大学生の私へ

#読書の秋2020 #今日の空が一番好きとまだ言えない僕は  #ネタバレあり #今日空

 初めて恋愛小説を読んだ。大好きなジャルジャルの福徳さんが書いた「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」だ。私は女子校に通う高校2年生で、まだ1度も恋をしたことがない。だからきっと、読んでも共感はできないだろうと思った。しかしそれは違った。私はいつしか主人公の小西と共に一喜一憂していた。それはこの本が、上から目線で私の知らない「恋」というものを教えるのではなく、恋愛、友情、そして生と死についてを、深く寄り添って語りかけてくれたからだ。まるで心を許せる誰かの話を、触れるくらいの近さで聴いている感覚だった。

 主人公の小西は、1人でいる時に日傘をさす。それは人の視線を遮るためと、少し変わった奴と思われることで、この人はあえて1人でいることを好んでいるのだと思われるため。小西が惚れた桜田さんが1人で堂々としていられたのも、「普段は1人でいるような人じゃありませんよ。明るい奴ですよ。」ということを演出するためのお団子ヘアーがあったからだ。私にはその気持ちが良く理解できた。私は何故か昔から自分の気持ちを知られるのが嫌で、「へぇーそういうのが好きなんだ」とか「意外」と言われるのがたまらなく恥ずかしかった。だから自分にキャラをつけて、そのキャラが好きそうなことを選んで行動していた。私が何でも友達に合わせてしまうのも、おとなしそうに見えるのも、別に気弱で優柔不断だからではない。本当に自分が好きで選んだことを人に知られたくないからだ。周りの人は私が選んだものに対してなんてそんなに興味はないし、覚えているのも自分だけということは分かっているのに。私は自意識過剰だ。でもこの自意識過剰さを持っているのが自分だけではないことを、この本を読んで知った。小西と桜田さんだって、1人でいることを気にしているのはきっと本人たちだけだ。集団で騒いでいる人たちは、1人でいる人を見ても別に見下したり可哀想だと思ったりしていなくて、ただ眼中にないのだ。心の底ではそれを理解していて、それが逆に孤独で、寂しくて、少し存在をアピールしてしまったりする。私はその気持ちを今まで誰にも話さなかった。話したいとも思っていないから、別に辛くはない。でも2人は違った。いつも日傘をさしている理由、お団子をしている理由を打ち明けた。それはただ相手の境遇が自分と似ていたからということだけではなく、この人なら自分を馬鹿にしたりしない、理解してくれるはずだという心からの信頼があったからだと思う。私にも、自分の全てを知って欲しい、自分のいないところでも自分のことを考えて欲しいと思うような人が出来るのだろうか。まだ見ぬ自分のキャンパスライフを想像しながら、そんなことを思った。

 この小説のもう1つのテーマは、「死」だ。この本の中には、様々な死が散りばめられていた。小西の中には亡くなった祖母が、桜田さんの中には父が強く生きていた。喫茶店のマスターにも大切な人との別れがあった。それがわかった時、誰しもが死の経験を背負って生きていることを知った。そして突然の別れ。それまで100だった命が急に0になってしまったら、残された人は一体どんな気持ちになるのだろう。私が今までに経験してきた全ての悲しみを合わせても足りないかもしれない。そもそも悲しみという言葉がそれを経験した人が抱える感情として正しいのかどうかも分からない。作者自身も、高校1年生の時に父親を交通事故で亡くしている。高校1年生というと、今の私よりも1つ若い年齢だ。もし自分の親が事故で突然亡くなってしまったら、と考えようとしても、想像するだけで嫌でどうしても考えるのをやめてしまう。そんな作者の経験をこの本に反映しているのだと思うと、登場人物たちの感情にさらに重みが増し、胸が苦しくて辛かった。私が今までに経験した死は幼稚園の時、祖父が癌で亡くなったことだ。正直あまり死の重みを理解していなくて、ただ亡くなる前日に祖父宛に書いた手紙を渡せなかったことが悲しくて泣いたこと、葬式の時に別れの挨拶を私が書いて読み、親戚中を泣かせたのを自慢気に思ったことしか覚えていない。だからこれからもっと辛い別れを体験しなければならないということが、怖くてたまらない。この本の中で小西はあらゆる感情を経験した。喜び、悲しみ、期待、孤独、絶望、安心、…。その中で私が知っている感情はどれくらいあるのだろう。私は今まで、本を読んだり映画を見たりして泣いたことがない。この本を読んだ時もだ。本当に心の底から感動したし、胸が苦しくなったけれど、涙は流れなかった。大人になると涙脆くなるとよく言う。それは様々なことを経験して、その人の感情をよりリアルに想像することが出来るからなのだろうか。それが分かるには、私はまだあまりにも未熟だ。高校2年生。私は今、大学進学という人生の中でも大きな分岐点となり得る場所に立たされている。最近親に、「どんなに学費が高くてもあなたのためなら」と言われた。それを聞いた時、感謝の気持ちが湧くと同時に、今まで学費のことなど考えたこともなかった自分と、それを私に考えさせなかったこの恵まれた環境にようやく気が付いた。そして大人になっても今と同じ生活が出来るのだろうかと怖くなった。私は今まで恵まれていることに気が付かないほど周りに恵まれていて、大きな挫折もしたことがなく、だからこそ未来に不安でいっぱいだ。それでも成長は止められないし、前に進まなければいけない。人のために涙を流せる大人になるために。この本で学んだように、人はいつまで生きられるか分からない。けれどきっと生きている。それを信じて、私が今1番なりたい未来の私に、手紙を書きたいと思う。

大学生の私へ

 お元気ですか。私は今、あなたになるために頑張っています。頑張っていますと胸を張って言えるほど、勉強できている自信はないけれど。大人は大学で人生の全てが決まるわけではないというけれど、私が今目標にできる未来はあなたです。

 キャンパスライフは楽しいですか。それとも小西よりも最悪ですか。高校生の私に、もっと勉強しとけって怒鳴りたいですか。それが1番悲しい。ちゃんと勉強します。

 恋愛はしていますか。大学生になったらたくさん恋愛しなさいと現代文の先生も言っていました。今の私は恋愛している自分が全く想像つきません。

 何でも分かち合える、喧嘩しても元の関係に戻れる、小西と山根のような関係の友達はいますか。高校の友達とはまだ友達ですか。小学校の時の友達と全く親交がなくなってしまったのは、結構後悔しています。久しぶりすぎてギクシャクする前に定期的に会っていてほしいです。本当は何年経っても変わらない関係でいたいけれど、慣れることが特技の人間に、そんなことは出来ないと思うから。

 それと、もし全てがどうでも良くなって投げ出したくなってしまったら、空を見て、この本のことを思い出してください。きっと今日を大切に生きることが出来るから。

 これを読んでいる大学生の私は、どんな気持ちになるのかな。恐ろしく恥ずかしくなるのか、それとも昔の自分に出会えて感動するのか。どっちにしろ、少しでも、心が軽くなってくれたら嬉しいです。

       2020年11月 高校2年生の私より

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