とかくこの世は生きにくい…ような気がする〜「武器としての土着思考」をよんで①
土着とは何か?
ここでは、地域にどぶっとはまり込んだり、自給自足の生活をするとかではなくて、
「資本主義に背を向けるのではなく、生き物としての自分とシステムとしての社会のギャップに気付き、いかにその両者の折り合いをつけながら生きていくのか。こういう関心に基づく生き方」を、土着すると呼ぶ。としている。
自分にとっての「ちょうどよい」を見つけ、身につけること、自分の感性を、手作りすること
ともある。
お金を稼ぐという面からだけ全てを見ていると、疲れてきませんか?自分が削られるようなつらさを経験したことはないですか?
そんな人達に、考え方の幅を与える一冊。
さて、本の題名にある武器とはなにか?随分物騒な言葉だが、ここでのそれは、現代社会を生きていくための手段である。
武器を持ったら闘う。その闘いは、相手を痛めつけることではなく、相手とともに(コントロールできない自分を含む)どう生きていくか。相手あってこその生を築いていくための思考を身につけることである。
生きていくためにこの考え方を身につけると、少しは生きやすくなるよ。と言っている。
生きづらい現代社会はどんな社会なのか?
資本主義が行き過ぎた社会である。
人間は商品であり、労働力を商品として市場に出し対価を得て生活している。そして、その商品価値を決めるニーズは流行や他人によって左右される。人間の生は他者のニーズに握られているといえる。
また、現代社会において意味あることは、経済的合理性に適っていることが前提である。
経済的合理性を優先することはそのシステムが命を守ってくれた時代はよかったが現代社会はそうではない。
商品としての自分だけではなく、生き物としての自分に気づき双方を行ったり来たりするのが大切だ、それを土着という。
いいかえれば、
資本主義の原理が支配する世界と別の原理が働く世界を好きなときに移れるようにとすることである。
行き来しながら自分の感性を作り、ちょうどよいを見つけること、それが土着である。
資本主義の考え方にどっぷり浸かってと、気持ちだけついていけない人にいったん資本主義の考え方の外に出る方法を筆者は提示してくれている。筆者は個人図書館を開いている。資本主義の外に出たら、どんな世界があるのか?それはあなたにしかわからない。他者の評価とは関係のない、あなたの価値を手作りしていこう。