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姉の結婚式

「上手なのにどうしてやめるの?」
先生は帰ろうとする私の前に立ちはだかる。
私は何も答えずその場から立ち去った。

私は小学校に上がる前に、3歳から通っていたピアノ教室を辞めた。
教えられることや言われることをやるのが嫌で、習うのが嫌いだった。

でも、ピアノを弾くこと自体はすごく好きだった。
だからピアノ教室を辞めた後も、私は家でよくピアノを弾いていた。

私は自分の好きな曲を、自由に弾くのが楽しかった。

だけど、ピアノ教室を続けていれば良かったかなと後悔したこともある。
中学校の時には、学校で合唱祭があって毎年伴奏をした。
いつも友達からも先生からも「上手だね」と褒められた。
何より、家で一人で自由に好きな曲を弾くのが楽しかった。

将来、どんな道に進みたいかを考えた時、ピアノ教室を辞めた時は普通に会社員として就職するとしか思っていなかった。

ピアニストで食べていけるなんて思っていなかったから。

でも、中学・高校と年齢が上がると、音楽関係の仕事も沢山あることに気が付いた。
ピアニストになるだけではなくて、学校の音楽の先生になるとか、ピアノ教室の先生になるとか、レコード会社に勤めるとか。

高校生になって進学する大学のことを調べると、国立の音楽大学があることも知った。
音楽大学は私立というイメージで学費の面からうちには無理だろうと思っていたのに。

音楽の道に行くなら、誰かからピアノを習うのは必須だろう。

でも、もう遅いよ。

中学や高校からまたピアノを習い始めても、もう間に合わない。

もし、ピアノを習い続けていたら。
自分の好きな音楽と共に生きていけたのかもしれない。

私は無難に理系の国立大を受験し、合格した。

大学ではジャズサークルに入って好きなピアノを続けていた。
大学院を卒業後、一般企業に就職した。
就職した年にちょうどコロナ禍になった。
入社初っ端からリモートワーク、外出は控える、といった日常が続いた。
そんなこともあり、就職後もピアノを家で弾いていた。

そんな中、姉が結婚。
コロナ禍ではあるが、結婚式は行うという。
私は姉のドレス姿を楽しみに結婚式に参列した。

結婚式当日、式場はどこか寂しい雰囲気だった。
コロナ禍のため、姉夫婦は友人を呼ぶことができなかった。
親族も皆、県外で暮らしており、当時は県外移動禁止みたいな風潮があって誰も参列できなかった。

参列者は両家の両親と私だけ。
結婚式や披露宴も簡素化されており、ドレスとタキシードを身にまとった新郎新婦が入場、席について一緒に食事をする形だった。

ブーケトスや余興はもちろんなく、コロナ対策のためウェディングケーキ入刀もなし、食事のテーブルは人と人の間が空けられ、間にはアクリル板が立てられていた。

コロナじゃなかったら、人がたくさん来て、大きな拍手があって、写真をいっぱい撮って、笑い声が聞こえて、楽しかっただろうなぁと思ってしまった。

食事も終わりに差し掛かって、司会の人が「ご歓談をお楽しみください」と言った後、父が「弾いてみたら?」と私に言った。

その披露宴会場にはグランドピアノが置かれていた。

会場に入った時から、ピアノが置かれていることには気づいていた。
でも置いてあるだけという認識だった。
プロみたいに完璧に弾けるわけでもないし、普段弾いているけどそれほど事前に練習もしていないし、楽譜もない。

どうしようか…と悩んでいると、姉も「弾いてみたら」と言う。

少し寂しい結婚式。私のピアノで少しでも姉に喜んでほしい。

花嫁の姉が言うのならと思い、私はピアノを弾くことにした。

人前で一人で曲を演奏するという経験が私にはなかった。

ピアノの椅子に座ると緊張した。

鍵盤に指を置き、一息つくと曲を弾き始めた。

最初の音を弾いた瞬間、ピアノが調律されていないのが分かった。
それでも曲が始まると、私の指は緊張で震えながらも勝手に動いていった。

途中、音を弾き間違えた。
それでも曲全体が止まらないように、私は弾き続けた。

広い会場に音が響いていた。

音の強弱や硬さ、柔らかさを鍵盤に伝えながら弾いた。

何とか1曲、弾き終えた。
途中間違えたものの、弾き終えたことにとてもほっとした。

椅子から立ち上がり、お辞儀をする。

拍手が聞こえて顔を上げると、姉が目元を押さえていた。

席に戻ると母も泣いている。
私の演奏は全く完璧ではなかった。
でも気持ちを込めて一生懸命弾いた。
こんな私の演奏で姉や母、皆が喜んでくれた。
ピアノを弾いて良かった。
私は嬉しさと、まだ残る緊張が相まって泣きそうになる。

デザートと一緒に出されてきたホットコーヒーを飲もうとして、手や口が震えてうまく飲めない。

一生、忘れられない結婚式になった。

今でもあの時の泣きそうな気持ちを思い出す。
私の作り上げたもので、他の人が心から喜んでくれるという経験はこの時が初めてだったと思う。
もし、私がプロのピアニストになっていたら、ピアノを弾くのが当たり前で、ここまでの気持ちを感じられなかったかもしれない。
これはこれでありな選択だったのだと思う。

これまでの自分の選択がすべてここにつながっている。
かつてピアノ教室を辞めた選択も、
音楽大学ではなく理系大学に進むという選択も、
それでも自分の好きを続けてきたという選択も、
少し勇気を出して姉の結婚式でピアノを弾くという選択も。
これまでの私の小さな選択の積み重ねが、今の私を作っている。

これが私の人生なんだ。

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