく自分軸で生きる。好きなことし放題のいまのキャリアは、やらない後悔よりやって後悔と思って選んだ道だけど、いまのところ後悔したことはない。

一時期は「あの時辞めていなければ、自分のスキルも経験値も、待遇も上がっていたかな。残り続けている同期のみんなは…」なんてことが頭をよぎることもあったけど、どこへ行っても自分の成長に責任を持つのは自分自身でしかなくて、上司でも会社でもない。潔く突き進んでみれば、自分の居場所も仕事も自分で創ることができるを体感した2年だった。

自分を知り、愛することの大切さ

私の決断を後押ししてくれたのが咲さんの1冊の本や結婚式を創り上げるプロセスにあったように、きっと日曜日のイベントで、自分という人間を知ることや将来の選択に対して何かヒントを得たり、背中を押された中学生がたくさんいたのだろうと思う。

「人と比べてしまう」と悩む子がいたりして、恥ずかしながらも27歳の自分でもそんな風に思うことはある。「人と比べてしまう」こと自体が問題なのではなくて「人と比べて異なる自分を受け入れ愛すること」ができないから苦しいのだろうなと感じた。

私は以前より人と自分を比べる機会は減ったし、自分を追い詰めて苦しく感じることはなくなった。それは、「いまの自分」を「他者」とではなく、「過去の自分」と照らし合わせるように変化していったから。留学中は「昨日の自分より今日の自分を好きになれるよう1日を過ごすこと」を大切にしていて、それが割といまでも機能している。
昨日できなかったことは明日以降の自分の伸びしろ!と思い、それはある種できないことを正当化しているだけかもしれないが、そんな風に自分を鼓舞して奮闘している。

そして何より、無条件に自分を受け入れ肯定してくれるパートナーがいることが、いまの自分を強くしてくれているのだと思う。
誰がどう思おうと、この人だけは理解してくれる、受け止めてくれる、愛してくれる。そんな存在がいることで結局いまの自分があるのかもしれない。

「happyに働く人を増やす」には、「自分をよく知り、自身を愛せる人を増やすこと」が必要なのだと思う。だから今日も明日も、私はそんなきっかけを作れるように奔走する。

余談 大人になると感じる親の愛情

「幸せをつくるシゴト」の中には、冒頭咲さんの周囲とは異なる幼少期の家庭環境のことが書かれている。

電子レンジは使わない、添加物はよくないしできるだけ安全で自然なものだけ体に入れる、という母の教えなんかも我が家と似ている。
我が家ではいつも母の手作りピザとか、手作りケーキで誕生日やクリスマスを迎えるのだけど、子どもの頃はピザを出前でとることやクリスマスケーキを予約することに憧れていたものだった。

大学生くらいになってはじめてそういう類のものを食べて、そういったものを美味しく感じないことに気づくと同時に、親の愛情を知ることができたりする。

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